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逆さの砂時計

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Side Story
  少女怪盗と仮面の神父 54

 飲めや歌えのドンチャン騒ぎが終息した早朝。
 まだ薄暗く人気(ひとけ)がない村内を、一人でテクテク歩き回る。

 結局、ミートリッテは片付けの途中で半ば強引に帰されてしまい。
 その後はどうなったのか、ちょっと心配していたのだが。
 さすが、片付けまでが宴です! と語るネアウィック村の女性陣。
 ハウィスの家を出てから果樹園、菜園、崖上の教会、住宅区、中央広場、自警団の詰所、酒場、砂浜、船着き場、魚用の保管庫、グレンデル親子の家、村の門へ続く坂道の(ふもと)まで、どこを見ても(ちり)一つ残してなかった。
 相変わらずの良い仕事ぶりだ。

 ぐでぐでに酔っ払ってた男性陣も、最後にはきっちり手伝ったのだろう。
 女性二人で運べるかどうかの重さだった瓶箱や一時的に増やした松明も、全部綺麗になくなっている。

(みんな、今日は昼頃まで寝てるかも。体調崩さなきゃ良いんだけど)

 家と家の隙間に横たわる穏やかな潮騒、朝を告げる鳥の声と葉ずれの音を聴きながら、村の入口を目指して坂道を上る。
 門を踏み越えた瞬間にネアウィック村の住民じゃなくなるのかと思うと、この散策にすら儀式めいた()()を感じて、微妙にくすぐったい。

「満足した?」

 門の近くで立っていたハウィスが、こちらを見つけてふんわり微笑んだ。

 その金色の髪は、言葉では説明できない複雑美麗な形に結われ。
 その血色が良い顔は、必要以上に手を入れない上品な薄化粧で彩られ。
 そのしなやかで豊満な体は、肘まで覆う真っ白な手袋と、銀を基調とした装飾品の数々と、高級感溢れるレース特盛な群青色のドレスを纏っている。
 靴は、腰から円錐状に広がった(すそ)で隠れているので断言できないが、多分ドレスに合わせた群青色のハイヒールだ。いつもより少しだけ目線が高い。

 村の空気とはまったく合わない貴族の正装だが、これは仕方ない。

 要人が一塊(ひとかたまり)で動くのは良くないとかで、出発時刻は多少ずらすが。
 彼女とリアメルティ騎士団(眠ったままのマーシャルを除く)も今日から当面の間、エルーラン王子と共にネアウィック村を離れ、リアメルティ領の中心街で職務継承の手続きをしなくてはならないのだ。
 公的な領主交代の認証式や関連書類への署名などは済ませてあるものの、元領主から引き継ぐ屋敷と使用人達の管理等に関しては、近二代の領主達が現地で直接手を打つしかないとのこと。

 そちらが落ち着き次第、近い将来国境に訪れる急激な変化に対応する為、以後のリアメルティ領主の政務拠点は、アルスエルナ王国とバーデル王国、双方の王室公認で、ネアウィック村へと移される。

 ちなみに、貴族籍を剥奪されたらしい元ネアウィック領領主の一家だが。
 絶対知ってるだろうとエルーラン王子に引っ越し先を尋ねてみたところ、そこに関心を持った分だけは成長したな、と意地悪な言葉をくっつけつつ、今は王都の片隅で一般民の生活を謳歌していると教えてくれた。
 引っ越し当初は、解任されて良かったよぉーっと、一家揃って涙ながらに語っていたとも聴いた。
 お父様が彼らに何をしたのかは、恐ろしくて問い質す気になれない。

「うん、ありがと。待たせてごめんね。ドレス、重かったでしょ?」
「こればかりは慣れるしかないもの。貴女もその格好、動きにくそうよ? 足元は大丈夫だった?」
「これこそ毎日着なきゃいけない物だし、どうしようもないもん。まさか、膝上で切り揃えるワケにもいかないしねぇ」

 かく言う自分もアーレストの神父姿と同じ、ダラダラした白い長衣姿だ。
 首には、アリア信徒の証である月桂樹の葉をくわえた水鳥のペンダントもぶら下げている。
 実際に着るのは二度目だが、上から下まで余す所なく真っ白なだけあって些細な汚れでも異常に目立つし、丈が長い分、結構重い。
 コルダ大司教もタグラハン大司教も、見た目では、中年を超えてちょっと経ってる? くらいの年齢だったのに、長衣だのマントだの金物装飾だの、よくも平然と着ていられたなあと、素直に感心する。
 さらっとして気持ちが良い肌触りと通気性の良さだけは、繊維職人さんと服飾職人さんの腕に感謝したい。

