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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 55

「さて、と」

 ミートリッテが勧められた客席に座って、すぐ。
 手前のローテーブルに、プリシラ自らが淹れたらしい紅茶が置かれた。
 彼女も、ローテーブルを挟んでミートリッテの正面にある白いソファーに腰を下ろしてから、膝の上で両手を重ねる。

 その動作には隙と呼べるものが一切なく、それでいて優雅だ。
 名家の令嬢、高位聖職者の肩書きは伊達じゃない、と言うべきか。
 膝の辺りでバッサリ切り落とされてる(すそ)や、そこから覗いてる素足には、突っ込んで良いのか判らないので、目を伏せておく。

「改めて自己紹介させてもらうわね。私は、アリア信仰アルスエルナ教会の現中央区担当司教にして次期大司教、プリシラ=ブラン=アヴェルカイン。位は公爵で、この中央教会における二番目の責任者よ」
「あ、はい。私は、」
「ふふ。貴女は良いのよ、リアメルティ伯爵令嬢ミートリッテ。私は貴女が自覚しているよりも多くの詳細を、貴女よりも正確に把握しているから」
「へ?」

 折り目正しい挨拶に慌てて頭を下げようとするが。
 軽く上げたプリシラの手に(さえぎ)られてしまった。
 そして。

「バーデル王国の港町ハーゲンの酒場で娼婦をしていた生母ミリアリアと、一般上がりで外交書記官をしていた実父ノインクロイツの一人娘。
 生粋のアルスエルナ人であるお二人から、金色の髪と藍色の目と白い肌を授かったが為に、ハーゲンでは、民族意識と排他主義を根源とする迫害を、日常的に受けていた。
 ご両親を病気で一度に亡くした後は、単身でハーゲンを離れ、数ヶ月後、アルスエルナ王国内ネアウィック村にて、有力者の庇護下に入る。
 密入国以前から保持していた複数国の文字を書き分け・言語を聴き分ける能力は、幼少期の特殊な環境下で培ったもの。
 アリア信仰の教本には複雑で繊細な造形の古代文字も含まれているのに、一見で難なく書き写せるなんて。お父様は相当優秀な書記官だったのね」

 獣に追われて体得した足の速さは、アルスエルナ国内随一。
 手先の器用さは、修練を積ませればどんな分野でも一流の職人を目指せる可能性有り。
 趣味は崖観察と飛び込み。
 特技は裁縫と金物工作。
 将来の夢は、アルスエルナ史に名を残す燭台専門の装飾技師。
 料理の腕は良いが自覚はなし。
 人並みより愛情深く義理堅い性格をしている一方で、思い込みも激しく、斜め方向に勘違いすることも多々ある。

「男性不信の気が少し混じっているのは、貴女の前でお母様を侮辱し続けた人達のせいね。恩人と定めた人間以外に噛みつくクセも、ご両親への愛情が色濃く影響しているから。大切にされたから大切にしたいなんて、お二人がいかに貴女を愛していたのか、目に見えるような純粋さだわ」
「なっ、ぁ⁉︎」

 驚きで思わず立ち上がる自分を見上げ、藍色の目が緩いアーチを描いた。

「ど、どうして私の夢……っ、両親の、名前を」

 ミートリッテが村で心臓を止めて倒れた際、バッグから飛び出した義賊の道具類なら騎士達に気付かれたが、燭台の構成図を描き連ねた簡易本は誰も見分しなかったと聞いたし、結局誰にも話さなかったから、ミートリッテが本気で装飾技師を目指してたことは、自分以外の何者も知り得ない筈だ。

 それに、両親は互いを『ミリー』、『ノイ』と愛称で呼び合っていた。
 二人の本名など、唯一の実子ですら、はっきりとは覚えてなかったのに。

「友達が教えてくれたのよ」
「友達?」

 長年隣国で暮らしていたミートリッテの家庭事情を知り、次期大司教とも繋がりを持ち、秘めていた夢や心まで読めてしまう人間が、別にいるのか?
 と、首をひねりかけ

「お座りなさい。ここは、誰がどうしてを解く場所ではない。将来に対する貴女の覚悟を問う席よ」

 再度プリシラの手に着席を促される。
 戸惑いながらも、黙って従うミートリッテ。
 向かい合った年齢違いの同じ顔が、満足そうに頷いた。

「貴女は、私の補佐兼後継者として中央教会に来た。故に私は後継者である貴女を犬猫のように可愛がったりしない。苦しい時や辛い時、寂しい時も、私は貴女を庇わないし助けない。すべて自分で考え、自分で対処しなさい」
「……っ!」

