| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第十三章 聖国の世界扉
  第四話 入国

 チッタディラ―――ロマリア南部に位置する港であり、一つの都市程の大きさはあるだろう巨大な湖の隣に栄える城塞都市である。空を行く船の発着に都合が良いという事から湖に建設された港は、今や様々な国の船が離着水することとなり、その流通により都市の発展に重要な役割を果たしていた。そんな港の岸部から伸びる桟橋に、新たな一隻が横付けされた。“オストラント号”である。
 “オストラント号”がトリステインを出航してから三日。士郎たち一行は、無事目的地であるロマリア南部の港にあるチッタディラに到着していた。快速線であっても一週間以上は掛かる道程を、“オストラント号”はその半分以下にまで縮めることに成功していたのである。その成功を祝うためか、“オストラント号”が停泊した桟橋の周囲には多くの人が集まっていた―――勿論そんな訳はなく、ただ単に、港の近くに住んでいる人の目にも珍しい形をした船であることから、好奇心により集まってきたのであった。
 集まった群衆を船の上から見下ろした士郎たちは、難しい顔を浮かべた。今回の渡航は非公式なものであり、目立つことは御法度である。出来るだけ早く、かつ密やかにアンリエッタの元まで向かわなければならないのだが、着いて早々のこの始末だ。一応士郎たちのロマリア行きは、表向き『学生旅行』と言う事になっているのだが、これだけ目立つ船に乗っているのが只の学生とは胸を張っては言い難い。
 その点を突っ込まれれば、説得するのに時間も手間も掛かるだろう。
 そうこう考えているうちに、“オストラント号”の周囲を取り囲む群衆を掻き分け、神経質にキョロキョロと辺りを警戒するように視線を巡らせながら近付いてくる眼鏡を掛けたロマリアの官吏一行を視界の端に捉える。警戒心の強い小動物のように辺りを見渡し、集まった群衆を甲高い声で追い散らしている姿を見た士郎は、『融通が利かなさそうな奴だ』と嘆息を吐き、これから起きるだろう騒動を想像し―――官吏への説得の前哨戦にと、このまま遠くへ逃げてしまいたい衝動を抑えるのに取り掛かった。





 士郎の予想通り、官吏の説得は難航した。
 トリステイン王政府発行の入国手形を渡された官吏の男は、間違いなく本物のそれを見たにも関わらず、全く信用していない様子で士郎を上から下までじろじろと無遠慮な視線で見回すと、停泊する“オストラント号”を胡散臭そうに見上げ、“オストラント号”に設置されているプロペラ等について言及してきた。水蒸気機関の説明をした際、神の御技たる魔法をうんぬんかんぬんと言い始め、異端ではないかと一時辺りが騒然としたが、元の世界で様々な危険地帯を渡り歩いていた士郎にとって、こう言った手合いの役人の追求を躱すことは慣れていたため、多大な時間と精神力を犠牲にはしたが、何とか無事にロマリアへ入国することができた。
 そしてまた、ロマリアの役人は全て神官であることから、どこぞの教会の神父やらシスターやら神に仕える輩に過去幾度も酷い目に合わされてきた士郎の教訓に、また新たな一ページが刻まれることとなった―――『神官の役人は通常の役人よりも三倍厄介である』、と。
 士郎の精神的な尊い犠牲により、何とか無事に官吏からの追求を躱すことが出来た士郎たち一行は、そこから駅馬車等を利用することで一日掛け目的地である都市ロマリアまで無事辿り着いた。後はアンリエッタの所まで会いに行けばいいだけ。手続き等面倒な事はあるが、騒動が起きるような事はない。だからと言って、決して油断していた理由(わけ)ではない。それどころか逆に気が抜けた様子を見せるギーシュたちとは違い、士郎やセイバーは警戒を続けていたのだが、どうやら今回はそれが裏目に出る結果となった。
 それは都市への入口である門をくぐる際の事であった。武器の持ち込みは事前に行李等に保管しなければならないと言うロマリアの慣習を知らなかった士郎とセイバーは、剣を腰に差したまま門を通ろうとしたのである。
 門を守る衛士がそれを見逃す訳もなく、士郎は呼び止められることとなった。

