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Chocolate Time

作者:Simpson
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第2章 秘密の恋人
2-2 デート
  デート

 明くる8月5日。土曜日。

 朝、起きるやいなや、ケンジは部屋を飛び出し、隣のマユミの部屋のドアを小さくノックした。
「マユ、起きた?」
「あ、ケン兄」
 中で声がして、ぱたぱたというスリッパの足音が近づき、すぐにドアが開けられた。
「ケン兄っ!」マユミはドアの前に立っていたケンジにぎゅっと抱きついた。
「マユ」ケンジも抱き返した腕に力を込めた。

 そしてケンジはそのまま彼女の耳元で囁いた。「マユ、今日一緒に街に行かないか?」

 腕をほどいたマユミは目を輝かせて、ケンジの顔を見た。「行く行く!」
「おまえ、部活午前中で終わるんだろ? 昼にどこかで待ち合わせしよう」
「やったー、ケン兄とデートだ」マユミは飛び跳ねた。
「でも、人目につくのはやばいかな……」
「なんで? 別にいいでしょ? 兄妹なんだから」
「でも、おまえ……」
「街の真ん中で我慢できなくなってキスしちゃったりするの?」
「うーん……」ケンジは顔を赤らめた。
「しちゃうかも知れないんだー」マユミは恥ずかしげに笑った。

 階下に下りた二人は、揃って洗面所に入り、マユミが先に顔を洗った。その鏡に映った様子をケンジは胸を熱くして背後から見守った。

 食卓に就いたケンジは、マユミのコップにグレープフルーツジュースを注いだ。
「ありがと、ケン兄」マユミはケンジに笑顔を向けた。

 母親がトーストを皿に載せて運んできてテーブルに載せた。
「あんたたち、そんなに仲良しだったっけ?」
「ん?」ケンジは手に取ったそのきつね色に焼き色のついたパンに噛みついたまま目を上げた。
「ずいぶん妹に親切じゃない、ケンジ」
「ケン兄はいつも優しいよ」隣のマユミがニコニコしながら言った。
 母親は思いきり怪訝な顔をした。「そうだった?」


 その日の昼過ぎ、部活が終わると、ケンジはダッシュでロッカー室に飛び込んだ。
 後から入ってきた康男がいぶかしげな目をして言った。「ケンジ、なに慌ててるんだ?」
 ケンジはそれに答えもせず、焦ったように着替えを済ませると、道具をバッグにぎゅっと押し込み、それを肩に担ぐと、入り口にぽかんと口を開けて立っていた康男の横をすり抜けて表に飛び出し、一度立ち止まってその友人に顔を向けた。
「じゃあな、康男、見送りありがとう」
 そして駐輪場に全速力で駆けていった。

「いや、別に俺、おまえを見送ってたわけじゃ……」康男は結果的に独り言を呟いていた。

「何だ、どうした、康男」
 プールから下りてきた拓志が言った。
「ケンジのやつ、めちゃめちゃ焦って帰ってった」
「へえ」
 拓志も康男の見ている方に目を向けた。丁度ケンジがつまずきそうになりながら建物の角を曲がって見えなくなったところだった。


「マユっ!」ケンジが大声を出した。マユミは振り向いた。
 すずかけ三丁目の最も賑やかな紅葉通りアーケードの入り口近く、海棠家からもそれほど離れていない公園の、ブランコ横のベンチにマユミは一人で座っていた。
「ケン兄!」マユミは立ち上がり、自転車を押しながら息を切らして走ってくるケンジを満面の笑みで迎えた。
「待ったか?」
「ううん。あたしも今来たとこ」
「そうか」ケンジはにっこり笑った。

「どうする? マユ。一度帰ってから出かける?」
「そうだね、部活の荷物は邪魔だね、確かに」
「よし、じゃあ……」ケンジは言葉を切った。「えーと……」
「どうしたの?」
「母さんに何て言おう……」
「別に普通にしてればいいんじゃない? あたし平気だよ。ケン兄と街に出かけるから、って言えばいいだけじゃん」
「疑われないかな、俺たちの関係」
「兄妹でしょ?」
「で、でもさ……」
「ママの前で抱き合ったり、キスしたりするわけじゃないし」
「うーん……」
「キスしちゃったりするかも知れないんだ、ケン兄」
「いや、しないから」


 二人がそこから家に帰り着くのに5分とかからなかった。

 マユミが着替えて、先に階下に降りてきた。
「ケン兄と街に出かけるから、ママ。お昼はいらないよ」
 リビングで主婦雑誌をめくっていた母親が顔を上げた。「ケンジと?」
「うん」
「二人で街に何しに行くのよ」
「たまにはいいでしょ、兄妹水入らずで過ごしても」
「水入らず、って、あんたたちここでずっと一緒に暮らしてるのに、わざわざそんな……」

