真鉄のその艦、日の本に
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第十二話 終局
第十二話
「おう、遅かったのう」
荷電粒子重砲の管制室に長岡が入っていくと、本木が居た。実にいつも通り、無精髭を生やした飄々とした顔をしている。しかしその手には拳銃。その銃口は長岡を捉えている。
「それ以上近寄んなよ。近寄ったら撃つけんな。」
言いながら、本木は管制室の大きめのスクリーンに、建御雷の位置を示す俯瞰図を映し出した。
「早めに自動操縦にしといて良かったのう。お前らが思ったより、こちらに侵攻してくるんが早かったけん。いや、お前らって言うより、遠沢か。あいつは強すぎたけんな。ま、今はめでたく、この荷電粒子重砲が東京を捉える所までやってきたわ。」
スクリーンに映る建御雷のマーカーから、放射線状に、荷電粒子重砲の射程距離が伸びる。確かにその範囲は、東京都の中心部に及んでいた。
「ここののう、このボタンを押すだけでの、日本の首脳陣達もお終いじゃのう。」
「一度、綺麗さっぱりするってか。この国の既得権益、掴んで離さない連中全員皆殺しにして。」
「そういう事じゃのう。」
本木は、自分の手元に数百万人の命を握っているボタンが存在するという事には、大して何も感じていないように見えた。エネルギー充填は終わっている。この大量破壊兵器は、この艦で起きた惨劇を吸い取って、今はその口を開けて、“死”を吐き出そうとしていた。
「お前らの負けじゃ。頼みの遠沢がここにやって来ようが、まぁ俺は殺されるじゃろうが、俺としては後はこのボタン一つ押すだけで目的達成じゃけのう。どちらにしても、俺の勝ちよ。お前らの逆転はないけぇ。」
この勝利宣言に、眉をピクつかせたのは長岡だった。
「あぁ?アホかお前ェ。今俺がしにきたのは、俺とお前の勝負だけんなァ。東京の事なんざどうだってええわい。とっととそのボタン押して、スッキリしてからかかってこいやァ!」
怒鳴りつけられて、いつも通り飄々とした本木の表情が一瞬崩れた。
「……お前らしくないで?キッチリ真面目に仕事して、情には篤く、そして人間を大事にする。俺が見てきた長岡という男はそういう男だったんじゃけど、のう。」
「たった一年の付き合いで何が分かるんだ、何が!それも、マヤカシの一年間、偽りの研修だろうがっ!」
「俺とお前の間で目的が違うた、その時間の意味づけが違うた、ただそれだけで、その一年間は一年間として確かに存在した一年間じゃ、違うんか?」
がなり立てる長岡と違い、本木は実に穏やかだった。数百万の命を左右するボタンを、すぐ側に擁しているのにも関わらず。自分の目的の達成まで、あと少しまで来ているのにも関わらず。実に穏やかだった。
「お前とは、馬が本当によう合うた。野球が二人とも好きじゃったしのう。お前と俺が野球部の同期という“設定"は、俺が途中から風呂元に入れてもろうたんじゃ。」
「……その記憶がデタラメで嘘っぱちだった」
「じゃ、去年の八月の休暇に皆で松田球場に野球見に行って、大騒ぎした記憶はどうじゃ?」
長岡の中にその記憶はしっかりと残っている。暑い八月に、本木と脇本、田中とでプロ野球を見に行った。楽しかった。艦隊勤務から離れ、教室の椅子に座って研修の毎日というだけでも、学生時分に戻ったように思われたが、そうして野球観戦に出かけると、いよいよ子どものようにはしゃいで良い年したオッサン同士で笑いあっていた。あの記憶は、風呂元の記憶操作から解き放たれても、消えなかった。……楽しかった、思い出だった。