「……では、参りましょうか。お手をどうぞ? アリア信仰の大司教候補、ミートリッテ=ブラン=リアメルティ伯爵令嬢」

 くすくす笑うハウィスが、手のひらを上にして自分に差し出す。
 ああ。この瞬間が、人生の分かれ道か。

「はい。参りましょう、ハウィス=アジュール=リアメルティ伯爵様」

 同じ名前を持って別の道を行く母の手に、自らの手を重ね。
 二人で一緒に、門の外へと歩き出す。
 村に残った幼い自分が、遠ざかる母子の背中に笑顔で手を振ってくれた。
 ような、そんな気がする。



「もう良いのか? ミートリッテ。ハウィスさんも」
「「はい」」

 門を離れ、道なりに数分進んだ地点で。
 王太子付きの第一、第二王子付きの第二、第三王子付きの第三騎士団が、横並びで待機している二台の真っ白で豪華な箱馬車を取り囲み、左右二隊に分かれて整列していた。
 右側の騎馬隊が、先発する王都組。
 左側の騎馬隊が、後発するリアメルティ領の中心街組だ。
 互いの手を重ねたままの母子が、右側の先発隊に歩み寄り。
 馬車の横で待っていた王子の手前で離れ、(うやうや)しく頭を下げる。

「道中お世話になります、殿下」
「殿下はやめてくれ。お前にそう呼ばれると、背中がムズ(がゆ)い」
「……正体を知らされた上で、貴方付きの騎士に囲まれている現状、貴方を呼び捨てにした場合、罰を受けるのは私のほうなのですが? 不敬罪確定で死ねと仰いますか。顔馴染み相手に、ずいぶん残酷な要求をなさいますね。()()()()殿()()

 顔を上げたミートリッテが、わざとらしく首を傾げてみせれば。
 周りに立つ騎士の何人かが一斉に、セーウル王子へと視線を投げた。
 その目がちょっぴり非難めいているのは、長年の村暮らしで一般民感覚が染みついてしまったらしい彼に、王子たる自覚を促す為か。

「だっ、誰もお前に死ねとは言わねぇよっ! てか、んなコト言ったら俺がこいつらに殺されるわ!」
「? 騎士に殿下を殺せるわけがないでしょう」
「いいや、やる。こいつらなら絶対、ためらいなく()る。」
「⁇」

 寒気でもするのだろうか?
 真っ青な顔で両肩を抱き。
 豪華な衣装で飾り付けた体を、無駄に大袈裟に竦ませるセーウル王子。
 怯えを含んだ新緑色の目が捉えているのは、彼の護衛である騎士達だ。
 王子が護衛に怯えるとか、意味が解らない。

「それに。お前はもうアリア信仰上層の正式な関係者だ。王族(おれ)と同じ馬車に乗ると決まった時点で、よほどのことじゃない限り不敬罪は適用されない。もっと堂々と構えてないと、中央教会の信徒達に舐められるぞ」
「うーん……」

 『堂々』と『図々しい』と『馴れ馴れしい』の違いについて。
 少々考察したいところだが、これ以上の立ち話も彼に対する失敬行為か。
 しょうがない。

「承りましたわ、セーウル様」
「譲歩のつもりか⁉︎ 気持ち悪いから即刻やめろ‼︎」
「曲がりなりにも女に対して、気持ち悪いは失礼です。王族が礼儀に反する態度を見せては民への示しがつかないと思います。お父様に叱られますよ」
「も、本っ当ぉ──にヤメテ。お前が姪とか、嘘でも考えたくない」

 開け放たれている馬車の扉に、左肩を預けてぐったりするセーウル王子。
 こちらを見ていたハウィスが、なんとも言えない感じで苦笑いを浮かべ、騎士達が一様に肩を揺らして……笑ってる?
 笑う場面なの、今?

「その辺にしとけ、セーウル」
「ミートリッテさんもです」
「兄上、アーレスト様」

 左側の騎士団に指示を飛ばしていたエルーラン王子と、その傍らで様子を窺っていた見送り役のアーレストが、二人並んで近寄ってきた。
 周辺に居る、セーウル王子以外の全員が慌てて礼を執る。

「確かに、通常であれば、王族以外の方々が殿下方を呼び捨てにするなど、体面上は決して許されません。が、型に填まった対応しかできない人間では周囲に舐められてしまう、というのも事実ですよ」

 私は言われた通りのことしかできません。私からは絶対に動きませんと、己の限界を自らで証明しているのですから、当然の評価ですよね。
 有力者は時として、下位者(ぶか)の器を上位者(じょうし)の器同然と見定めるもの。

「貴女につまらないという札が付けられてしまえば、縁を結んだ殿下方にも同じ札が貼られるのです。その点をよく考えて」
「特に、お前がこれから行く場所で待ち構えてるヤツは、遠慮も容赦もなく人を選ぶ。冗談でもへりくだった態度を見せる相手は大喜びで踏み潰すし、隙を見せればお遊び感覚で取って喰う、悪魔よりも悪魔な本物の悪魔だ。ま、何事も適度に適切に、柔軟に生きろ」

 中央教会に悪魔? なんで?
 と、目蓋を小刻みに開閉していると

「また、彼女をそのように……。噂ほど酷い御仁ではないと思うのですが」

 セーウル王子も不思議そうに声を返した。

()()?)