「み、観たい映画が、丁度マユと一緒だったんだ」
 後から下りてきたケンジが言った。
「映画?」
「そう」
「二人で映画観るの? 食事して?」
「そ、そうだけど」
「そんな事は彼女とやるもんでしょ?」母親は思いきり怪訝な顔をした。「それじゃあんたたち、まるでシスコンにブラコンじゃない」
「兄妹いがみ合ったらきつい、ってママ言ってたじゃん」
「そこまで仲良くしろ、なんて言ってないわよ」
「彼氏ができたら、ちゃんとその人と食事や映画に行くから」マユミはにっこり笑った。

「好きにしたら」母親は呆れて、再び雑誌のページをめくり始めた。


「何が食べたい? マユ」
 ケンジとマユミ兄妹は並んでアーケード街を歩いていた。
「ケン兄は?」
「俺は何でもいい」
「それじゃ話が続かないよ。言って、今食べたいの」
「そうだなー、やっぱ肉系かな」
「いいよ。それにしよ」
 マユミは笑いながらケンジに腕に自分の腕を絡ませた。
「マ、マユっ! やめろよ」
 ケンジは赤くなって、その腕を振りほどいた。
「どうしてだよー」マユミは口をとがらせた。
 ケンジは声を潜めた。「お、俺たちが秘密の関係だって事、ばれたらどうするんだ」
「兄妹だから平気だよ」
「いや、お、俺はあんまり平気じゃない……」

 二人はハンバーガーショップの隣にあるステーキ店に入った。
「ランチ、800円だって」
 マユミがテーブルに置かれたランチメニューを見ながら言った。
「俺、これにする。サイコロステーキ・ランチ」ケンジは指さした。
「あたしハンバーグステーキ・ランチ」
 そして水の入ったグラスに手をかけた。

 窓から表を眺めていたケンジが言った。「こうやって見るとさ、マユ」
「うん」マユミもアーケードの通りに目をやった。
「カップル、意外に多いよな」
「そうだね」
「俺たちみたいに、兄妹のカップルもいるのかな」
「見た目ではわからないね」
「手を繋いでたりするのは、明らかに恋人同士、だろ」
「兄妹だって不自然には見えないと思うけどな」
 ケンジはにこにこ笑うマユミの顔を見た。「マユ、おまえって、大胆だな、そういうとこ」
 マユミもケンジの顔を見た。「そうかな」

「ケン兄は、手を繋ぐのはアウトなんだね?」
「う、うん。人前では……」
「腕を組むのは?」
「それもちょっと……」
 マユミは面白くなさそうな顔をした。「つまんない……」
 ケンジは少し慌てたように言った。「そ、そうだな、おまえの肩を抱くぐらいなら……いいかな」
 マユミはにっこりと笑った。「嬉しい。やってやって、食事の後」
「だ、だけど、あんまり身体を密着させないでくれよ」
「ケン兄、ほんとにシャイなんだから」
 ほんのり頬を赤らめた兄を見てマユミは笑った。


 食事が済み、通りに出た二人の背後から声がした。
「ケンジ!」
 ケンジとマユミは同時に振り向いた。ケンジはとっさにマユミの肩に乗せていた手を離した。
「あ、ケニー」

 すらりとした体つき、ブロンドの短い髪、そして淡い碧眼をくりくりさせて、その青年は二人に近づいた。
「なんや、ケンジ、つき合うてる彼女、おったんか」
 ケンジの隣でぽかんと口を開けたままその外国人を見ていたマユミは、ようやく小さな声で言った。「だ、誰なの? ケン兄」
「ああ、こいつは今、俺の高校に部活留学生として来ているケニー。ケネス・シンプソン」
「よろしゅうに」ケネスは笑いながらマユミに手を差し出した。
 マユミは、恐る恐るその手を握り返した。その白い手は温かくて柔らかな感触だった。

「期待を裏切って悪いけど、ケニー、こいつは俺の妹だ」
「へ? 妹?」
「そうだ」
「そうやったんか、これがおまえがいつも話しとった双子の妹マユミはんか」
 ケネスはマユミの身体を頭からつま先まで眺めた。
「思った通り仲良しなんやな」
「何だよ、思った通りって」
「おまえいっつもこのマユミはんの事話す時は、にこにこ生き生きしとるやんか」
「か、勘ぐり過ぎだ」ケンジはほんのりと赤面して目をそらした。
「ほな、二人の邪魔せんように、わいはこれで」
 軽く手を上げて、その大阪弁をしゃべる爽やかな笑顔の青年は、口笛を吹きながら歩き去って行った。

「ケン兄、あの人外国の人なのになんで大阪弁なの?」
 ケンジとマユミは再び歩き出した。
「ああ、あいつの母ちゃんは大阪人。父ちゃんがカナダ人」
「ダブルなんだー」
「あいつ自身は日本で生まれて、10歳まで大阪に住んでたんだ」
「そうなの、だからあんなにたっしゃな大阪弁をしゃべるんだね」
「そ。で、今はカナダのトロントに住んでるって言ってた」

 二人は映画館の前にやってきた。
「思ったより人が少ないな」
「そうだね」
 ケンジはチケット売り場に足を向けた。


 映画を観終わって通りに出たケンジとマユミは、それから喫茶店に入って喉を潤し、帰宅したのは6時前だった。 
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