「……もっと違う形で出会いたかったの」
「……今さら、それを言っても遅いわい」
「俺がお前を、友達と思っとるという事は言うておきたかっただけよ。だからこそ、ヤケッパチになって、らしくないお前を見るのは悲しいというだけよ。」
本木はしんみりと、この場にはおよそ似つかわしくない表情を見せた。その表情が、長岡には癪に触った。
「何をさっきからゴチャゴチャぬかしとんじゃい!何が悲しいだ、こんのアホが!お前が今押そうとしとるボタンは数え切れんほどの人間殺せるもんだ、そんなもんちらつかせてきとる時点でお前なんざ人間じゃないわ!お前らのせいで一体これまでに何人死んだと思っとるんだこの野郎!お前らは人でなしだ!今更人の振りなんざすんな!!」
「あぁ、確かにその通りやの。俺は人じゃない。国に作られた、国の役に立つ為に作られた人ならざるもんじゃ。……だからお前ら人が憎いんじゃい。長岡、お前はの、自分で国の役に立つ生き方を選んどる。死に別れる時に“仕事に生きて下さい”そう言うてくれる嫁さんも居た。だが俺らは違う。俺らには選択の余地なんざ無いんじゃ。ある意味、自分から国の為に生きようなんて選択をした……お前ら真っ当な軍人が羨ましい。……なぁ、これ以上俺らのような哀れな生き物を産み出さんように、この国をリセットする事が、そんなにいけん事か?確かに人は大勢死ぬ。だがそいつらはのう、何も知らずにこの国に、俺らのようなクズの犠牲の上に生かされてきたんじゃないんか?本当にそいつらは、“関係のない善良な人間”なんか?違うじゃろ。知らないのも罪だろうが……」
「……あくまでもお前は、日本を、日本人を許さんつもりらしいな……」
長岡は、その手に持った拳銃を逆手に持ち替えて、部屋の隅っこに放り投げた。武器を捨てるこの行為に、本木はまた眉をピク、と動かす。長岡は両手の拳を握り、半身で構えて見せた。
「来いや本木!お前に武器なんざ要らん!人間の力、日本人の力ってもんを見せたるわい!拳でかかってこいや、この人でなしが!」
「……あのな、言うとくけど俺は、一応肉体強化されとるけんな。凡人の、それもおっさんのお前には、俺に勝つことなんざ不可能じゃ。」
「んな事関係あるかいや!俺は絶対に負けんけんな!人が作り出したもんに人が負けてたまるかい!」
意気がる長岡に、本木は呆れたようにため息をついた。そしてコンソールの椅子から腰を浮かし、本木も銃を遠くに放り投げる。
「……やっぱり、全てが終わる前に、お前とはけじめを付けておかにゃーならんのう」
丸腰の長岡に対して、同じように丸腰になった本木が飛びかかった。
バァーーーン!
甲高い破裂音が部屋に響いた。
ーーーーーーーーーーーーー
「なっ……お前……」
腹部から血を流して本木は崩れ落ちる。
その目は驚愕に見開いている。その目の先には、ポケットから瞬時に取り出した拳銃を構えた長岡の姿があった。本木を捉えたのはまさに、長岡の放った銃弾だった。
「……誰も、俺が銃を二つ持っとらんとは言ってないで?」
長岡は、啖呵を切っていた時とは打って変わった冷め切った目で本木を見下ろしていた。
「……お前の、俺に対しての信頼だけは、身に沁みてよく分かった。俺は絶対に卑怯な事はしないと。丸腰を装った騙し討ちなんぞ絶対にしないと、お前は思った。お前は俺を信頼した訳だ。ほんで、俺のバカな誘いに乗って、飛びかかってきた訳だ」
「…………」
