優しさをずっと
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第一章
第一章
優しさをずっと
阿部康友先生は教室で皆に教えていた。先生は今本来の授業とは少し違う話をしていた。
「それで、皆はどう思うのかな」
静かで優しい声で生徒達に尋ねる。青いスラックスと水色のシャツを格好よく着ている。背は高く細い顔は引き締まっている。髪は短く刈ってスポーツマンのようだ。
「何が大事だと思う?世の中で」
「お金?」
「頭?」
生徒達は考えながら口々に言う。見れば皆まだ小学生だ。後ろの棚にはランドセルが幾つも見える。黒いものもあれば赤いものもある。
「どれかじゃないんですか?」
「やっぱり」
「確かにどちらも大事だよ」
先生もそれは否定しない。
「けれどね。もっと大事なものがあるんだ」
こう皆に言う先生だった。
「この世の中にはね」
「お金や頭よりも大事なもの?」
「何ですか?それって」
「それは心だよ」
先生は自分の左胸のところを己の左手の親指で指し示して言った。
「心なんだよ。それは」
「心なんですか」
「そうだよ。人は心がないと人じゃないんだ」
穏やかな声で皆に告げる。
「心がないとね」
「心がないと」
「心は優しさだよ」
そして今度はこう言った。
「優しさをなくしたら。人間じゃないんだ」
「優しさをなくしたら人間じゃない」
「そうなんですか」
「それだけは忘れないで欲しいんだ」
生徒達それぞれの目をじっと見詰めつつ語る。
「何があってもね。それだけは忘れないで」
「それって親切のことですか?」
生徒の一人が先生に尋ねた。
「優しさって」
「それもあるよ」
その生徒の言葉を認めた。
「けれどそれだけじゃないんだ」
「それだけじゃない」
「時には向かって行かないといけない」
穏やかだが強さも含んだ目になっていた。
「時にはね」
「向かうっていうと」
「君達の大切な人がいるとするね」
「はい」
「その人達がいじめられていたり暴力を受けていたりする」
このことを語る時先生は何故か悲しい顔になった。
「その時にね。その人達を護ることも優しさなんだよ」
「それもですか」
「うん、そうなんだよ」
生徒達に対してまた話す。
「それもまた優しさなんだ。優しさの為には時として向かって行くこともあるんだ」
「向かって行くことも」
「それも忘れないで欲しい」
確かな声で語った。
「皆、絶対に忘れないでいてもらいたい。先生からの御願いだ」
「御願いですか」
「心を忘れないで欲しい」
また生徒達に告げる。
「絶対にね。何があってもね」
「わかりました」
そうは言いながらも皆ぼんやりとした返事であった。
「それじゃあ先生、頑張ります」
「優しさを忘れないように」
「頼むよ」
くどいまでに言う先生だった。
「それはね。絶対にね」
「はい」
この時はこれで話は終わった。生徒達は阿部先生の言葉の意味があまり、いや殆どわからなかった。しかしある時に。それを見ることになったのだ。
「何じゃその動きは!」
「御前は豚か!」
同じ学校の教師である平生喬一という教師だった。この教師は百キロはあろうかという肥大した大男であり風采は醜く仕草は教師というよりヤクザそのものだった。肩をゆすって傲慢に歩き不恰好なパーマをしている。何かあれば生徒を殴り蹴りしかもそれが執拗なことで有名だった。
おかげで彼は生徒から嫌われているがそれで反省するような男ではない。この日も生徒達に対して些細なことで暴力を振るっていた。
「御前は何処の主将だ!」
「はあ・・・・・・」
「返事はそれか!」
いきなり蹴り飛ばす。剣道の稽古で防具の上からだがそれでも大きく吹き飛ばされた。
「なっ・・・・・・」
それを見て先生も驚くばかりだった。
「幾ら何でもあれはやり過ぎだ」
「やり過ぎなんてものじゃないです」
「僕達いつもああなんですよ」
彼の側にいる剣道部員達が暗い顔で言う。その間にも平生は一回蹴った生徒を次々に蹴っていく。何時しか壁にまで追い詰められていく。
「はいだろうが、はい!」
「は、はい!」
「声が小さい!」
喚きながら今度は殴っていく。やはり防具の上からであってもかなり執拗だ。
「はいは!」
「はい!」
「まだだ!」
「まだだって」
唖然としながら呟く先生だった。
「あんまりじゃないか。あの暴力は」
「そう思います?」
「思うよ」
はっきりと生徒達に答えたのだった。
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