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乱世の確率事象改変

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彼女が手繰る糸


 漆黒の夜天に煌く星は変わらず。

 其処にあるのが命の数であるならば、数え切れるのではないかと、窓から見える星々を一つ一つと指差していく。

 ふと、そういえばと思い出したのは、自分の理解の範疇を越えていた話。

『星の輝きは世界の輝き。一つ一つ、その周りに違う世界がある、かもしれない。ソレと被せてみれば人の命を表すってのも……存外、間違いじゃないかもな』

 静寂に心を沈めて、闇の黒に意識を溶かしていこうと、手を降ろして目を閉じた。

 より鮮明に、より確かに……意識の中でだけは、出会えるから。


 気付けば口の端が上がっていた。

 気付けば心が温まっていた。

 気付けば充足感に満たされていた。


――ほら、こうすれば私は何時でも会える。これだけは壊れないモノだから、誰にも教えてあげない。

 満面の笑みを浮かべていた。

 自身の心に閉じ込めた彼が――――変わらない笑顔で笑っていた。

 次いで、思い出したのは黒き大徳の冷たい声音。

 自分が並び立つべき彼が、どのようにして世界を変えて行っていたか。

 彼女は……心の中の彼に問いかけて、地獄の作り方を思い出して行く。







 寝台の上、抱きしめていた雛里が動いて桂花は目を覚ました。

「……雛里?」

 返答は無く、ふるふると震えている身体に気付いて、その小さな背をゆっくりと撫でつける。
 淡い吐息が一つ、耳に掛かった。
 すっと身体を離すと見えた彼女は、寂しげな笑顔を浮かべて……その目が涙に濡れていた。

「また……思い出してたの?」

 翡翠の瞳が揺れる。自分を見ているようで見ていない。幾度の夜、彼女のそんな姿を見てきた。
 答えは無く、甘えるように、雛里は桂花に身体をすり寄せた。

 人の温もりを感じたくて
 それを彼の温もりだと錯覚させられるように

 分かっていようとも、桂花には受け止める事しか出来なかった。
 ぎゅっと抱きしめて、いつものように一人の男への苛立ちを膨らませて行く。

「桂花さん。今日も次の戦のお話をしましょう」

 冷たい声音で、彼女は言った。それが鳳凰のモノであるのは、毎日話をしているから知っていた。
 華琳が帰った後に、仕事場では仕事の話を、寝台の上では思いついたままに戦の話を繰り返してきた。
 たまに寝台の上で雛里は鳳凰になる。鋭く研ぎ澄まされた思考は、桂花の考え付かないモノを導き出し、加えて雛里一人の思い付きでは有り得ないようなモノを献策してきていた。
 ゴクリと生唾を呑み込んだ桂花は、少しばかり怯えが浮かぶも、出来る限りいつもと変わらない声を返す。

「次の戦の話って言っても、基本方針はもう変わらないでしょう?」

 これまで話し合ってきた結果を以って、桂花はそう、問いかけた。

「ふふっ……」

 小さく、彼女は笑う。
 妖艶な大人の女の声にも、幼子特有の甘い声にも聞こえるそれが耳を打ち、桂花の背筋に寒気が走る。

――なんて声で笑うのよ、あなたは。

 胸が締め付けられた。恐怖に肌が粟立った。ひやりと、桂花の心臓に手を這わされた冷たい感覚がして、歯を噛みしめて耐えた。

「はい、でも……あの人ならもっと綺麗に、そして残酷に捻じ曲げるなぁって……思い出しました」
「……黒麒麟が?」

 這いずる恐怖に耐えかねて震えはじめた自身の声に、桂花自らが驚いた。
 雛里はその名を聞いて……はぁ、と愛しげに吐息を一つ。

「そうです。私達が積み上げた策は……もっと、もっと高められます。たった一つ、手を打つ事によって」

 正しく、ぞっとした。
 自分達の考えた此処からさらに昇華させられる方法があると聞いて……では無く、それが一つの追加によるモノからという事実に。
 雛里ほど才のある者が、一つ、と言ったのだ。
 策とは……本来は真っ直ぐなカタチで通したいモノが出来ないからこそ、幾重にも糸を張り巡らさせて、結果に辿り着く為に研鑽して積み上げるモノ。
 その幾重にも張り巡らせた糸が、たった一つ加えるだけで全てを変えられると言うのだ。
 確かに一つの糸を引けば、他の糸が繋がって引き上げられてくるは必至ではあるのだが、通常であればどれかに綻びを持たせてしまうか、切り捨ててしまうはず。
 だから雛里が言っているのは、綻びを出さずに昇華させる方法があるという事。
 それがただ、恐ろしいと感じた。

「……きっと彼が戻るかどうかギリギリの線になるでしょう。一度だけ彼には……黒麒麟に戻って貰います」

 疑問が頭に浮かぶ。
 今の秋斗が策に関係して来るなど、桂花の予測の範囲を超えていた。
 さらには戻したくないはずなのにそれをする雛里の心も分からなかった。
 しかし、雛里の声は確信を含んでいる。それをすれば全てが上手くいくのだと。