「おい! そこの貴様っ!」

 門の手前で呼び止められた士郎が声が聞こえた方向に顔を向けると、険しい顔をして近付いてくる一人の衛士の姿があった。

「貴様どこの田舎者だっ。ロマリアでは武器を持ち歩く事が禁じられていることを知らんのかっ!」

 何故か同じように剣を腰にさしたセイバーを無視して、衛士は士郎へと一直線に向かってきている。
 “ロマリアへの武器の持ち込み禁止”を今初めて知った士郎が、慌ててルイズ達を振り返って見ると、『あ、しまった』と言わんばかりの顔で全員が口に手を当てて視線を泳がせていた。何時も我関せんずな態度を取っているタバサも、読んでいた本を閉じて明後日の方向を見て視線を逸らしている。士郎が衛士に迫られている横で、セイバーは腰に差した剣を鞘ごと引き抜くと、こそこそと後ろに立っていたコルベールに差し向ける。コルベールはチラリとセイバーと剣を見下ろすと、苦笑を浮かべながら受け取り、自分のマントの下に剣を隠した。
 セイバーが士郎を犠牲に身の安全を図っている間に士郎の前までやって来た衛士は、士郎の腰に差してある剣―――デルフリンガーに手を伸ばしてきた。反射的に迫る手を躱す士郎。剣を掴む筈だった手が空ぶり勢い余って前につんのめった衛士が、こめかみに血管を浮かせた真っ赤な顔で士郎を睨みつけた。

「きっ、貴様っ! 何を勝手に躱しているっ! っ、な、何かやましい事があるんだろっ! おいっ! ちょっと詰所まで来てもらおうか。色々と話を聞かせて欲しいんでなっ!」

 まさか躱されるとは思いもしなかったのだろう。衛士は羞恥と怒りがごちゃまぜになった感情のまま、士郎に指を突きつけ怒鳴り声を上げた。避けたのは失敗だったかと反省した士郎だったが、流石にこれに付いていけば禄なことにならないのは確実である。何とか穏便に話をつけようと、僅かに残った忍耐やら理性やらを掻き集めていると。

「―――へ、祈り屋風情がナマ言いやがって」
「だ、誰だっ!」
「っ、お、おいデルフ」

 突然士郎の腰の辺りから不機嫌そうな声が上がった。いきなりの物言いに、誰が口にしたと怒りに染まった目で辺りを見回した衛士は、それが士郎の腰に佩かれている剣から聞こえてきたことに気付くと、苦々しく口元を歪めた。

「インテリジェンスソード如きが神聖なるロマリアの騎士を侮辱するとはっ! 何と罰当たりなっ!! この鉄屑がっ! 炉に放り込んで煮溶かしてくれるわッ!!」

 湯気でも出そうな勢いでデルフリンガーに向かって掴みかかってくる衛士の手を、ガチャガチャと暴れるデルフリンガーの柄を両手で押さえ込みながら、士郎はまたもヒラリと華麗に躱す。勢い余って地面にダイブする衛士の男。咄嗟に手を貸そうとするも、士郎の手は、暴れるデルフリンガーを抑えるのに手一杯で貸す手などありはしなかった。最近鞘から抜くどころか話すらしていなかったため、極度にストレスが溜まっていたのだろう。いっそ見事というほどの暴れっぷりである。士郎がデルフリンガーを何とか鞘に収めようと苦労している端で、頭から被った砂をぱらぱらとこぼしながら立ちあがった衛士の男が、鼻息荒く士郎に向けて襲いかからんと身構えた。何時襲いかかっても可笑しくない程興奮状態に陥った衛士を、鞘から抜け出る勢いで暴れながらデルフリンガーは、それでもなお挑発を繰り返す。

「ハッハ―――っ! やれるもんならやってみなこの祈り屋がっ! 金勘定ばかりでガリガリのお前らに、オイラを持ち上げられる事が出来ればの話だけどなぁっ!!」
「きっ、きき、貴様ああああぁぁぁぁぁッ!!」
「ちょ、ちょっと待て。いやさ待ってください」

 もはや人ではなく獣の様体で飛びかかろうとする衛士の前に両手を突き出して止めた士郎は、焦った調子で腰のデルフリンガーに汗だくな顔を向けた。

「何を言っているんだデルフ。少し落ち着け。ここで揉め事を起こして何になるって言うんだ。冷静になれっ!」
「ぅ、で、でもよう相棒。仕方ねえんだよ。おりゃこのロマリアって国がでぇきれえなんだよ。何よりこの国をつくったフォルサテって男がもうとんでもなくいけすかねえ男でな」
「だからって今文句を言う理由はないだろっ! そりゃ気持ちは分かるぞ。人の心の傷を抉り出しては悦に浸る人格破綻神父やら、他人の幸福を潰すのが趣味であると公言して憚らない毒舌シスターやら、カレー狂でキレたら手がつけられないシスターやらと教会関係者には禄な奴がいないって事ぐらいはなぁッ!!! だがなぁっ! そこをぐっと堪えて耐えるのが大人ってもんだろぉぉがぁぁッ!!」
「……い、いや、相棒……お、オイラは別にそこまでは……」
「―――っは?!」