口からも血を溢れさせながら、本木は頷く。血を吐く本木の近くまで長岡は歩み寄った。
「最後の最後まで迷った。こげなアホみたいな、卑怯な手を使うかどうかは。でもお前が、俺の嫁の話を持ち出してきた、その時に決意が固まったわ」
長岡は本木の襟首を掴んだ。そして、大きく揺さぶった。
「何が“自分で国の役に立つ生き方を選んだ”じゃい。何が“仕事に生きて下さい”だ!俺の嫁はな、死に際にそんな事は言っちゃくれなかった!その話は嘘なんだよ!そんな下らん話をでっち上げでもしなけりゃ、俺は心を保てんかった、ただそれだけの話だこの野郎!」
本木の腹部の銃創からは血がどくどくと溢れる。それにも全く構わず、長岡は本木に口角泡を飛ばしながら吠えたてた。
「何が真面目だ、何が“良い人”だ、ふざけるな!知った風な口叩くんじゃないわ!俺もこの国への愛想なんてとっくに尽きてる、この仕事への思いなんざとっくに消えて失せとるんだ馬鹿たれ!俺の嫁はな、俺のガキ産もうとして死んだんだよ、最後の言葉は“あなた、助けて”……俺に助けを求めて死んだんだ!俺はその場所にゃ居なかったんだよ、支那の工作船パクってる最中だったけんな!そうして自分の嫁とガキが死んでいく最中に俺は“国の為の仕事”をしてたって訳だ!そして最愛の連中を助けられなんだ代わりに、俺は日本人を助けた……冗談じゃないわい、日本人なんてどこに居るんだ!そんなもん結局はただの他人だろうが!日本だの日本人だの、そんな括りは遠い昔に誰かが決めたもんだろうに、そんなもんに尽くして……俺は結局一番大事な連中を失うたんじゃい!しかも、パクった工作船の船員は腑抜けの政府が勝手に釈放するわ、世間は何故即刻撃沈しなかったとか何とか文句をつけてくるわ……。俺だってなぁ!こんな国潰れっちまえば良いだなんて思った事は一度や二度の話じゃねぇんだよ!」
本木は、長岡の目を見たまま、大きく咳き込んだ。また口から血が溢れる。
何も言い返せない。その元気もないくらい、長岡の銃弾は効いたらしい。
「……それでも結局、俺は軍人として生きるのを辞められなかった。怖かったんだ。軍人としての生き方まで否定して、自分が空っぽになっちまうのが。自分が空っぽだって認めちまう事が。だけん、ああいった嘘を自分で信じ込む事で、これまで生きてきたんだよ。……もう、そうして生きる他に生き方なんて無かったんだ。お前と違って俺はそれを受け入れたんだよ!」
「……ッ!」
襟首を掴んだまま、長岡が視線をふと落としたタイミングで本木はぐったりとしていた体を動かした。不意を突かれた長岡は、自分の腹に冷たい物がめり込んだのを感じた。自分の中から、液体が流れ始める。
刺された。
そう知覚できた時から、痛みが急激に湧き上がってきた。
「……武器を隠し持ってたのは、俺も同じじゃけ。これでおあいこじゃの……」
顔を血で汚しながら、本木がニンマリとした笑みを浮かべた。長岡は本木を掴んでいた手を離し、仰向けに倒れた本木ともども床に崩れ落ちた。力が一気に、入らなくなった。
「……お前にも、葛藤があったって事は分かったわ……失うもんすら与えられなかった俺としちゃ、それでもまだ贅沢な話に聞こえたけどの……」
「……やかましい。お前が俺の事、国に対して何の疑問も持たないようなアホやと思ってそうだったけん、誤りを正してやっただけじゃい……」
長岡はズルズルと這って、もう一度本木に近づいた。
