良縁
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第十二章
第十二章
「こうなっていたのですか」
「ここに。住んでいます」
静かな声で伊藤に答えてきた。
「その。婆やとお手伝いの人達と」
「そうでしたね」
「ええ。それで今日はお父様が来られていて」
「ええ」
「こちらです」
右手でそっと前を指し示してきた。
「こちらを。昇って下さい」
「二階ですね」
「はい、こちらです」
こう伊藤に告げてきた。
「こちらに。どうか」
「わかりました。それでは」
こうして祥子に案内されて階段を昇っていく。階段は一歩ごとに木を踏む音がする。その重く低い音を聞きながら二階に上がり。そうしてその中の一室の前に案内された。
「お父様」
祥子はその焦茶色の扉をノックしてからこう呼んだ。
「お連れしました」
「うむ」
重厚な返事が返って来た。伊藤はその声を聞いていよいよだと心の中で身構えた。その岩山善四郎、祥子の父の声であった。
「それでは。御前も来なさい」
「わかりました」
父に対して告げ終わる。その後でまた伊藤に対して述べてきた。二階は吹き抜けになっており館の中央を囲むようにして四方に部屋がある。廊下に沿って並んでいる。二人のそのうちの一室の前にいるのだ。
「それでは。御一緒に」
「はい」
こうして二人でその部屋に入る。部屋に入るとそこに袴の一人の老人が立っていた。小柄であるが姿勢はしっかりとしている白髪頭を奇麗に後ろに撫で付け顔は端整で唇が薄い。言わずと知れた岩本善四郎だ。日本の黒幕の一人とすら言われるその大物である。
「はじめまして」
「はい」
伊藤はその老人の言葉に敬礼で挨拶を返してきた。
「私のことは知っているな」
「ええ」
緊張し目を向けて彼の言葉に応えた。
「岩本公爵ですね」
「そうだ」
重厚な声であった。
「私がな。岩本善四郎だ」
「お話は聞いています」
伊藤は静かにこう言葉を出した。
「この館の主だと」
「そう。そしてだ」
岩本は祥子に顔を向けてまた言ってきた。
「祥子の父でもある」
「お父上ですか」
「既にそれは聞いていると思う」
それを見抜いての言葉であった。
「違うか」
「いえ」
その気迫と威圧感に負けそうだった。伊達に首相を務め黒幕とまで呼ばれているわけではなかった。若い頃は世界各国を歩き回り修羅場を潜り抜けてまで日本の為に動いていたという。そうした生い立ちからも発される威圧感であり伊藤は内心たじたじとなっていた。だがそれでも何とか彼と対していたのである。
「その通りです」
「そうか、やはりな」
岩本は彼の今の言葉を聞きまずは頷いた。そしてそれからまた言ってきた。
「それではだ」
「何でしょうか」
「話がしたい」
彼の方から切り出してきた。
「それで君にここに来てもらったのだ」
「そうでしたか」
「伊藤真太郎少尉だったな」
今度は彼の名を呼んできた。
「間違いないな」
「その通りです」
ここでも隠しはしなかった。隠してどうにかなるものではないことがよくわかっていたからだ。だからこそ毅然として返したのである。
「それは」
「そうだったな。では」
「はい」
「まずは座ろう」
こう伊藤に言ってきた。
「そこのソファーにな」
「わかりました。それでは」
「では祥子」
「はい」
今度は祥子に声をかけ彼女も静かに応えてきた。
「コーヒーを用意してくれ」
「畏まりました」
「三つだ」
数も指定してきた。
「三つだ。いいな」
こうしてコーヒーも言われ伊藤は部屋の黒い皮のこれまた重厚な幅の広いソファーに座った。向かい側には岩本がどっしりと腰を下ろしている。祥子は彼の横だ。小柄の筈なのに威圧感は相変わらずだ。伊藤はその彼と何とか対しながらそこにいるのであった。
コーヒーも手につけない。ただ待っていたのだ。彼が何を話すか。固唾を飲んで彼の動きを待ち見守っていたのである。そして。
「話は他でもない」
「何でしょうか」
「娘のことだ」
横目で祥子をちらりと見ての言葉だった。
「娘は間も無く学校を卒業する」
「そうなのですか」
「以前から決めていた」
今度はこう言ってきた。
「学校を卒業したならばすぐにだ」
「すぐに?」
「嫁がせるつもりだった」
「左様ですか」
「そしてだ」
伊藤に言わせないかのようにまた言ってきた。両手を和服の袖の中で組みそれがまた威厳を醸し出していた。一介の海軍将校では到底太刀打ちできないものがそこにはあった。
「君にここに来てもらった」
「私に」
「娘のことは知っているな」
今度はこのことを問うてきた。
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