 デルフリンガーを説得しているうちに過去のトラウマが蘇り知らず叫び声を上げていた士郎が我に返り、恐る恐る顔を上げてみると―――。

「…………」
「…………」

 赤等と言ったものは遥か通り越し、顔面を蒼白にして身体を震わせている衛士の姿があった。互いに無言で見つめ合っていたが、衛士が口をゆっくりと開き始めると、士郎は視線を後ろに向けた。士郎の目の合図に気付いたセイバーやキュルケたちが、引きつった顔をしながらもこれから起きるだろう事に対し準備を整え始める。

「―――こ、ここ、ここ」
「……鶏?」
「「「―――ぷ」」」
「―――ッ!! この異端がああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
「どうしたっ!? 一体何があった!?」

 怒りの余り呂律が回らず同じ言葉を続けていた衛士に向かってぼそりとタバサがツッコミを入れた瞬間、幾人かの口から失笑が漏れ、同時に衛士の怒りが爆発した。怪しいやら不敬やらを通り越して、いきなり異端認定された士郎は、無理だろうなと諦めながらも捨鉢な様子で説得を試みるが、それが逆に衛士の怒りを更に買ったのか、そのまま血管が切れて倒れるんじゃないかという勢いで襲いかかってきた。流石にこれだけの騒ぎが起きれば収まる訳もなく、衛士の怒声を聞いて詰所から衛士がわらわらと姿を現した。

「あ~冷静に、今のは教会は教会でも別の教会の話です。落ち着いて話を―――」
「うるさいんじゃこの異端がああぁぁぁぁッ!!?」
「―――聞けって言ってるだろッ」
「グハッ?!」

 しかもタイミングが良いのか悪いのか、丁度士郎が襲いかかってきた衛士を肉体言語で静かにさせた瞬間であり、これによりこの場で全てを丸く収められる可能性はゼロとなった。

「っッ?! 貴様ぁ!? 一体何をしているっ!!」
「ロマリアの騎士に手を出すとは。もしや例の件の奴では―――即刻捉えて尋問しろッ!!」
「……あ~これはやばいわね。あいつら聖堂騎士(パラディン)だわ」

 土煙を上げながら駆け寄ってくる騎士の一団を目にしたキュルケが、引きつった声を上げる。

「話に聞いたことがあるが、あれが聖堂騎士(パラディン)か……しかしあの様子、口を開く前に殺されそうだな」
「どど、どうするのよシロウっ! このままじゃ姫さまの所まで辿り着くどころか殺されちゃうわよっ?! 何であんな事言ったのよっ?!」
「……すまない。思わず積もりに積もった奴らへの不満と怒りを思い出してしまい」
「く、苦労したのね」

 見たことがないほど苦渋に満ちた顔で歯を食いしばる士郎の姿に、思わずルイズは掴みかかっていた手の力を弱めてしまう。

「はあ、こうなっては仕方ない。ここは逃げの一手といこう、かっ」
「ひゃあっ?!」

 動揺して掴みかかってきたルイズの手の力が弱まるのを感じた士郎は、そのままルイズを引き剥がしポイッと横に放り投げた。ルイズが放り投げ飛ばされた先には、事前にタバサが呼んでいたシルフィードの姿が。先にシルフィードの背の上に跨っていたキュルケが、宙を飛ぶルイズを“レビテーション”で拾い上げ引き寄せる。無事にルイズが回収されるのを確認した士郎は、混乱してオロオロと辺りを無意味に歩き回っていたティファニアを抱き上げると、セイバーが呼び寄せた彼女の騎竜である“スタリオン”に飛び乗った。

「一旦逃げるぞっ!! ついて来いっ!」

 士郎が声を上げるのを合図に、二匹の竜たちが空を飛び、ギーシュたちが慌てて“フライ”を唱えて竜たちの後を追う。士郎たちが竜や魔法で空へと逃げるのを見た聖堂騎士たちは、詰所から翼の生えた馬―――ペガサスを連れ出すとそれに跨り後を追いかけ始めた。
 通常であれば竜とペガサスでは飛行速度に差があるため、聖堂騎士たちが士郎たちに追いつく事は不可能であるのだが、互いの距離はじりじりと近づいていた。“フライ”で後を付いてくるギーシュたちがいることから、竜本来の速度が出せないでいるためだ。このままではいつ魔法が飛んできても可笑しくはない。それに何より飛んでいる閒精神集中する必要がある“フライ”での長時間の飛行は不可能である。このままでは逃げきれないと判断した士郎は眼下に広がるロマリアの街を見下ろした。
 ぐるりとロマリアの街を見回した士郎は、碁盤のように整然と整理された区画の外れにある、廃墟に囲まれぽっかりと空いた一つの空き地を見つける。

