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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 39

vol.46 【サスペンス・ナイト1】⚠︎このシリーズは文体を変えています

 そこは正しく、北方領と中央領の境に位置する『町』であったらしい。
 大司教一行は門番の男性二人に自由通行許可証を提示し、居住地の情報を聴き取って入り口を通り抜け、自分達の靴音や蹄音がやけに大きく反響する暗闇へと踏み入り、夜空と同化しているような漆黒の町並みを見渡した。
 まず目に入るのは、大通り沿いに点々と立てられたガラス張りの街灯だ。美しい金物細工の枠にガラスを填めたそれは、中に小さな炎を閉じ込めて、狭い範囲ながらも、光が届く場所を明るく、柔らかく照らし出している。
 次いで目立ったのは、ポツポツと建ち並ぶ民家の、所々で白く光る窓。
 資源が限られている北方領で、深夜にロウソクを灯すなど、裕福な家庭に違いないと思われたが。よくよく考えればここには雪が無い。ほぼ万年雪に囲まれているからこそ足りない資源が、領境(ここ)では簡単に手に入るのだろう。
 同じ北方領に属する地でも、自然環境が違えば生活模様にも違いが出る。
 解っていたことではあるが、実際に目にすると、納得度も変わるものだ。
 風が無いせいか、煙の臭いが充満している大通りを、一行は南へ歩いた。

 門番の二人から勧められた宿屋は、裏庭に厩舎を構えた木造三階建ての、ちょっとしたお屋敷だった。この町の中心と思われる場所で大きな四角形の敷地沿いにフェンスを並べ、門扉を外したアーチから招き入れた旅人達を、こちらへおいでと、玄関扉まで一直線に敷かれた白い石畳が誘導している。
 その石畳の両脇には背高な松明が等間隔で設置されており、赤々と揺れる炎が暗闇に浮かび上がらせている石畳は、まるで現世とは異なるどこかへと繋がった一本道のようだ。心が弱い者なら、泣き出していたに違いない。
 許可なく馬達を連れ込むのは憚られたので、フィレスだけは門前に残り、御者を担いだコルダと、護衛を担いだソレスタの二人が、夜風で冷えた肌を炎に(あぶ)られながらまっすぐ奥へ進み、三段程度の低い階段の上に扉を見た。
 同じ大きさで二枚並んだ扉は、真ん中から内側の左右へと開くタイプだ。二人が手前に立てば、ちょうどヘソかもう少し上の辺りに、リングを咥えた獅子型のドアノッカーが付いている。これまでに、どれだけの従業員や客が開け閉めしてきたのか。太めのリングは、鈍い金色が擦り切れて艶を出し、叩き金の部分も、こころなしか変形しているように見えた。
 重厚感が漂う黒茶色の玄関扉を見据え、コルダがドアノッカーを鳴らす。

 扉は二分と待たず、宿の主人であるという男性によって静かに開かれた。
 飲食店の給仕職を思わせる装いをした男性は、白く短い髪をすべて後ろに流し、()けた頬に丸っこい眼鏡を乗せ、鼻の下にちまっとした髭を生やす、上品な雰囲気の老紳士だった。
 年齢で言えば、おそらく六十代後半から七十代半ば頃。コルダと同じか、数年上くらいだろう。しかし、スラリとした痩身も、スッと伸びた背筋も、ふとした振る舞いも、老いを感じさせない若々しさ、しなやかさだ。
 深夜の来訪者を前にした老紳士を見て、コルダは「おや」と目を瞬く。
 わずかにも警戒心を滲ませない姿には、宿の主人に相応しい貫禄がある。彼が仕切っている事実。それだけで、宿の質に期待と信頼の念が湧いた。

「いらっしゃいませ。……男性が五名様、女性が一名様、馬が二頭ですね。はい。すぐにお部屋へご案内いたします。馬は従業員がお預かりしますよ」

 夜明けまで四時間と無い頃合いにも拘らず、宿の主人は一行を快く迎え、早めの朝食作りにも嫌な顔一つせず応じてくれた。領境にあるからか、この宿には四六時中様々な旅人が訪れるらしく、臨機応変は日常茶飯事だとか。
 とはいえ、深夜の営業には人的にも資材的にも食料的にも経営側の負担が大きい為、コルダ達のような飛び込み客には、通常料金に加えて深夜料金の支払いもお願いしているという。
 それは至極真っ当な話であったので、コルダ達は疑問など抱くことなく、六人と馬二頭分の宿泊代を先払いした。そこに多少の色を付けておくのは、一部の旅人の間で作られ、今では世界的に広く知れ渡った暗黙のルールだ。

『旅とは、自分一人の頭と体で成立できるものではない』
『行く先々で出会い、差し出された善意や厚意には、無条件の感謝を返す』

 サービスとは、親切心に根差した配慮(思いやり)であり、仕事上の義務ではない。
 負担が大きい宿の深夜営業は、旅人のよすがになればとの親切心である。

 正当な仕事には、相応の対価を。
 善意や厚意には、心付けに『感謝』や『お願い』の言葉を添えて。
 馬を預けた後「お世話になります」と軽く頭を下げたコルダとソレスタとフィレスに、宿の主人は「ごゆっくり」と、人好きのする笑顔を返した。


 
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