| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

逆さの砂時計

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 34

vol.41 【それは琥珀とよく似たもので】

 レゾネクトは、三十代前後の長髪姿で闇の中に居た。
 見下ろしても、見渡しても、そこに在るのは黒い闇。
 正面に向けて伸ばした腕すら輪郭を失う真っ暗闇の中。
 目蓋を開いて見上げれば、丸く光る偽りの満月と星々が瞬いている。

 アリアとの契約で得た『空間』の力を使い、レゾネクトが作った結界。
 天も地も光も闇も、すべてが存在していながら実在していない世界で。
 レゾネクトは何をするでもなく、ただ一人で立っていた。

 そのレゾネクトの、夕暮れ時の空を連想させる澄んだ紫色の目が。
 ふと、正面の虚空を捉えた。
 もちろん、そこには闇しかない。無を表す黒い闇以外は、何も無い。

 正しく何も無かったそこに、しかし、目蓋を一旦閉じて開いた直後。
 人間の形をした『何か』が現れた。

 『何か』は、短くも艶やかな白金色の髪を持つ、白い肌の男だった。
 人間であれば二十代後半頃で、体つきも顔立ちも左右対称に整っている。
 一目で男だと判る風体なのに、身に纏う凛々しさを中性的と感じるのは、頬から顎にかけての線や体の厚みに、余分な肉が一切付いていない為か。
 黄ばみ傷んだボロ服はしかし、芸術的な容姿にわずかな瑕疵も与えない。
 目蓋を伏せている『何か』は、その存在感だけで相対する者を魅了する。

 かつて、己の力でその姿を無へと還したレゾネクトですら。
 今は心静かに、まっすぐな目で見つめている。

「今の我に、この姿を重ねるとは。お主なりの皮肉かえ? レゾネクト」

 『何か』が発する声は、どこまでも穏やかで深みがあり。
 普段の人馴れた猫のような声とは、あまりにも違いすぎて。
 この場においては、『何か』本人が最も違和感を覚えているらしかった。
 長い指先で喉元を押さえ、苦笑いと共に目蓋を押し上げると。
 睫毛の奥から覗いた七色を併せ持つ虹彩が、レゾネクトを正面に捉える。

「それとも、時を越えて認知した実子の面影を懐かしむか。我が祖父よ」

 『何か』の言葉は嫌みを帯びて。
 しかし、その口調に揶揄の気配はない。
 ただ確認を取っただけだと、軽々しさすら漂わせている。

 レゾネクトは軽く目を伏せ、首を横に振った。

「お前は、バルハンベルシュティトナバールではない」
「うむ。我はバルハンベルシュティトナバールではない。その記憶だ」
「原始の人間の血を継ぐバルハンベルシュティトナバールは、俺が殺した」
「うむ。だが、我はその記憶を受け継いでおる。他ならぬ本人の意思だ」
「……バルハンベルシュティトナバールは、知っていたのか」
「知っておった。お主のことも、実父のことも、関連する事象はすべて」
「…………可哀想だと、言った。魔王でしかなかった、俺を」
「我も哀れに思う。自らですべてを壊してきたお主は、あまりに哀れだ」
「恨みや憎しみは、なかったのか」
「無い。少なくとも、バルハンベルシュティトナバールには」
「『あれら』は……原始の人間は憎んだだろう。何も残さなかった俺達を」
「我には、それに対する答えが無い。バルハンベルシュティトナバールには父との記憶が無い故な。あるのは、実母たる女神からの嫌悪や、実父からの無関心に対するバルハンベルシュティトナバールの、両親への憐憫のみ」
「……愛を、学べなかったか……」
「いいや。愛は知った。伴侶たる女神を愛した。それ故に、マリアが在る」
「女神を愛した? 女神が、愛した?」
「愛された。我が人間混じりでも、あれは我と我が子を心から愛していた」

 悪魔との戦いで力尽き、息絶える瞬間も、愛は確かにあった。

「結末がどうであれ、バルハンベルシュティトナバールは幸せであったよ」

 『何か』が伸ばした右手で、レゾネクトの頬をそっと撫でる。
 レゾネクトは棒立ちのまま、その手を黙って受け入れた。

「そうか。バルハンベルシュティトナバールは、幸せ……だったか」
「だが、神々は父を利用した。愛を知るバルハンベルシュティトナバールは理解していた。父は母を、母は父を、最後まで決して愛さなかった」
「『あれら』は」
「悪魔共に引き裂かれた。父は神々の手で救われたが、片やは砕け散った」
「……そうか。『あれら』の片割れは、完全なる人間として死んだのか」
「うむ。人間として生き、死んだ。片やの魂は、既に粉々だったらしいが」
「ならば片割れの意思とは必ず相対する。『あれら』はそう生まれついた」

 俺が罰を受けるとすれば、その時だろう。
 
 『何か』の手に自分から頬を押し付け、甘えるように目を閉じ擦りつく。
 そんな仕草こそ猫みたいで、『何か』はくすっと笑った。

「恐れるか?」
「怖い」
「何が怖い?」
「解らない。片割れの意思と向き合う瞬間を想像すると、怖い」
「存在の消滅や、遺される者の未来……ではないのだな」
「消滅は怖くない。遺しても、おそらく未来(せかい)は繋がる。アリア達が繋ぐ」
「ならば、何が怖い?」
「……俺ではない、意思が」
「そうか。お主はようやく、お主以外の意思(実像)と出会えたのだな」