「セイバー、あそこに降りてくれ」
「わかりました」

 セイバーは指示された先に進路を変え、空き地に竜を向ける。後にルイズたちが乗るシルフィードと“フライ”で後を追うギーシュたちが付いてくる。

「ですがシロウ。これからどうするのですか? 彼らを退けるのは難しくはありませんが……直ぐに増援が駆けつけると思います。その度に相手をするつもりですか?」
「そう、だな。こうなったら奴らをさっさと片付けて、増援が来る前にアンリエッタの元に行くしか……」
「シロウ? どうかしましたか?」

 唐突に言葉が途切れた事に訝しんだセイバーが後ろを振り返ると、士郎は眉根に皺を寄せた怪訝な顔で何処か遠くを見つめていた。迫る聖堂騎士たちでも後を付いてくるルイズやギーシュたちでもない方向に顔を向けていた士郎は口元を不敵に歪めると、セイバーに顔を向け肩を竦めて見せる。

「いや何、どうやら色々と考えなくても済みそうだと分かってな」
「どういうことですか?」
「ま、気にするな。今はともかく後ろの聖堂騎士とやらをさっさと片付けよう」

 何やら意味ありげな視線をまたも明後日の方向に向ける士郎に訝しげな顔をしながらも、セイバーは竜を空き地に着地させた。









 士郎がセイバーの騎竜である“スタリオン”から飛び降りると、シルフィードやらギーシュたちやらが次々に空き地に降りてきた。士郎たち一行が空き地の一角に降りてくると、それを待っていたかのように聖堂騎士たちが乗るペガサスも着陸する。
 士郎はセイバーと共にルイズたちの前へと進み出て、十メートル程距離を取った状態でペガサスから降りてきた聖堂騎士たちと対峙した。
 睨み合い対峙する士郎たち一行と聖堂騎士の一団。すると、この聖堂騎士たちの隊長だろうか、一人の騎士が士郎たちに向かって一歩前に進み出て来た。キザったらしい仕草で肩まである長い髪をかき上げると、士郎たちに向かって、その騎士は胸に手を当て腰を折るという大げさで芝居掛かった一礼をする。顔を上げた騎士の顔は微男子と言っても言い程は整っており、本人もそれを自覚しているのか、自分が一番格好良く見えるだろう向きで士郎たちに相対していた。
 士郎とセイバー、そして背後にいるルイズたちを確認すると、騎士は柔らかな口調で士郎たちに向かって話しかけてきた。

「さて、私はアリエステ修道会付き聖堂騎士隊隊長カルロ・クリスティアーノ・トロンボンティーノと申しますが。神と始祖の卑しき下僕(しもべ)である我々は、無駄な争いにより血が流れるのを好みません。ですので、出来れば大人しく投降していただきたいのですが」
「大人しく投降すれば、身の安全は保証してくださるのかしら?」

 士郎の背後からキュルケが自身の豊満な胸を組んだ腕で強調しながらカルロと名乗る騎士に尋ねる。そこらの男ならば、だらしなく頬を垂らして思わず頷いてしまいたくなるような問いに対するカルロの返事は―――。

「残念ながらそれは確約出来ませんね。実は我々は今とある事件を追っていまして。少しでも怪しい者がいれば、宗教裁判にかけてでも解決しろと上から命令が来ていまして。ですので、すみませんがあなたの願いには応える事はできそうにありませんね。ああ、でも安心してください。あなたがたの無罪が神によって証明されれば、あなたがたの安全はちゃんと保証させていただきます」
「―――そう、なら安心ね」
「ええ、ですのでどうか安心して私たちについて来てください」

 皮肉気なキュルケの笑みに対し、清々しいまでの笑みを返すカルロ。

「だが、断らせてもらう」
「―――ほう、それは何故でしょうか?」

 カルロは細めた目の奥に鋭い光を灯らせ、声を発した士郎に顔を向けた。

「なに、別段特別な理由はない。ただ単純に、お前たちに付いていっては無事に帰れそうにないと判断しただけだ」
「それはあなたがたに何かやましい事があるからでは?」
「はっ、お前たちが信用できるような者たちならばともかく……嘘を言うような奴らではな」
「私が嘘を言ったと? ……何とも失礼な方ですね。一体何を根拠に」