 一切の甘えを許さないと切り捨てるプリシラに、一瞬息が止まる。
 元義賊に与えられた罰という意識を除いても、重責を担う者になる以上、そういった覚悟はあって然るべきだと解ってはいたが……
 改めて突きつけられると、少々胸が痛む。

「……はい」

 動揺が滲む返事だ。不様にも震えてる。
 かといって、今更退く気は微塵もないが。

「……良い目ね。強い意志を持つ生きた目だわ。貴女を選んで正解だった」
「え?」

 こちらをじっと観察していたプリシラが、自身の分の紅茶を一口飲み。
 ふう……と息を吐いて


「アーレストとは、どこまで進んだの?」


「…………は?」

 唐突に話の腰を折った。

「だあーからぁ~~。アーレストよ、アーレスト! 話は細部まできっちり届いてるんですからね! 抱き合って、口付けを交わしてたんでしょう? まさか、まだ一線は越えてないとか、トロいことは言わないでしょうね⁉︎」
「は……っ、はいぃいいっ⁉︎」

(突然何を言い出すの、この女性! 誰が、誰と、なんだって⁉︎)

「全身をずぶ濡れにして、それは情熱的に身を寄せ合ってたそうじゃない。隠したって無駄よ!」
「はあっ⁉︎ いやそれは多分、崖下の河に落とされた時の救助活動です! 口付けされた覚えはありませんが、あるとすれば人工呼吸と思われます! 誰に聴いたかは教えてくれそうもない気がするのでこの際置いときますが、大いなる誤解で勝手な妄想を過剰に膨らませないでいただけませんかね⁉︎ 神父様とそんな関係になる予定は未来永劫ありませんから‼︎」

 ここでもか。聖職の本山に来てまでも、結局は恋愛話なのか。

(もう確信した! 恋愛脳は女性みんなで一蓮托生だ! 間違いない!)

 自分とそっくりな顔が、目と鼻の先で嬉々として恋愛を語るとか。
 お願いだから勘弁してほしい。
 このやり取りだけで、一気に三十年分くらい老けた気がする。

「そうなの?」
「そうなんです‼︎」

 精神的に疲れ果てたミートリッテを見て、プリシラが首を傾げる。

「そう……やっぱり、ダメなのね」
「?」

 独身の女性に、知り合いの男性との縁結びを推奨する、お節介なオバサマそのものの勢いで身を乗り出していたプリシラは。またしても急にご令嬢の空気を纏って居住まいを正し、苦笑いを浮かべた。


「あの子、極度の 人間恐怖症 だから。幼馴染みとそっくりな顔で性格が真逆な貴女になら、心を開いてくれるかも知れないって、期待してたのよ」


「……………………………………………………?」

 おかしい。
 なんか、言葉の途中で、変な雑音が混じったような……

「あーあ。今年も『年齢そのまま恋人不在歴』を更新ですか~。残念だわ。アーレストってば、本当におちょくり甲斐がない子ねえ。まったく、もう。いつになったら人間に馴れてくれるのかしら?」
「雑音じゃなかった! 神父様が人間恐怖症⁉︎ ()()で⁉︎ ドコが⁉︎」

 『ふてぶてしい大臣』と称えるべき態度の数々を思い出し。
 ありえない音の並びを全力で否定するミートリッテ。
 が、プリシラは目線を落とし、悲しげに眉を寄せた。

「あの子、人前では、いつでも笑っていたでしょう? 女性の前では特に」
「? はい、まあ。一部例外はありましたけど、大体は笑顔でしたが……」
「それが、あの子を護っている『仮面』の一つよ」