「……お前が思うとるほど、普通の人間も自由には生きとらん……社会だの国だのに生まれた時から組み込まれて、その枠の中でしか生きていけんというのは、お前らも俺らも変わりはないわ……お前らは確かに不幸な境遇の人でなしだ……でも他の連中にその不幸のお裾分けなんざすんな……一人で不幸を抱きかかえて、おっ死ね!!」
長岡は自分の腹に刺さったナイフを勢い良く引き抜き、元の持ち主である本木に深々と突き刺した。更なる苦痛に本木の体がぶるっと震えるが、体の反応とは別に、その表情は穏やかだった。
「……は、は……一人で死ね、か……厳しいのう……もう少し、同情してくれよ……は、は……でもお前にも愛想尽かされるとは……俺も……お終いじゃ……」
本木の口から、息がすーっと漏れていった。力が抜けたその体は、既に本木ではなかった。本木だったもの、になっていた。
「ぐっ……」
長岡も、自分の腹に空いた大穴から血を垂れ流し、何度も血を吐いた。このままでは明らかに致命傷である。しかし、長岡はこの艦であと一人だけ生き残っている遠沢が助けに来る事など、全く期待していなかった。むしろその逆。この場に遠沢が来ない事を祈っていた。血と一緒に精力までもを失いつつある体に鞭を打ち、血にまみれつつある管制室の床を這って行った。
(日本が生み出した“人でなし”は始末したが……始末されるべきはこいつらだけじゃない……)
長岡が目指す先には、荷電粒子重砲の発射ボタン。
(人を裁くのは人だろ……こいつらみたいな人でなしじゃあなく……)
長岡の中では、今その二つは矛盾する事なく並び立っていた。
一つは、この一連の騒ぎを起こした、建御雷の幹部連中を叩き潰し、建御雷を奪回する事。それは、たった今本木を殺した事によって既に達成されていた。
もう一つは、取り戻した建御雷の力をもってして、日本の中枢に巣食う連中を抹殺すること。……これは、本木達の目的そのものだったが、本木達を全員殺した今、長岡は今それを目指している。……矛盾しているように思えるが、長岡の気持ちの上では、何の矛盾も無い。
許せなかった。
自分達の不幸な境遇を呪い、日本への復讐を目論んで関係ない者も平気で巻き込み、そして何より自分の気持ちを裏切った本木達も。
そして、本木達のような化け物達を生み出して、平気で使役している連中も。
その両方が許せなかった。
長岡はコンソールに這いつくばるようにして自分の上体を起こした。コンソールが血に濡れる。激しい動きに、口の中に血が溢れる。視界が霞んだ。霞んだ視界の中にも、あかあかと点灯している発射ボタンはハッキリと映る。
(……あぁ、でも……これを押したら俺も、十分人でなしの仲間入りかな)
長岡は、心の中でぼんやりと呟いた。
しかし、その手は、ボタンに対してまっすぐ伸びる。コンソールに突っ伏すようにして、長岡はそのボタンを、しっかりと押し込んだ。
艦が荷電粒子重砲発射の反動に、大きく揺れた。その轟音を聞きながら、長岡の意識はゆっくりと薄れていき、視界はどんどん真っ白くなっていった。
「……」
動かなくなった長岡の背中に、いつからか管制室のドアの前に立っていた遠沢が、何も言わずに敬礼を送っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ガチィ!
バチィ!
サーベルと日本刀が何度も何度もぶつかり合い、火花を散らす。
最強の物真似師・上戸と、最強の戦士・瀧との格闘戦は、双方譲らず。
いつ終わるかも分からない、消耗戦になっていた。
「!!」
「もらった!」
バチィーン!