 にっこりと微笑むカルロと彼の背後に控える聖堂騎士を見た士郎は、口元を歪ませて肩を竦ませてみせた。

「血が流れるのを好まないと言いながら―――貴様らは血生臭さ過ぎる」
「「「―――ッ!?」」」

 士郎の背後、ルイズたちが息を呑む。カルロは士郎の言葉に目を見開くと、顔を俯かせ引きつった笑い声を上げ―――。

「ふ、ふふ。なかなか面白い方ですね―――この異端が」

 胸元に下げた聖具を握り締めながら顔を上げ士郎を睨み付けるカルロの顔には、目が真っ赤に血走しり、口角が釣り上がった悪鬼の如き笑みが浮かんでいた。 
 
「異端は黙って我々に従っておけばいいのだ。それを生意気な口をきいて……。生意気な口を聞いたこと後悔させてやる。さあ、神と始祖ブリミルの敬虔な下僕たる聖堂騎士諸君―――異端どもを血祭りに上げろ。最低限口が聞ければ良い」

 大きく開かれた口内は血のように赤く、放たれる口臭は血なまぐさい。狂気に染まった顔で背後に控える聖堂騎士に命令を下したカルロが、手に持った杖を指揮棒のように掲げた。それを合図のようにカルロに従う聖堂騎士たちから魔力のオーラが『ぶわり』と間欠泉の如く吹き上がった。

「“第一楽章”始祖の目覚め」

 カルロの指示に従い、聖堂騎士たちは一斉に呪文を唱え始める。それは士郎が今までこの世界で耳にしてきたものとは違い、呪文というよりも歌に近かかった。歌のような呪文の調べが流れると、士郎の背後からタバサの焦ったような声が上がった。

「―――賛美歌詠唱っ」

 滅多に聞かないタバサの焦った調子の声とその内容に、士郎は顔色を険しくした。

「あれが賛美歌詠唱か」

 タバサの警告に、以前学院の図書館で見た魔法についての書籍に記載されていた『賛美歌詠唱』についての記述を思い出した士郎は、ギラリと眼光を鋭く光らせる。背後ではタバサがギーシュたち水精霊騎士隊(オンディーヌ)に指示し、賛美歌詠唱に対抗するために“エア・シールド”を張らせていた。だが、その強度が足りないのだろうか、タバサの顔色は良くない。 
 ―――耐え切れない。
 そう判断した士郎は、聖堂騎士たちを睨みつけると腰を深く落とすと、鋭く呼気を吐き出し―――。
 
 

 
 鈍くくぐもった音が聞こえたかと思った瞬間、直ぐ横を何かが通り過ぎ、遅れて巻き込まれた風が男の頬を撫でた。呪文の詠唱によるトランス状態から意識を微かに回復した男が、風が吹き寄せた先に顔を向けると―――。

「―――は?」

 男の口から間の抜けた声が漏れ、詠唱が途切れた。瞬間、聖堂騎士たちの握る聖杖の先から伸びてきていた炎の竜巻が、大きく揺らぐと溶けて消えてしまう。聖堂騎士が得意とする賛美歌詠唱の呪文は、彼らの血の滲むような訓練と統率により始めて完成する奇跡のような呪文であり。詠唱の途中で誰か一人でも詠唱に失敗すれば、魔法は失敗してしまう。一人の失敗が全てを台無しにしてしまうのは、聖堂騎士ならば誰もが知っていることだ。
 にも関わらず、その聖堂騎士の男が間抜けなように惚けたような声を上げてしまったのは、自分たちの隊長であるカルロがいた場所に―――。

「何時の間に―――ッ!?」

 自分たちの隊長であるカルロが立っていた場所に、何時の間にか敵である男が、腰を落とし拳を突き出した格好で立っていた。
 呪文詠唱により軽いトランス状態に陥ってはいたが、視界には隊長であるカルロの姿を捉えていた。なのに、気がつけばそこに隊長であるカルロの姿はなく、敵が拳を突き出して立っていたのだ。現状が理解出来ず、思考が停止する。だが、鍛えられた肉体と精神は混乱する意識とは別に既に行動を開始していた。聖堂騎士たちの足は地を蹴りつけ、敵から離れるように後方に飛ぶ。足先が地面に着地すると共にようやく隊長がやられたと現状を把握した聖堂騎士たちは、先程まで隊長が立っていた位置に向け一斉に杖先を突きつけ―――男の目が驚愕に見開かれる。