 持っていた茶器をローテーブルの上に置いたプリシラが。
 バルコニーと部屋の境にある、大きなガラス窓の傍らへ移動する。

「貴女、この音にどれだけ耐えられる?」

 形良い爪先の実体と影が、透明な板の表面で重なり……


 きゅ……っ っきききぃいいいいい────っ


「ふ……っ、ぎゃああぁぁあっ‼︎」

 と、室内の空気を無残に引き裂いた。
 咄嗟に両耳を塞ぐも。
 全身を震撼させる不快な音が耳奥に貼り付いて、なかなか消えない。

「……私達には聴こえていないけど、アーレストが生まれた時からずっと、彼を視界に入れた人間の大半、主に女性が、こういう音をいきなり大音量で出すんですって。好意や期待感を表しているような、気配みたいな音を。
 しかも、一度目二度目と、顔を合わせるたびに音質が酷くなるらしいわ。
 年齢を重ねるにつれて、ある程度までは自力で防げるようになったみたいだけど……それでも、生きている限り、すべてを防ぎ切るのは不可能よ。
 彼以外の誰かに反応した音まで拾ってしまうというし、生れつき耳が良いあの子にとっては、毎日がとんでもない苦痛でしょうね。
 だからこそ、誰にでも等しく作り物の笑顔を振り撒いて期待の芽を摘み、必要以上の接触を拒んでいるの。
 女性の多くは自尊心や自衛心が高くて、自分だけを特別視してくれないと理解した途端、相手を観賞()扱いして自ら距離を置くか、こっちのほうから願い下げだと、勝手に身を退いてくれるから」
「……こんな音を……生まれてから、ずっと……?」

 両耳から離した手が震えてる。
 頭痛にも似た鋭い痛みのせいで、細めた両目に涙が滲む。
 ふと、教会のアプローチに一人で佇んでいた彼の顔色を思い出した。

(あれは……もしかして、女衆から離れて耳を休めてたの? でも)

「村の音は心地好いし、私の音は綺麗だって……」
「遥かな昔、世界は目に映らない小さな鈴の連なりで編まれ、その繋がりと個々の音によって、美しい旋律を奏でていた」

 けれど、いつかの時代、どこかに狂った音色が雑じってしまったせいで、そこから歪んだ旋律が全体に拡がってしまった。
 アーレストが産まれた時には、手の施しようがないほど歪みきっていて。
 睡眠時以外は何をどうしても泣きやまない赤子の世話で衰弱してしまったクレンペール家一同は、王妃陛下の助言に従い、彼を王城へ預けてみた。

「彼は人の出入りが制限された王城の片隅でようやく安らぎを得たそうよ。そうしていつしか自我が芽生えると同時に、歪みの原因の半分以上が人間の感情だと気付いてしまった」
「旋律を歪ませた原因の大半が、人間の感情?」
「人間の独占欲や支配欲や害意。自分以外の生命のあり方を自分に都合良く定めたい、縛り付けたい、自分だけを見て欲しい、自分と同じかそれ以上の想いを返して欲しい、自分の気持ちに添った言動だけを見せて欲しい……。そんな、相手の事情や気持ちを少しも考えていない身勝手な好意や願いが、自分自身の音を狂わせ、周囲の旋律に悪影響を与えるの」

 たとえば、旬を無視していつでも食べられるように作り変えられた野菜。
 たとえば、家畜として囚われ、与えられる飲食物しか口にできない動物。
 たとえば、そこに流れていた川を埋め立て、不自然に作り変えた地形。

「植物には植物の。動物には動物の。そうあるが為に越えられない、明確な線があって、それ故に世界は均衡を保っていたのに。人間はそれらを全部、自分の都合だけで破壊しているでしょう?」

『それに、ネアウィック村が奏でる音色は総じて心地好い。必要以上に理を捻じ曲げずにいることで良い循環が保たれ、ここに住まう生命に活力が満ち溢れている証拠です。こちらに来るまでの街などでは胸を引き裂かれる思いでしたが、こうした場所が残されていると知り、わずかに救われました』
『貴女にも、聴こえるでしょう? さざ波の声、鳥や虫達の歌、風の囁き、木や草花の語らいが。ここには無駄な物など一切なく、すべてが輪を描いて繋がっている。あらゆるものが産まれ生きて、死を迎えても地へ水へ還り、新たな命を育む糧となる。途切れることなく続き、されど二度と同じ旋律は辿らない、限られた刻の多重奏。これ以上に美しい音楽を私は知りません』