 左腕も伸ばした『何か』が、レゾネクトの頭を撫でて胸に抱える。

「己ではない意思は恐ろしいな。何を考えているかも読めぬし、思い通りに動かすこともできぬ。どれだけ多くの言葉を交わしたとて、こちらの意図を汲み取ってくれるとも限らぬし、こちらが汲み取れているとも断言できぬ。見れば判る事象と違い、心根は表に出ぬことも多く、観察と推測で仮定した心中が本意とまったく違っていたという実例など、数えればキリがない」

 『何か』と自分は同じくらいの背丈だったのかと。
 頭を抱えられても変わらない姿勢に、レゾネクトはそんなことを思う。
 そんなことも、知ろうとしていなかったのだな、と。

「だが、それで良い。それが良いのだ」
「良いのか? それが原因で殺し合いに発展しても?」
「そこまで行くのは好ましくないが、皆が皆同じ意思ではつまらなかろう」
「『あれ』も、つまらなそうにしていた。この世も結局は自分自身だと」
「うむ。故に、怖がれ。己以外の意思はすべて『解らぬ』と恐れ続けよ」
「自分以外を恐れるのは、当たり前か」
「当たり前だ。己以外を恐れ、そして考え続けよ。己と、己以外の違いを。己以外の何が怖いのかを。それこそが『意思(そんざい)を認める』ということだ」

 頭を抱えていた『何か』の手が、レゾネクトの背中をぽんぽんと叩く。
 幼い子供をあやすように優しく叩き、そして、さする。

「己以外と出会い、認め、恐怖を見知ったこれからが大変ぞ、レゾネクト。独りで歩いてきた過去よりも長く永い時間を折り重ね、お主は今とは異なるお主と成っていくのだ。己の所業を過ちと嘆く時もあろう。己の存在こそが罪だったと悔やむ時もあろう。己は正しかったと思い直すこともあろうな。だが、それで良い。お主に成るまでのすべてが、お主自身なのだから」

 そうして成ったお主を認め、是非を問い裁くのは、お主自身ではない。
 お主が関わった過去のすべてと、その先で編み出された結果だ。

「故に、思うまま今を生きよ、レゾネクト。たとえ喪った実子に嫌悪の念を抱かれ、憎悪を凶刃と変えて斬り付けられる日が来るとしても。今はただ、己が願いを叶える為に、精一杯生きよ。バルハンベルシュティトナバールが実の祖父レゾネクトよ。お主に芽生えた願いは、なんだ?」

 レゾネクトの両肩に手を置き、体を離して向き合う『何か』。
 虹色の虹彩に顔を覗き込まれたレゾネクトは、深くうつむき……
 顔を上げて、迷いがない目で答えた。

「この『(せかい)』を、星の未来を、俺の娘『アリア』に託す」

 その結果、『アリア』と『ロザリア』にどんな苦難が降りかかろうと。
 予想できる範囲で、最悪の選択になる可能性を秘めているとしても。
 『あれ』が望み、勇者一行が護り、『アリア』が願った未来を、(生か)す。

 決意を固めた様子のレゾネクトに、『何か』は頷き。
 満足げな表情で微笑んだ。

「お主がそうと決めたのなら、我もお主らの行く末を見守るとするかのう。幸いにして今の我は神々にも優位性を誇る存在故、盾にも剣にもなれよう」
「剣では、見守る内に入らないだろう」
「我とてマリアは可愛く愛しい。その娘に手を出すなら、悪魔も神も敵ぞ」
「そういう意味で言うなら、真っ先に殺すべきは俺じゃないのか?」
「言うたであろう。お主を裁くのは、お主の行動の結果。我でもない」
「……俺が、お前にそうさせるのか」
「いいや。我が望んでこうするのだ」
「そうか」
「うむ」

 両手の甲を腰に当て、誇らしげに胸を張る『何か』。
 レゾネクトはゆっくり目蓋を閉じ、口元で苦笑う。

「娘達を、任せた」
「うむ。任された」

 互いの目を見ながら握手を交わし。
 『何か』がレゾネクトに背を向けて、ふと肩越しに振り返る。

「そういえば、レゾネクト。招いた我にバルハンベルシュティトナバールの姿を重ねたのは、まさかと思うがゴールデンドラゴンが怖かったからとか、そう」

 少し意地悪な顔をして笑う『何か』は、言葉の途中で姿を消した。
 レゾネクトが結界から弾き出したらしい。
 『何か』が移動した先は、アルスエルナ王国の中央教会内部。
 次期大司教第一補佐ミートリッテに与えられた執務室兼応接室の隣。
 ミートリッテとリースリンデが眠っている寝室の真ん中だった。

 窓越しにうっすらと白む空を見上げ。
 ゴールデンドラゴンの子供の姿に戻ったティーが苦笑する。

にゃえにゃ(我は)にゃににみぇみぇ(抱き締めて)にゅにぇにゃんにゃにゃ(くれなんだな)
にゃにゃ(我が)にいにゃみゃみゃ(祖父様は)

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