「―――なっ?!」
 
 杖を突き付けた先に敵の姿はない。
 男の頭に一瞬『幻術か?』との思考が走る。
 
「―――ゲッ!?」
「っご!」
「がッ?!」

 別方向に飛んで逃げた聖堂騎士たちのくぐもった悲鳴が聞こえ、慌てて悲鳴が聞こえた方向に顔を向ける。視線の先、そこには仲間の聖堂騎士の姿はなく、先程と同じような格好で立つ敵の後ろ姿が見えた。仲間は敵から十メイルは離れた位置で折り重なって倒れている。まるでオークの突進を受けて弾き飛ばされたかのような姿だ。

「この化物がッ!」
「貴様一体何をしたっ!?」
「異端がぁあぁっ!」

 男の背後にいる騎士たちも仲間がやられた事に気付いたのだろう。口々に罵りながら士郎()の背中に杖を向け詠唱を始める。男も喉からせり上がってくる悲鳴を押しのけ、呪文を唱え始めるが―――。

「―――ぁ」

 一瞬目がどうかしてしまったのかと思い、詠唱の途中で息を飲んでしまう。
 敵の背中が急に大きく見えたからだ。
 間延びする思考。急激に重さを増した口と身体。後ろで詠唱している仲間の声は耳に届かず、ただ、段々と大きくなる敵の背中だけが思考を占める。世界と男の時間がズレ、妙に穏やかになる思考の中、男は悟った。敵の背中が大きくなっている理由を。別に巨大化している等といったとんでもない話ではなく、ただ単純に敵が背中を向けたまま近づいて来ているだけであると。だが、その速度がとんでもない。その動きがあまりにも速く、一瞬で目の前に現れるため、大きくなったように見えたのだ。
 しかし、そんな事が分かったとして、もうどうしようもない。
 奇妙に穏やかな気持ちで、男は迫り来る赤い背中を見つめる。
 粘度を増した世界、動けずにいる男の視界に最後に映ったのは、真っ赤な敵の背中だった。



 

「―――テツザンコウ」
「え? なに、それ?」

 士郎が残りの四人の聖堂騎士をまとめて背中からの体当たりで吹き飛ばすと、キュルケの隣にいたギーシュがぼそりと言葉を漏らした。聞きつけたキュルケがその意味を問うと、ギーシュはチラリとキュルケを見上げると、自分の知るかぎりの事を口にした。

「ハッキョクケンの技の一つだよ。ま、簡単に言えば、肩や背中を使った体当たりだね」
「へぇ、体当たりねぇ……四人まとめて吹き飛ばすなんて、魔法……というわけではないのよね」
「……その筈だと思う。僕らが使っても、まあ、普通の体当たりよりマシって感じなんだけど、隊長が使ったら“エア・シールド”を使ったとしても吹き飛ばされてしまうし……ほんとあの人無茶苦茶だよ」

 ギーシュが『はは……』と引きつった笑い声を上げていると、残心を終えた士郎が戻って来た。

「シロウ、怪我はありませんか?」
「セイバー。流石にあの程度の輩に怪我を負う程なまってはいないぞ」
「分かっています。ただ確認しただけです」

 士郎とセイバーが軽口を叩くのを、ルイズたちは何処か呆気に取られたような顔で見つめていた。それもそうだろう。いくら士郎が強いとは知ってはいても、ハルケギニアでも恐れられる聖堂騎士たちを、十秒も満たない時間で―――文字通り秒殺してしまったのだ。しかも、剣を使わず素手でだ。しかも士郎は涼しい顔をしており、まだまだ余裕があることを伺わせている。

「だけどこれからどうするつもり? 聖堂騎士がこれで全員なんて事はないわよ。直ぐに応援が駆けつけるだろうし、それともここでロマリアの騎士を全員相手にするつもり?」

 進み出たキュルケが士郎の前に立ちこれからについて質問すると、士郎は応えずチラリと空き地を取り囲む廃墟の一つに視線を向けた。

「シロウ?」
「まあ心配するな。後始末してくれそうな奴の検討はついている」
「え? それって―――」
「そこにいるのは分かっているっ! さっさと降りてこいっ!!」

 『誰のこと?』と続く筈だった言葉は、士郎が唐突に上げた声に遮られてしまった。

「シロウ? 誰かいるの?」
「ああ」

 士郎が視線を向ける廃墟に顔を向けながら、ルイズが不安気な声を上げる。士郎はそれに軽く頷くと再度声を上げた。

「いい加減姿を見せろ。それとも無理矢理引きずり出されたいのか?」

 士郎が低い声で脅すように廃墟に声を向けるが、何の反応も返ってこない。ルイズたちが顔を見合わせ首を傾げてみせる。もしかしたらシロウの気のせい? 等の考えが浮かび疑わしげな視線を士郎に向けた時―――。

