トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~
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オフィスラブ、スタート! ④
――会長室は、篠沢商事ビル最上階である三十四階のいちばん奥に位置している。このフロアーにある部屋の中でもっとも広い執務室だ。
西側の大きなガラス窓――ちなみに断熱・遮光ペアガラスが使用されている――を背にする形で会長のデスクがあり、ドアのすぐ側に配置されている秘書席とは少し離れているが、位置取りとしては向かい合う形になっている。どちらのデスクにも専用のデスクトップPCが備え付けられている。
この他に室内にあるのは大きな本棚とキャビネット、共用プリンターが一台、そして応接スペースのソファーセット。主の趣味が反映されるものといえば、大きなアンティーク調の飾り時計くらいだ。ゴルフのパターマットや帆船模型、木彫りのでかいクマの置物みたいないかにも「会長室でござい」というものは一切置かれておらず、シンプルだが高級感漂う空間になっている。
ちなみに、このフロアーの給湯室を除く各部屋には、専用の化粧室も完備されている。
「――さ、会長。どうぞ」
僕は自分の社員証のIDを認証させてロックを開け、絢乃会長を初めて会長室の中へお通しした。僕も過去に一度だけ亡き源一会長に通されたことがあったが、彼女もお父さまのかつての職場を感慨深そうに見まわされていた。この室内のシンプルながら品のある調度品を、彼女もお気に召したようだった。
「――では、僕はコーヒーを入れて参ります。会長はデスクでお待ち下さい。お好みの味などあればおっしゃって下さいね」
「うん、分かった。じゃあミルクとお砂糖たっぷりでお願い」
「かしこまりました」
僕は彼女のオーダーを聞くと、専用通路を通って給湯室へ入っていった。
コーヒーを淹れるための道具やマグカップ、豆などは前もってここに持ち込んであった。実は土曜日の午後、絢乃会長の就任スピーチの原稿を作成し終えた後に、クルマに積んで運び込んであったのだ。
『――桐島くん、その大荷物なに!? 今日は出勤日じゃないよね?』
ちょうどその日も休日出勤していた小川先輩が、その光景にビックリしていた。
『コレっすか? 絢乃会長のために美味しいコーヒーを淹れて差し上げようと思って、わざわざ俺ん家から持ってきたんすよ』
それを聞いた先輩は、「会長のために何もそこまで……」と呆れていたが。
ちなみに、コーヒー豆は実家近くの馴染みのコーヒー専門店から分けてもらったちょっとお高い豆である。愛する絢乃さんに喜んで頂きたくて、少々張り込んだのだ。もちろん僕の自腹で。会長に申告すれば、この代金は経費で落としてもらえるだろうか?
マグカップもまた、絢乃さんの好きそうな色のものをわざわざ選んで買ってきた。こちらはそんなに高価ではなく、インテリアから雑貨まで揃ってしまう「お値段以上」の某チェーン店のものだが。ついでに僕の分として、色違いのブルーのマグカップまで買ってしまったのだが、これくらいの無駄遣いは許されるだろう。どうせ自腹だし。
カップではなくガラスポットにセットしていたドリッパーのペーパーフィルターに豆を計って載せ、沸騰後に少し冷ましておいたケトルのお湯を静かに少しずつ注いでいく。最初は少し多めのお湯で豆を全体的に蒸らして薫りを引き出し、あとは少量ずつじっくりと。――昔バリスタになりたくて勉強していた美味しいコーヒーの淹れ方が、こんなところで役に立つとは。でも、どんな経験も決してムダにはならない。必ず何かの役には立つのだと僕は気づいた。
じっくり丁寧に淹れると、それなりに時間はかかるものだ。カップ一杯分をドリップするだけで約五分、その前にお湯を沸かしていた時間も含めると十分近くが経っていた。あとは絢乃さんのお好みどおりに多めの砂糖と牛乳を注ぎ入れたら完成だ。
「――お待たせしました。……会長、どうかされました?」
できあがったカフェオレのカップをトレーに載せて会長室へ戻ると、絢乃会長はPCの画面に釘付けで僕がお声がけしてもしばらく返事がなかった。
「あっ、桐島さん、おかえりなさい。ちょっとこれ見てみて!」
ようやく僕に気づかれたらしい彼女は、興奮気味にお顔を高揚させて僕をデスクの側まで手招きされた。どうやらさっそくPCにログインして、動画配信サイトをご覧になっていたようだが……。
ちなみに〈Ayano0403〉というPCのパスワードは源一会長が設定されたもので、絢乃会長もそれをそのまま引き継いで使用されている。お仕事用のPCのパスワードとしてお嬢さんのお誕生日を設定されたあたり、彼は絢乃さんのことを心から大事にされていた証ではないだろうか。
「おお! これは……」
ディスプレイを覗き込んだ僕も、そこに表示されていたコメントに感動の声を上げた。
会長がご覧になっていたのは記者会見の様子が配信された動画への、視聴者からのコメント欄。そこで、最も「いいね」がつけられたコメントがこれだった。
『放課後トップレディ、誕生! 彼女のこれからに期待!!』
このコメントを投稿したのはどうやら有名なインフルエンサーらしいが、だから「いいね」をたくさんもらえているわけではないだろう。それだけ絢乃さんが世間から受け入れられたのだと僕は解釈することにした。
もちろん好意的なコメントばかりが寄せられたわけではなく、中には批判的な書き込みもいくつか目についたが、この賛否両論さえ彼女は想定していたはずで、それも覚悟の上だったのだからこれは当然の結果と言えた。
そんな中でひと際目を引いたのがこのコメントというのは、僕たちにとって上々の滑り出しだと言っていいだろう。
「――これって最上の褒め言葉ですよね、会長」
「うん、嬉しいよね。――あ、コーヒーありがとう。いただきます。……わぁ、いい薫り!」
絢乃さんは僕の淹れて差し上げたカフェオレを美味しそうにすすり始めた。とりあえず、喜んで頂けたようで何よりだ。
「ところで会長、午後からさっそく取材が数件入っておりますが。その前に昼食はどうされます?」
僕が質問すると、彼女はカップを両手で抱えるようにして持ったまま天を仰いだ。
「…………実はなんにも決めてないんだよね。わたしは桐島さんと一緒に社員食堂で食べたいけど、ママが戻ってきてから相談しようか」
「かしこまりました。では、午後からも頑張りましょうね」
「うん!」
やる気満々で頷いた彼女を、僕はものすごく可愛いなと思った。二人きりでいる時は、彼女の可愛さを独占できる。それは会長秘書としての特権かもしれない。
――こうしてこの日、僕のオフィスラブは本格的に幕を開けたのだが。それは同時に、僕の苦悩と悶絶の日々のスタートでもあった――。
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