分裂
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第一章
第一章
分裂
分かれたのは国だけではなかった。民族もだった。
かつてチェコスロバキアという国があった。しかし今その国がなくなろうとしていた。
冷戦が終わりその時にこの国も民主化されることになった。その時にだった。
「民主化になったのはいいことだ」
「もうこれでソ連の顔色を窺わなくていいんだ」
まずは市民達はこのことを喜んだ。これはチェコ人もスロバキア人も同じだった。
しかしであった。民主化と民族自決は同じものだった。何故ならソ連は多くの民族を抑圧していたからだ。その証拠にバルト三国が独立しようとしていた。
ドイツは一つになろうとしておりユーゴスラビアは分裂しようとしていた。そしてその分裂はチェコスロバキアにも及んでいたのである。
「もう一つの国になっている必要はない」
「分かれてそれぞれやっていくのだ」
分裂派は両方にいた。そうしてそれぞれ同じことを主張していた。
「我々はチェコ人だ」
「私達はスロバキア人だ」
それぞれ同じことを言っていた。
「自分達の国でやっていこう」
「自分達の国を持つのだ」
こう言って分裂をすぐに決めてしまった。チェコスロバキアはこうして二つの国になってしまった。しかし多くの者はそこに悲しさも感じていた。
「今まで一つの国だったのに」
「お互い仲良くやっていたのに」
こう思うのはそれぞれの分裂派ですら多少持っていた。チェコスロバキアはまずそれぞれの民族の融和を第一に考えて国家を運営してきた。チェコ人の大統領が出たならばスロバキア人の首相を選ぶ。他にも常にお互いのことを考え合っていた。彼等はバルカンのように過去血で血を洗う凄惨な殺し合いは経てはいない。だからそれも可能だった。そうして彼等は互いのことをよく知っていた。中には夫婦になる者すらいた。そしてそれは少なくはなかった。
プラハは美しい街だ。かつてはチェコスロバキアの首都だった。この街にはあの色事師カサノヴァもいたことがあるし彼をモデルにしたと言われているモーツァルトの歌劇『ドン=ジョバンニ』はここで初演が行われている。そして昔ながらの美しい街並みを誇っているのだ。
東欧そのものとも言える。白い壁に赤い高い屋根を持つ家が並び窓が整然と並んでいる。通りはバランスよく続き時折美しい曲線も描いている。そうしてカトリックの寺院がこれまた鋭角の屋根を見せその上に十字架をもうけている。その煉瓦の街の中を今一組の男女が歩いていた。
「ねえエディタ」
「ええ」
小柄でブロンドの透き通った顔立ちの青い瞳の美女が茶色の髪にこれまた青い目の自分より頭一つ大きいコートの若者の言葉に応えていた。
「僕達の国が」
「そうね」
二人は少し俯いて並んで歩きながら話をしていた。
「分裂。したわね」
「もうチェコスロバキアはないんだ」
青年は少しばかり沈んだ声でまた述べた。述べながらその石の路を歩く。石畳の路を。
「これからはね」
「チェコと」
「うん。スロバキア」
二人で言った。
「エディタ。君の国籍はだから」
「そうよ。スロバキアになるわ」
エディタは青年の言葉に俯いたまま答えた。
「それでペテル、貴方は」
「チェコ人になるね。これからは」
「因果なものね。ソ連も共産主義もなくなっても」
「国家が分かれてしまうなんて」
「ドイツは一つになってけれど私達は分かれて」
「民族自決か」
ペテルはここで上を見上げた。空は白く虚ろな色の雲が完全に覆ってしまっていた。
「聞こえはいいね」
「ええ。そして理念としてもいいわ」
二人はそれは認めた。
「けれど。私達はね」
「ずっと。一緒だったからね」
「私がここに来たのはまだお母さんのお腹の中にいる頃だったわ」
エディタは前を見ていた。そこにはティーン教会が見える。二つの塔が並んで立つ白と暗灰色が印象的な対比を見せているこの教会はプラハの象徴の一つでもあり。彼女は今それを見ているのだ。
「それで子供の頃からずっとあの教会を見ていて」
「僕もだよ」
そしてそれはペテルも同じだったのだ。
「あの教会の塔には僕もよく登ったよ」
「そうね。私もだったわ」
彼女はこれも彼と同じだったのだ。
「そして貴方と出会って」
「よく覚えてるよ」
ペテルもまた教会に目をやってきていた。その塔のある教会をだ。
「あの時。僕達はまだ学生だったよね」
「お互い高校に入ったばかりで」
二人の出会いはその時だったのだ。
「たまたま教会のあの塔の中でぶつかってね」
「痛かったよ、少し」
ここで少し苦笑いを浮かべるペテルだった。
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