風王結界(ストライク・エア)ッ!!」

 ―――渦を巻く風を纏ったデュランダルを振り下ろし、セイバーが風の塊による巨大な不可視の鉄槌によって廃墟を破壊した。

 ……………………。

 ガラガラと廃墟が破壊され、辺りに軽い地響きと瓦礫が地面に落ちる轟音が響き、大量の砂埃が舞い上がる中、士郎たちは崩れ落ちる廃墟を声もなく見開いた目で呆然と見つめていた。

「「「……………………は?」」」

 ようやく声が出たのは、宙に舞う砂埃が地面に落ち切った後のことであった。重苦しい沈黙の後、漏れた言葉はたった一言だけ。何が起きたか理解出来ず口から出た言葉は気の抜けた空気のような声であった。
 ギギギ、と錆び付いたかのような動きで、士郎たちはデュランダルを鞘に収めるセイバーに顔を向ける。

「―――良し」
「何が『良し』、っだああああぁぁぁぁっ!?」

 鞘に剣を収め満足気に頷くセイバーの姿に、士郎が絶叫した。

「……何か問題でも?」
「当たり前だっ! セイバーなんで攻撃したっ?!」
「何故と言われても、あそこに敵がいましたので」
「どうして敵とだと分かるんだっ!?」
「気配を隠してこちらを盗み見ていましたので、あの者たちの仲間かと」
「だからっていきなり攻撃はないだろっ!?」
「シロウの警告を無視しました」
「俺か?! 俺が悪いのかっ!? さっさと事情を説明しなかった俺が悪いのかっ!?」
「シロウ? 事情とは?」

 セイバーが眉を顰めて小首を傾げる。
 士郎は力なく顔を垂らすと、乾いた声を溢した。

「……あそこにいたのがこの騒動を解決してくれるだろう相手だったんだよ」
「……それは、その、すみません」

 事情を理解したセイバーが、身体を縮こませると済まなそうに頭を垂れた。士郎はじろりとそんなセイバーを見やると、大きく溜め息を吐いて顔を上げた。

「しかしセイバー。いくら何でもいきなりアレはないだろ」
「す、すみません」
「何かストレスでも溜まっていたのか?」
「そういうわけではないのですが、シロウの戦闘をただ見ているだけと言うのは……その、何と言いましょうか」

 もじもじと身体を揺らしながら上目遣いで士郎を見上げてくるセイバー。

「手持ち無沙汰?」
「……手持ち無沙汰で殺されては、殺られた相手も堪らないな」

 『はああぁぁ』と重い溜め息を吐いた士郎は、崩れ落ちた廃墟に視線を向け。

「……流石に死んだか?」

 難しげに顔を顰めた時、瓦礫の一部が大きく吹き飛んだ。

「ふむ、予想外にしぶとい」

 瓦礫の下から現れたのは一匹の風竜。崩れ落ちる廃墟の瓦礫を身をもって主人を守ったのだろう。風竜の下には一人の少年の姿があった。風竜の下から進み出た少年は、瓦礫の山を踏み砕きながら士郎たちの前へと歩み寄ってきた。
 士郎たちの目の前で足を止めた少年の姿に、ルイズは驚愕の声を上げた。

「あ、あなた、もしかしてミスタ・チェザーレ?」
「ええ。お久しぶりですねミス・ヴァリエール。しかし姿を表すタイミングを見計らっているだけで、これほど乱暴なノックを受けるとは思いもしませんでしたよ。アズーロがいなければとんでもないことになっていました」

 チェザーレ―――かつてレコンキスタとの戦争で知り合った美貌のロマリアの神官である。ジュリオは背後に控える自分の風竜をチラリと見ると、廃墟への攻撃を加えたセイバーへと視線を向けた。

「初めましてレディ。ぼくはジュリオ・チェザーレ、あそこでのびている騎士たちと同じく始祖と神の忠実な下僕であるロマリアの神官です。どうぞお見知りおきを」

 胸に手を当て優雅に礼を示すジュリオをジロリと上から下まで見回したセイバーは、小さく顎を引き頭を下げた。

「アルトリア・ペンドラゴンと言います」
「美しく、そして勇ましいお名前ですね。あなたに相応しい。ああ、あなたのような美しい方の手によって命を散らすのならば、本望だったかもしれません」

