君に出逢えた奇跡
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二
「ただいまー」
二人で帰ってきても及川は必ずと云っていいほど挨拶を欠かさない。だから岩泉がおう、と応えて靴を脱ぐとリビングに荷物を置いてソファーに体を沈める。及川はというと、冷蔵庫を覗いて缶ビールを二本見つけては岩泉に運び乾杯を求めるように首を傾け、ビールのプルタプを開ける。
「ん、かんぱーい」
「おめでとー!」
妙にまだ高いままのテンションでソファーに凭れるようにアイボリーのラグの上に座り込んだ及川がぐびっ、美味そうにビールを煽るものだから、岩泉もプルタプを開けてキンキンに冷えたビールを煽る。
口内に広がる苦味としゅわしゅわとした炭酸が喉に通ってすっと胸に落ちていく。ぷはーっ、及川が声を上げ、それから岩泉を見上げて笑って。
パチ、かち合った視線を絡め取るとどちらかともなくキスをした。触れるだけのキス。
「後二十日したら及川さんが生まれまぁーす」
くぴっ、小さく喉を鳴らしながら及川が告げる。
そう、岩泉が産まれて、四十日、及川徹はこの世に居なかった。不思議。傍に居るのが、当たり前だった二人にとって唯一、独りきりだった時間。勿論、こういう関係になる前は別々に過ごした時もあったけれど、それでも何処かで二人は友人を通してだとか、そういうことで繋がってたのだから当たり前が当たり前じゃなかった瞬間が確かにあったことが不思議だった。
「お前、すげぇ、時間かかったんだろ産まれてくんの。とっととくりゃよかったのに」
ぼやくように呟いた岩泉を見上げた及川がソファーに両腕を乗せ乗り上げて、なになに、やっぱ寂しかったんだーはじめ!とか揶揄うものだから岩泉は鼻を鳴らす。
なんとなく、そう、寂しいのだ。及川が居ない世界があったということが。なんでと云われたら答えられないけれど、なんでだか。きっと、待ってた。及川が産まれてくるのを産まれる前からずっと。なんて、云ってやらないけれど、そう岩泉は心の中で思うと口許を緩めるものだから及川がなになにー?とそのまま岩泉の膝の上にまで乗り上げる。頬はほんのり蒸気しておりニコニコと上機嫌だ。
「なんでもねーよ、バーカ」
鼻先をつはまじいてやると柔らかい前髪を持ち上げて口付ける。
なんとなくつけた取り留めのないクイズ番組が正解を告げていて、窓の外には猫の鳴き声と湿気を含んだ風が吹く。今度は唇に落とした口付けに、小さくリビングに反響した及川の吐息ごと飲み込みたくて熱っぽい視線を向けた岩泉をごくり、及川が見上げる。
ふにゃり、笑った及川が、ビール零れるから、と岩泉の手から缶を奪うと自分の背後のテーブルにほぼ空なそれらを並べて置く。それから隣にちょこんと座ると引き寄せられるようにちゅう、吸い付いた。岩ちゃん、と浮かれたように名をもじりながら。
「四十日も待たせてごめんね」
「ほんとだつーの、ボゲ」
クス、どちらかともなく額を合わせて笑うとまた口付ける。ちゅ、ちゅう、角度を変えて柔らかい唇を堪能するように。下唇の内側を無防備に、薄っすら開けたそこを指先でなぞられるとゾワリ、及川が震えた。かと思えばぺろり、舐められ、執拗に弱いとわかっているから、抉るように舌先が内側を行ったり来たりする。
岩泉のキスは麻薬みたいだと思う。その証拠に、勝手に瞳は蕩けて唇はだらしなく開いて、終いには受け入れている。
奥に引っ込ませた舌先を無理やり絡め取られて啜られて、零れる唾液と漏れ出る自分のものとは思えない甘ったるい声に背筋がぞわぞわする。
「んん……っ、」
いわ、ちゃ……飲み込まれそうになる声を小さく上げるものの、頬を掴まれてビールの香りが微かにする苦い口付けが止むことは無くどんどんと体重を掛けてくる岩泉に、ソファーに身体を沈めて行く羽目になる。
ちゅっぱ、そよぐ風に流れるように鳴るリップ音が銀糸を紡いで二人を繋ぐ。
じっ、真っ黒な瞳が及川を捉えて離さなく、息が詰まる。切羽詰まったのはどちらが先か。
「……すき」
絞り出すように及川が呟く言葉に反応するように無茶苦茶に甘い口付けが落ちてきて、Tシャツの裾から手が滑り込む。
「んん、ふ」
鼻に掛かった声が部屋に響き渡る。岩泉の好きな及川の誰も知らない甘い甘い声。優越感は何年経っても岩泉を心地よく包み込む。