「今の私は覇王の為の鳳凰です。彼を戻したくない、とは言っても、華琳様の理想の一助となるならば彼を賭ける事も躊躇いません」

 心の内の疑問を見抜かれ、桂花はまた戦慄に凍る。
 これが鳳凰なのだ。
 主が描く世界の為に、自分の大切なモノをも切り捨てる……では無い。華琳がより最高のカタチで乱世を越えて行けるようにと、そして彼が戻るという事態は起こらないとも、計算し尽くした上で全てを操る。
 何を以ってして戻らないと確信しているのかは分からずとも、華琳の為と言われては、桂花もこれ以上の沈黙を許す訳にはいかなかった。

「詳細を……教えて」

 軍師として冷たく、桂花は声を零した。雛里の身体と心を暖められるように、友としてはぎゅっと抱きしめて。
 苦笑を一つ。雛里はゆっくりと冷たい声を紡いでいく。

「ありがとう、ございます。では失われたモノを使いましょう。私達がするべき事は――――」

 つらつらと話された説明に、桂花は悲鳴を上げそうになった。どうにか抑え込んでも、震える身体は止まらなかった。
 恐ろしい……本当に恐ろしい方法だった。
 それはたった一つで多くを捻じ曲げられる、綺麗で、残酷な……誰かにとっては痛ましい策だった。
 説明を終えた雛里は、ぎゅっと桂花を抱きしめて目を瞑った。
 策の有用性に気付いているから桂花は追加で何も聞かず、その身体を抱きしめて、畏れから逃げるように瞼を降ろした。
 緩く笑みを浮かべて雛里は思考に潜る。涙を一筋、零しながら。

――華琳様なら、きっとあの人に『他者を救いたいと心から望んだ時にだけ戦場に立たせる』と命じてるはず。

 覇王は自らの願い無く人を殺すモノを認めない。そんな事は雛里も分かり切っていた。
 黒麒麟の願いが後から沸き立った心の底からの願いであると教えても、そうせざるを得ないのだと。

――過去との相違は十分。人を殺しても戻らなかったら……私の考えた策で、“覇王の為に戦う黒き大徳”が完成される。

 戻る事も視野に入れて、それでも尚、彼が戻らない事を願っている。ただ、彼に幸せになって欲しいが故に。

――皆、気付かない。私と一緒であの人はあの時から、二つの自分を切り替えていた。だから今度は、黒麒麟とは似て非なるモノを――――覇王に近しい黒き大徳と、治世に平穏を生み出せる優しいあの人を……私が確立させる。

 秋斗の事を誰より知っているから、黒麒麟になろうとすることなど……初めから計算の内だったのだ。
 月が雛里に対して諦めないでと言った時点で秋斗を戻そうとするは明白。求めれば求める程に、先にあったはずの想いを知っていくだろう。
 そうして誰かの代わりに役割を演じようと踊る道化師に、雛里がそっと、最後の演目を知らせるのだ。

――黒麒麟の代わりに想いを繋ぐのは私。これから新しく想いを繋いでいくのは彼自身。矛盾の刃は無く、混ざり合った想いのカタチを携えて、覇王と願いを共にする徐公明が生まれる。徐晃隊と想いを同じくしながら、徐晃隊には成り得ない彼が出来上がる。

 そこに現れる彼は嘗ての徐晃隊と何が違うのか……。
 何も変わらない。想いも、願いも、在り方も、全てが変わらない。ただ一点、新しく生きられる可能性を示される事だけが違う。
 だから彼女は、鳳統隊を手放すつもりは無く、彼と共に戦える戦場を彼らに与え、他の道を指し示したのだった。
 徐晃隊はどうなりたいか。決まっている、彼になりたいのだ。
 されども、前の彼とは違うから追い縋れない。その歯車の軋みは大きい。
 なら、彼女が道を示せばいい。同じ戦場で彼と共に、違う部隊として肩を並べて戦って、自分達が彼に見せつければいい、と。
 昔の自分と今の自分のズレは大きい。追い縋るが故に、彼は黒麒麟になれないのだから。
 そうして、雛里は秋斗が戻らないと確信していた。

 程なくして、彼女を抱きしめる桂花から穏やかな寝息が聞こえ始めた。
 ほっと一息ついたと共に、ズキリ、と胸が痛んで、彼女は眉を顰めた。

 胸に来るのは罪悪感。
 黒麒麟が絶対に繋げない想いを持っていたであろう一人を、今の彼を救う為に利用しようと決めたから。


――ごめんなさい。彼の幸せの為に、そして私の願いの為に、あなたを利用します。ごめんなさい――――――関靖さん。 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

短めです。ここからしばらく雛里ちゃんの話は無いです。
鳳凰が考えた策略はなんでしょう。
それが黒麒麟と共に出した策ならば、世界の全てを捻じ曲げる一手です。

もうすぐ戦が始まりますね。

ではまた 
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