「……そうか。神父様が言ってた音って、命の声そのもの、なんだ」
「そう。歪んだ旋律とは即ち、万物の悲鳴。断末魔よ。悪意を持った人間が幅を利かせる王都で生まれ育ったあの子にとって、人の手がほとんど入っていないネアウィック村は、良い療養所になったことでしょう。……ここまで言えば解るわね? 貴女の音が私と同じく綺麗なのは、一聖職者として……あの子の親友としても、少々残念だったわ。叶うなら貴女に、彼を孤独から救ってもらいたかったのだけど」

 狂った音は、手前勝手な好意や、欲望や、害意の表れ。
 つまり。
 ()()()()な自分の本心には、彼に対する興味がまったく無い。

 彼を見ていたい、近付きたい、知りたいと思う程度の関心もない人間に、彼は決して救えない。

「……すみません」

(これから聖職者になろうとしてる人間が、すぐ近くで苦しんでた人間にも気付けなかったとか。いや、気付けと言われても相手が相手だけに難易度が高すぎるけども! でも……考えてみれば、誰もが苦悩を表に出してるわけじゃないし、平気な顔して抱え込んじゃう人って結構いるよね。多分私は、アリア信徒は、アーレスト神父みたいな人が抱える苦しみにこそ気付いて、寄り添えるようにならなきゃいけないんだ)

 世界の意識を変えていくには、上っ面だけの救済じゃ意味がない。

「元はと言えば、人間からの好意を怖がってるアーレストが悪いんだから、貴女が謝る必要は全然ないのよ。私だって、あの子が唯一自発的にしつこくまとわりついていた相手が男性だった時点で、匙を放り投げてるし」
「しつこ……? そういう相手がいたんですか?」
「今は遠くへ行ってるけどね。アーレストの前で音を大きく高くする人間が多い中、たった一人、小さく低くなる希少種だと言っていたわ。だからか、傍に居ると落ち着くんですって。美姫の名を欲しいままにしているこの私を怖がっておいて、男性にはがっちりべったり絡みつくのよ? 憎たらしいったらありゃしないっ! 確かに、中性的で綺麗な子ではあるけど!」

(がっちりべったり? 男性に?)

「……衆道?」
「それ本人達には絶対言わないほうが良いわよ。修行徒時代、二人共本気で性犯罪の被害者になりかけてね。以来、アーレストはともかく、もう一人のほうが、その手の話に並々ならぬ嫌悪感を抱いているの。私が一般民の前で肌を曝す際どい女装をさせたせいだけど」
「さらっと酷い告白!」
「業腹な似合いっぷりだったわ」
「教会で何をやってるんですか、貴女⁉︎」
「友達とは遊びたいじゃない」
「遊びの定義をもう少し優しく、普通のものにしてあげましょうよ!」
「普通の定義は()()()()()よ。人生、楽しまなくちゃ! 主に私が!」

 悪魔だ。エルーラン王子の言葉は真実だった。
 女悪魔が、アリア信仰の上層部に巣食ってる。

 もしや、アーレストがたびたびミートリッテの顔を見て目を逸らしたり、微妙な表情になっていたのは、プリシラのこういう悪魔的所業のせいか。
 ミートリッテとプリシラの顔を重ね。
 別人だと判っていても直視できないほどに怖がっていた、と。
 惨い。

(どこの誰だか知らないけど、女装させられた人……ご愁傷様です、って、そういえばお父様もミートリッテは十中八九ソッチ方面だ、ご愁傷様とか、物騒なセリフを呟いてなかったっけ……?)

 嫌な予感に顎を持ち上げられて、プリシラの目をそろりと窺った瞬間。

「……っ……!」

 自分と同じ顔なのに、思わず息を呑んでしまう妖艶さで微笑まれた。

 どうしよう。
 怖い。

 
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