大きな掌が、あったかい岩泉の掌が及川の肌を弄る。じわりじわり、体温が上がるのを感じた及川が組み敷かれた下でじた、少し身動いで上に逃げようとする。これからもたらされる快感を思うと幸福感と一緒に怖さもあるのだ。何度身体を重ねても、その強い快楽に飲み込まれる瞬間は堪らなく怖くて及川は逃げたくなる。そんな及川を逃さないとばかりに体重を掛けた岩泉が、唇を割ってどんどんと奥へ舌を滑らせる。
「んんっは」
息苦しさに瞳を細めて涙を浮かべた及川が困ったように岩泉を見るのにも関わらず、岩泉は瞳で笑うばかりで貪るように口内を荒らしてくる。上から降ってくる唾液を喉を鳴らして飲み込みながらされるがままの及川はとろり、やっぱりキスに溺れていくようで、蕩けさせた瞳を細めて、首にゆったりとした動作で巻き付けた腕で岩泉の頭を掻き抱いて恍惚とした表情を浮かべる。
「……は、いわ、ちゃん」
唇が再度離れると物足りないとばかりに酸素を求めるように大きく胸を上下させつつも岩泉を舌ったらずに呼ぶ。そんな様子が岩泉を急かせて引っ張る。ぐっと早まる鼓動を堪えながら鼻先に口付けてやり、バンザイを強要して上衣を脱がす。無駄な肉のない、及川の上半身の至る所にキスを落としていく。ただ一点だけは抜かして。それに気付いた及川が物欲しそうに腰を、既に張り詰めた自身を岩泉の太腿にあてながら揺れる眼差しで岩ちゃん、と急かす。
「こういう時は素直かよ」
先程笑われたお返しとばかりにくつくつ笑った岩泉がおねだりに、扇情的な姿に双眸細めて胸の触ってもいないのに期待に膨らむ先端にちゅっと口付けては噛み付く。
「いつもすな……ァ!」
ぶるり、震えた身体はびくりびくりと背中をソファーに跳ねさせて長い睫毛がパサリパサリ揺れる。紅潮した頬に笑んだ及川がもっと、と痛みさえも心地よいとばかりに訴えるから何度も甘く食む。その都度、切れ切れに熱い吐息を薄い唇から漏らすものだから岩泉の熱も高まる。気付けば、及川は自らの性器を岩泉の太腿に一心不乱に擦り付けるように腰を揺らめかせていて岩泉は口角をあげる。
「は、えっろ」
笑われた及川はもうぼーっとした意識の中でそれでもなお残る羞恥心を呼び起こすとかぁっと頬を染め上げ眉を寄せる。だって、とかムリ、とか岩泉の頭に降ってくる言葉たちは全て及川の身体とは裏腹で、それさえが愛おしさを含んでいた。
「なぁ、知ってたか、お前、本当は俺と同じくらいに産まれるはずだった、って」
音を立てて唇を先端から離すと舌舐めずりをした岩泉がどうにもとろりと回らなくなった頭を連れた及川の頬を撫でながらベルトに手を掛ける。
「ん、は、知ってるよ……ほんとは、ッ、もっと早く産まれるはずだったんでしょ?」
ゼェゼェと肩で息をしながら及川が答える。
いつの話だったか、もう忘れたけれど、どちらの母親に聞いたのかもうろ覚えだけど、確か岩泉の母親に聞いたんだったような。二人は同じ月の同じ頃に産まれる予定だった。それが及川の出産予定が遅くなって、岩泉の予定が早まった。そうして二人には四十日という差が出来たのだ。もし、当初の予定通りなら、あんた達は双子みたいに誕生日が近かったわね、そう云って笑ったのは及川の母親だった。その時は、それがどうしたと別になんとも思わなかったけれど、今になってはそうだったらなんだか運命的、だなんて及川は思う。今だって充分運命的な距離だけど。
それに、一ヶ月とちょっと、岩泉を一人にすることすらなかったのに、とも思う。なんだか口惜しい気がした。
下着ごとズボンを下に下ろして擡げた熱に指を絡められる。熱いそこはぴくりと岩泉の掌の中で蠢いて、ぽたりぽたりと歓喜の雫を垂らす。同時に及川が声が上がるのを抑えようと両手を口に運んで塞ぐ。くぐもった声に不満そうに岩泉が声出せよ、と呟くと手を払いのけ纏めて握るものだから喉を反らして及川が喘ぐ。甲高い掠れた声をあげて。
「いわちゃ、……ァ、ア、離してっ、」
網戸になっている窓を気にした及川がチラリ窓を、漆黒の闇を見つめては困り顔。声は大きくなるばかりだった。
「やだ、お前が遅くに産まれて来たのがわりぃ」
聞こえてきた声にぱちくり、及川が瞬きして一瞬考えたのちに小さく微笑む。
「……なにそれ、可愛いかよ」
あぁ、同じ気持ちかもしれない、そう思えば自然とクスクス笑った及川に、どうとでも云えと岩泉も笑って絡めた指の速度を速める。追い込むような動きにそれ以上言葉にならなくなった声ばかりを上げた及川はただもうされるがまま腰を揺らす。
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