しかし、上戸に一瞬の隙が出来たのを瀧は見逃さなかった。双方戦闘能力は全く同じ、勝負はふとした事で決まる。
上戸のサーベルが瀧の一太刀に弾き飛ばされ、大きく宙を舞った。
上戸は咄嗟に飛び退いて瀧と距離をとる。
瀧は日本刀を構え、丸腰になった上戸を睨んだ。
「……らしくないな。余所見とは。」
「そうね。……どうやら、地平線の向こうから大きな大きな“雷”がやってくるみたいだから、気を取られちゃったわね」
上戸がそう言った瞬間、空気が大きく震えた。空の向こうが、夜のはずなのにやたらと明るい。その光に包まれて、周囲はどんどん明るくなっていく。
「……そうか……あいつら、やったのか……」
瀧は穏やかな顔になる。目的を成就させた、達成感に溢れた表情。計画通りだった。ゲリラや中共の敵貞処の連中を利用しつつ、日本の中枢に迫るが、それは囮。建御雷からの超遠距離射撃が、計画の真打ちであった。たかが敵貞処の連中程度で、東機関に勝てるとは思っていなかった。しかし、大きな混乱を起こした事で、日本の中枢に居る連中をこの東京に釘付けにする事には成功した。シェルターすら焼き尽くす荷電粒子重砲の威力ならば、綺麗さっぱり現体制を抹殺する事が出来るだろう。そして何より、東機関の“人でなし”どもが、自分の襲来を受けて、東京に集まっているはず。自分から現体制を守る為に、全戦力を東京に終結させているはずだ。つまり、自分もろとも、日本が生んだ“人でなし”どもは無に帰るーー
全て、リセットだ。
「……俺の勝ちだな」
いつの間にか、周囲に溢れかえった光に細胞の一つ一つを焼き尽くされていきながら、瀧は許された表情で微笑んだ。
その微笑みに、上戸も微笑みを返した。
「……さようなら、瀧くん」
「……またすぐに会うだろ、地獄でさ」
その瞬間に、もう何も見えなくなった。
エネルギーの濁流が一気に押し寄せ、東京をすっぽりと飲み込み、全てを無に返していった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
寺に備え付けの箒とちりとりで周囲を掃き、バケツに水を汲んできて花を刺す所の水を取り替え、新しい花を刺す。線香に火を点けると、花の匂いと混ざり合った、何とも微妙な匂いがした。
黒のスーツに華奢な体を包んだ遠沢は墓石に手を合わせる。石に刻まれた文字は風化してよく読めないが、“長岡”と書かれた部分だけは分かる。
「またこんなクソ田舎まで墓参り〜?まだ“東京事変”の報告書だって完璧に出来てないのに〜」
少し間の抜けた男の声がして、遠沢が振り向くとそこには相変わらず、男前の癖に何故か胡散臭い顔つきをした眼鏡男・古本の姿があった。
遠沢は、地味な服を着ているにも関わらず雰囲気が軽い古本に小さくため息をついた。
「……私が弔わないといけない、そんな気がするんです。……単に、この人に手を合わせたいという気持ちもありますし」
「勇敢だったものなァ。テロリストに占拠された建御雷を取り戻そうと1人残って戦い、健闘虚しく殉職なさった副長様。」
古本が言った事は、それは報告書に記載されている中身で、もちろん古本もその内容を信じた上で言っているわけではない。
古本のからかうような口調にムッとしつつ、同時に脱出艇のプラットホームで戦う意思を自分に伝えた時の長岡の表情、勇敢そのものな姿も思い出され、遠沢はまた沈痛な面持ちになった。
「……古本さん」
「ん?」
「あの荷電粒子重砲、私が射った訳じゃないんです。もちろん、中野さんでもありません。副長が……自らの意思で撃ちました」
「んん〜?何だって〜?聞こえな〜い」
古本は聞こえていない振りをするが、その目は笑っておらず、それは“外でする話じゃないだろう”というメッセージを含んでいる。しかし、遠沢は構わず続けた。
「……副長は、テロリストは絶対に許せなかったんだと思います。でも最後の1人を始末した後、自らの意思で荷電粒子重砲を射って東京を焼け野原にしたのは……テロリストと同じくらい、日本が許せなかったからでは……」
「黙れよ。」