 セイバーに向かって、ジュリオはその美しい顔に笑み浮かばせる。女性ならば誰しも見惚れるような笑みに、しかしセイバーは無表情で相対する。セイバーの様子に肩を竦めて見せるジュリオ。その竦められた肩に、ポン、と無骨な手が置かれる。

「で、そろそろ事情を聞いてもいいか?」
「ん? ああ、すみませんね。ぼくがここにいる理由はちゃんと説明しますよ。しかし驚きました。まさか聖堂騎士を素手で倒すなんて……。強いとは知っていましたが、まさかこれ程とは」

 倒れ伏した聖堂騎士の面々を見渡しながらジュリオが感心したような声を上げる。

「ですが、なぜ剣を使わず素手で戦ったんですか?」
「まあなに単純な理由だ。ああいった輩はプライドだけは高いと相場が決まっているからな。素手で倒された等と口にする事は出来んだろ。だから後々面倒な事にならんようにしただけだ」
「それは、まあ、確かにそうですね。自分から恥を晒すような真似は出来ないでしょう」

 魔法を使うものが素手の平民にやられた等、例え下級貴族でも口にする事は憚れる。ならばブリミル教の守護者たる聖堂騎士が自ら口にするなどそれこそありえない。やられた本人が口にしなければ、それは何も起きなかったことと同じである。隠密な行動は失敗したが、トラブルの可能性は出来るだけ最小限な方がいい。

「まあそういうことだ。で、だ。どうしてお前がここにいる? ロマリアの神官だとは聞いていたが……まさか今ここにいるのは偶然だと言うつもりはないだろな」
「はは、流石に偶然とは言いませんよ。あなた方が今日こちらに到着することは事前に分かっていましたので、聖下の命令に従い迎えに来たんです」
「迎えに、か……。ああ、そう言えばそこに転がっている聖堂騎士たちは“とある事件”を追っていると言っていたが何か知っているか?」

 にこやかに笑うジュリオを細めた目で見返した士郎は、チラリと空き地の端に転がる聖堂騎士に視線を向けた。

「ええ良く知っていますよ。何しろ彼らが追っている事件の切っ掛けとなる噂を広めたのはぼくですから」
「……彼らの殺気立ち様から見て、随分と物騒な噂を広めたようだが」
「まあ、確かにそうですね。なにせ聖下がさらわれたというものですから。ああ、安心してください。広めた噂は全くの嘘ですので」
「何故そんな嘘をついた」

 士郎の目に剣呑な光が宿る。『ははは』と黄金にも負けないだろう金の輝きを見せる後ろ髪を掻きながら、ジュリオは士郎たち一行を見渡した。

「これからあなた達が達成しなければならない任務はかなり危険なものですからね。なのでテストも兼ねてあなたたちの強さを見せてもらおうと思ったんですよ。聖下が拐かされたと言う噂が流れれば、真っ先に狙われるのはあなたたちだろう事は予想できていましたので。あなたたちがあの特異な船で来ることは予想出来ていましたからね。ですが、あなたがた全員の力を見せてもらうつもりでしたが、まさかシロウさんだけで聖堂騎士たちを倒すとは思いもしませんでしたよ。しかも剣を使うどころか素手で聖堂騎士たち全員をのしてしまうなんて……」
「な、何を考えているんだお前はっ! 下手したら死んでたかもしれないんだぞっ!?」
「この程度で死んだらその程度の男だったと言うだけだろ」

 ジュリオの語った衝撃の事実に、ギーシュたちが非難の声を上げる。しかし、ジュリオは涼しい顔のまま肩を竦めて見せた。あまりの物言いに、ギーシュたちが顔を真っ赤にしながらジュリオに掴みかかろうとするが、その前に遮るように士郎が立った。

「―――チッタディラから付いてきている奴がいるとは思っていたが……神官とやらは随分と暇なようだな」
「やはり気付いていましたか……流石と言うところですね。あなたならばもしかすると、一人でも任務を遂行できるかもしれませんね」

 軽口を叩くような口調で言いながらも、全く笑っていない目で士郎を見つめるジュリオ。 

「先程から任務と口にしているが、何のことだ?」

 警戒が多分に滲んだ士郎の疑問に対し、ジュリオは大きく両手を広げるとニヤリとした笑みを返した。

「―――このハルケギニアの今後を左右する任務ですよ。詳しい話は、そうですね。長い話になりますので、ゆっくり食事でも取りながら説明しましょうか。さあ、聖下とアンリエッタ女王陛下もお待ちになっていますし、我らが大聖堂にご案内致します」

  






 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