トップシークレット☆桐島編 ~お嬢さま会長に恋した新米秘書~
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秘書としての覚悟 ②
「分かりました。そういう事情でしたら、僕も絢乃さんのためにひと肌脱ぎましょう。……あ、ですが一つ問題が」
僕は二つ返事で承諾しようとしたが、肝心なことを忘れていた。社会人である僕と高校生だった彼女とでは生活パターンが違ったのだ。絢乃さんを学校帰りに迎えに行くということは、僕は会社を早退しなくてはならないということだ。僕が仕事を終えるまで彼女に学校で待ってもらうわけにはいかないのだから。
そのことを加奈子さんに伝えると、「そのことなら心配要らないわよ」という返事が返ってきた。
『あなたが会社を早退するかもしれないことは、もう室長の広田さんに伝えてあるから。あなたが仕えるべきボスは絢乃なのよ。だからそこは気にしなくてよろしい』
なんと、いつの間にそういうことになっていたのか。さすがは元教師の加奈子さん、色々と手回しのいいことで。
「つまり、根回しもバッチリというわけですね。分かりました」
『ま、そういうことだからよろしくね。あ、そうだ。あなたが部署を変わったこと、まだあの子には話してないわよ。あなたもまだ伝えてないでしょう? でも、私から伝えるのもおかしな話だものね』
「……そうですか」
『じゃあ、とにかくそういうことで。そろそろ失礼するわね』
僕も「はい、失礼致します」と言って通話を終えたが、小川先輩が怪訝そうな顔で僕を見ていた。
「…………先輩、何ですか?」
「桐島くんさぁ、絢乃さんにまだ異動したこと話してないの?」
「はい。別に隠しているわけじゃないんですけど、何ていうか……。俺が部署を変わったって聞いたら、絢乃さんはきっと理由を知りたがるじゃないですか。でも、その理由を話したらきっと、あの人はお父さまの死が近づいていることをイヤでも意識してしまうんじゃないかと思うと……」
せっかく前向きに、お父さまの残された命の期限と向き合うようになった彼女の明るさを、そんなことで奪ってしまいたくなかった。
「でも、いつかは話さなきゃいけないっていうのはあなたも分かってるんだよね?」
「それは分かってます。ただ、今じゃないかな……って。あくまでタイミングの話で」
こういう大事なことは、言うタイミングを間違えると相手に大きな誤解を招いてしまう。――これはあくまで僕個人の経験から学んだことだが。
いよいよお父さまの死期が迫ってきたというタイミングで言わなければ、僕が源一会長の死を望んでいるのではないかというあらぬ疑惑を絢乃さんに抱かれる恐れがあったのだ。もちろん、彼女がそういう人ではないことは僕にも分かっていたが、いかんせんこういう時にも女性不信が出てしまうのが、僕の忌まわしい部分でもあった。
「それってさぁ、ただ単に絢乃さんに嫌われたくないだけなんじゃないの?」
「…………うー」
小川先輩の指摘は、僕の痛いところに思いっきりクリティカルヒットした。自覚があっただけに、反論の余地もない。
「桐島くん、それ、かえって逆効果なんじゃないかな。リミットギリギリになって言う方が、『この人、パパが危なくなるタイミングを狙ってたんじゃないか』って絢乃さんに思われるとあたしは思うんだけど」
「…………確かに、そうかもしれないっすね」
「でしょ? だったら早い方がいいと思うけどなぁ。タイミングを遅らせれば遅らせるほど、あなたも言いにくくなるだろうし」
「……分かりました。じゃあ……とりあえず、秘書室だってことは伏せて、異動したってことだけは早めにお伝えしようと思います」
僕の中で葛藤はあったものの、とりあえず僕側が譲歩する形でこの話題は終わった。
「――ところで先輩。源一会長が亡くなられた後、先輩はどうするんですか? 会長秘書は二人も要らないですよね」
源一会長亡き後、後継者となられるのは絢乃さんの可能性が大だった。僕が彼女の秘書に付くことになれば、源一会長の下で秘書として働いていた小川先輩はハブられる形になる。……ちょっと言い方は間違っているかもしれないが。
「そのことなんだけどね、あたし、どうやら村上社長に付くことになりそうなの。何でも、社長秘書の横田さんが年内一杯で会社を辞めることになったらしくて。……実家の家業を継ぐんだって」
「そうなんですか。横田さんのご実家って確か、湯河原の温泉旅館でしたっけ」
横田司さん(ちなみに男性である)は当時三十二歳で、温泉旅館を営むご実家の長男だったらしい。六十代のご両親がお元気だったので、家業は継がなくていいと言われて東京で就職したが、女将だったお母さまが体調を崩され、急きょ家業を継ぐことになったそうだ。
「うん。ウチの社員旅行でもお世話になったよね。まぁでも、あたしは会社を辞めるわけじゃないし、会社に残るから、何かあったらいつでも相談に乗るよ」
「はい」
まだ慣れない秘書の業務に追われる中で、小川先輩というよき相談相手が身近にいてくれて、僕は恵まれているなぁと思う瞬間だった。
* * * *
僕は十一月の初旬、自動車メーカーの正規ディーラーを訪れ、新車の購入契約をした。外側の塗装や内装をカスタムしたこともあり、納車には半月から一ヶ月ほどかかると言われた。
その分費用はトータルで四百万円ほどかかってしまったが、それが僕の秘書としての覚悟の証明になるなら安いものだと思えた。
シートのカラーが自分で選べたので、僕は数あるカラーの中から上品なワインレッドをチョイスした。絢乃さんのイメージなら、どキツいピンク系よりもそちらだろうと思ったからだ。それに、ワインレッドだとシートの生地がベルベット地になるので乗り心地もよくなるだろうと。
新車と引き換えに、それまで散々こき使いまくったオンボロのシルバーの軽自動車は下取りしてもらうことにした。納車前に売っ払ってしまうと、僕の通勤手段がなくなってしまうからだ。当然のことながら、絢乃さんをドライブにお連れすることも不可能になってしまう。
「売っ払っちまうくらいなら、なんでオレに譲ってくんなかったんだよ!?」
兄は(もちろん普通自動車の免許は持っている)文句タラタラだったが、だったら兄貴が車検代とか維持費払えるのかと訊いたところ、反論がなかった。どうやらそっちの経費は僕に丸投げするつもりだったらしい。いくら篠沢商事の給料が飲食系よりいいとはいえ、二台分のクルマの維持費を払うなんて冗談じゃない。こっちの生活が成り立たなくなるじゃないか。
――なんてことがありつつ、僕は時々絢乃さんを放課後のドライブにお連れするようになったのだが……。
「異動しました」の一言を彼女に告げるタイミングがなかなか掴めないまま、一ヶ月以上が経過した。気がつけばその年もあと一ヶ月を残すところとなり、クリスマスが近づいていた。
小川先輩の言ったとおり、大事なことは話すタイミングをズルズルと引き延ばせば引き延ばすほど言いにくくなる。そんな中で源一会長の命にもタイムリミットが迫っていて、僕は焦り始めていた。
せめて、よく会社を早退するようになった僕に疑問を抱かれた絢乃さんの方から切り出してはくれないだろうか、と何とも他力本願なことまで考えるようになっていた。が、ある日それが叶ってしまった。
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