古本は今度は声に出して言い、遠沢の肩を強い力で掴んだ。遠沢は今度こそ口を噤み、古本に引っ張られるままに連れていかれ、墓地の側のスペースに着陸しているヘリに一緒に乗り込んだ。
砂塵を巻き上げながらヘリが離陸する。小さくなっていく墓地を窓から見下ろしながら、遠沢は状況の変化を実感した。自分1人を呼び戻すのに、まるでタクシーのようにヘリを使う。東機関の力を象徴しており、そしてあの“東京事変”以前は、到底こんな事は出来なかった。
東京事変においては、最序盤のゲリラの蜂起、それに続く中共敵貞処の襲撃などで、陸軍近衛師団と民間人に相当数の被害が出ていたが、トドメの建御雷からの超遠距離攻撃の被害はそれらの比ではなく、帝都東京の中心部が丸ごと“消えて無くなった”。
日本政府は一瞬にして消滅したが、そのダメージがまだ軽く収まったのは、国家元首たる天皇陛下が極秘裏のうちに呉鎮守府に出ていた事と、国内最強のインテリジェンス機関である東機関がそっくりそのまま、これまたいつの間にか機能を維持したままで東京以外の場所に移転し難を逃れていたからであった。
……その日天皇陛下が東京に居なかった事も東機関による手引きがあったと考えられている。なおかつ、政府機能の中で東機関だけが“偶然”の直前移転により難を逃れる……こんな偶然が起こりうるはずがないのだが、その不自然に対して文句をつけるはずの、東機関以外の情報機関…内調、警察庁、公安は、今はもう存在すらしていない。
(……あの日、私、そして中野さんに課されていた任務は、裏切り者の抹殺。…その為の、荷電粒子重砲の“発射”。)
遠沢は窓の外の流れていく景色を眺めながら、内心で呟いた。
荷電粒子重砲の発射は、裏切り者の中で最も厄介な、最強の戦士・瀧を殺す為に必要な事だった。瀧を倒すには、大量破壊兵器によって広範囲を攻撃する以外に方法はない。どんな優秀な兵を使った所で、瀧を殺すには心もとない。1人を殺すのに何と大それた事をと思うが、瀧も瀧で常識外れな人でなしなので、ある意味仕方ないのかもしれない。そして、瀧を殺す為に射った荷電粒子重砲が、“ついでに”東機関に敵対する機関を含む日本政府を全て焼き払ってしまうが、それも“仕方がない”。テロリストのやった事として片付けようというのが作戦の概要であった。建御雷を利用した、裏切り者の複製人間達の反逆プランを上戸は知っていた上に、それを利用した。自分達にとって最も都合の良い形で。だから、中野は本木一味に紛れ込み、状況を把握していたのにも関わらず、本気で事態を止めようなどとはしなかった。荷電粒子重砲を射つのが任務なのだから。……結局中野は大量破壊兵器のボタンを押す覚悟を持てず、これまた“任務に失敗”した事にして自ら命を絶った。
瀧を東京にとどめ置く為には、瀧と戦って時間を稼ぐ必要があったが、その役目は最強の物真似師である上戸局長自らが買って出た。あくまで物真似である。瀧の戦闘力を丸ごとコピーしたとして、瀧を倒す所まではいかない可能性が高い。しかし瀧を東京に釘付けにして時間を稼ぐには十分だった。そして最後の瞬間も、瀧は自らの勝利を疑わなかっただろう。荷電粒子重砲による日本政府への直接攻撃は瀧自身の計画にもあった事だから。
しかし実際のところ、瀧が最も倒したかったはずの東機関は上戸が戦っている間に天皇陛下と共に東京を離れていた。瀧にとっての誤算は、上戸が自分の計画を全て把握した上でその計画に乗っかろうとしていた事だった。上戸がここまで多くの犠牲を出すような自分の計画を知っていたのなら、もっと本気で潰しにくるだろうと考えており、荷電粒子重砲を射つ所までスムーズに事が進んだのなら、それは上戸が自分の計画を把握しきれていなかった事の証拠、そう考えていた。そこの所は、上戸に対する、“多くの国民の犠牲を許容する訳はない”という、ある種の信頼があったのだろう。……実際は、上戸は夥しい犠牲を防ぐ事よりも、機関を出た裏切り者を全員殺す事を優先していた。“人命軽視、目標優先”……東機関が複製人間のような“人でなし”を作り出す前から、“人でなし”と呼ばれていた所以を、瀧は忘れてしまったらしい。
それでも、せめて上戸だけでも殺れていれば、瀧もまだ報われる所があっただろう。上戸は生きている。瀧と一緒に、荷電粒子重砲に焼き尽くされたのにも関わらず。
上戸が光の濁流に焼かれる瞬間、上戸が“真似た”のは東機関の新人・徳富の尋常ならざる再生能力である。東京を脱出した部下たちに、上戸は自分の細胞片を持たせていた。東京に存在する体は綺麗さっぱり消滅したが、その細胞片から再生を果たし、上戸は地獄の底から舞い戻ってきたのである。こういう能力の使い方は、能力の本来の持ち主である徳富ですらした事がない。つまり、それは厳密には物真似ではないのだが……一体なぜ成功したかは不明である。
「……地獄は私には贅沢すぎたわね」
生き返った上戸が、そう呟いていたのを遠沢は聞いた。
(……多すぎるほどの人が死んだ。こうやって人が死んで……日本は何か変わるのだろうか?副長が、許せなかった、この日本は……)
遠沢は、視線を上に向けた。ヘリはそれほどの高度では飛んでいない。近くに雲が見える。その雲の切れ間に、太陽が覗き、こちらを睨んでいた。遠沢は眩しさに目を細める。
(私たち“人でなし”は変わらず在り続けるし……その“人でなし”によってかろうじて維持される日本も、殆ど変わらないまま在り続けると思う……)
要約するとこの東京事変は、多すぎるほどの人を巻き込んだ、東機関とその裏切り者の間での内部抗争だった。しょうもないな、と遠沢は思う。裏切り者達は負けた。裏切り者達は、今を壊して未来を紡ごうとしていた。結局勝ったのは、“今”を守ろうとする東機関だった。もちろん、政府機能の殆どが消え失せた事で状況に変化は生まれるだろう。しかし、裏切り者達が変えたかった根本……それは全く変わらないだろう。いや、裏切り者達の事は良い。遠沢が気にかかるのは、やはり長岡の事だ。長岡も、最後自分の意思で荷電粒子重砲のスイッチを押したという事は、裏切り者達と同じく、“今”を壊して、未来を変えたいと思ったのでは……
そんな願いは、恐らく叶いはしないだろう。その願いの為なら、数百万人を“未来の為の尊い犠牲”として屠っても平気だと思わせる、無邪気で残忍な願いは。自分のような化け物をも“人”だと断言して憚らなかった暖かい男を大量殺戮へと駆り立てたその願いは、どうにも叶いそうにない。
日本はこれからも、このままの状態で在り続けるだろう。これだけの血を流したにも関わらず。
(長岡さん……国って、何なんでしょうか…………人の作り出した、人の為のもの……でも今はそれが人の上に在ります……変える事もままなりません……まるで、化け物じゃないですか……)
自分達のような。遠沢はそうぼんやりと思った。国は国民の為のもの、自分達“人でなし”こと東機関も“普通の人間”を守る為のもの。そのはずだが、その主従関係など、いくらでもひっくり返っている。今やそれらの人が生み出したものは、人の手をすっかり離れてしまったように遠沢には感じられた。
「!!」
ふと、ヘリの下から鳥が力強くはばたき、遠沢の目の前を通って、雲の切れ間に覗く太陽を目指して飛んでいった。遠くなっていく鳥の尻尾を視線で追いかけて、遠沢は唇をキュッと結んだ。
(……死ぬ事すら許されない私は、どちらにせよ、生き続けるしかない、か。未来を夢見て死ぬ事が許されないんだから。今を生き続けるしかない……)
閉じていく雲の切れ間に突進していく鳥の後ろ姿を見送って、遠沢は目を閉じた。
下には、日本列島。
そしてそこに、今日も変わらず生きている、日本人達が居た。
後書き
かなり空中分解してしまいました。伝えたいメッセージとしては、最初は
「現状維持にも力が要る」ということ「無邪気に理想を語るのは美しいようでいて
現状維持の為の地道な努力を否定できるほどのもんじゃない」ということ、
そして「与えられた役割に生きること」だったはずなんですが、
どちらかと言えば左翼っぽい話の終わりになったんじゃないかと思います。
話の終わらせ方も分かんなくなって、かなり迷いました。
未熟さを痛感しました。
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