「お前は、あいつにとって護るべき対象だから被害に遭わなかったんだよ。弄る対象に選ばれなくて良かったな、マジで。」

 ミートリッテは十中八九ソッチ方面だ。ご愁傷様。
 って呟きが、物凄く不穏なのだが。
 ソッチ方面て何?
 いったい、誰の話をしてるのか。

 脳内で疑問符を乱舞させているミートリッテの耳に、そっと手を添え。
 ハウィスが小声で、こっそり(ささや)く。

「貴女は、セーウル殿下にとっては親しい御学友みたいな立ち位置だから。王都に着くまでの間だけでも、いつも通りに接して差し上げて?」

 本来は不敬とされる行いを、保護者役の三人から推奨されてしまった。

(そりゃあ三人とセーウル王子は昔からの知り合いと身内で、今回の件でも協力者の立場だったから、そういう気兼ねはほとんど要らないだろうけど)

 しかし、ミートリッテは紛う方なき底辺上がりの新参者だ。
 幼馴染の付き合いがあると言っても、自警団員と一村人の枠は出てない。
 王子とアリア信徒ではどこまでが許容範囲なのか、全然掴めてないのに。
 こういうのって、初めのうちだからこそ、はっきりさせておくべきでは?

(なんだかなあ……)

「んー……分かった。一般民の前以外では、いつも通りね」
「そうしてくれ」

 釈然としないものを感じつつも、ミートリッテが了承の意を示せば。
 エルーラン王子に頭をポンポン叩かれながら満足気に頷くセーウル王子。

(あんたはどこのお子様だ! 周りの冷めた目に気付きなさいよ、ったく)

「んじゃ、出発だ。二人共さっさと乗れ!」
「痛……ってっ! ……ほら」

 背中を打たれてよろめいた弟が、なんとか姿勢を正し、手を差し出す。
 並び立つ兄弟を改めて見ると、二人の容姿は華がない辺りがそっくりだ。
 ずっと身近に居たから、本当は王子だったんですなんて言われてもピンと来なかったが、兄と似た隙がない所作は、確かに王族だなと思わせられる。

「よろしくね、ヴェルディッヒ」
「ああ」

 ハウィスから離れ、彼の手が導くまま馬車へ乗り込み、席に着く。

「あ、そうだ。神父様」
「はい?」
「短期間ながら大変お世話になりました。お礼……と言ってはなんですが、その顔に拳の跡を付けさせてくれませんか? 一つだけで構わないので」
「私は、いついかなる時でも神父として当然のことを為したまで。なので、丁重にお断りさせていただきますね」
「とても残念です。神父様に頂いた心理的負荷のおかげで極めて不倶戴天(ふぐたいてん)な心境です。今は人目もある為退きますが、いずれ必ず、お返しに伺います。覚悟しておいてください」
「はい。道中お気を付けて。女神アリアの祝福が舞い降りますように」
「「ありがとうございます」」

 まったく動じていない、いつもの嘘臭くて憎たらしい笑顔で別れを告げたアーレストが、外側から扉を閉める寸前。

「行ってらっしゃい!」

 聞き慣れた母の明るい声に振り向き。

「行ってきます!」

 こちらも、とびっきり明るい声を弾ませた。

 閉ざされた空間の外側で、先導者の合図が響き渡り。
 やや間を置いてから、車輪がゆっくりと滑り出す。

「嬉しそうだな、お前」

 正面に座ったセーウル王子……もとい。
 ヴェルディッヒが、寂しくないのか? と頭を傾ける。

 七年間を過ごした最愛の故郷だ。寂しくないのかと尋かれれば、どんなに決意を固めてたって、別れは寂しいに決まってる。
 でも。

「嬉しいよ? だって」

 扉に填まってる小窓の向こうで、少しずつ小さくなるエルーラン王子と、アーレストと、ハウィスの輪郭。

「みんなが笑ってるもの」

 反対側の小窓に目をやれば。
 神々しいほどの白光が、濃い青と深い緑を照らし出していた。

 今……長い夜が過ぎ去り、新しい未来が始まる。



 南方領を中心に活動していたシャムロックだが。
 他方領へ出向いた回数は、両手の指で足りる程度だ。
 それも、領境から一日で移動できる範囲内が、子供の体力と精神、時間と金銭の限界だった。

 つまり。
 ミートリッテには、南方領と直接繋がる東方領か。
 よく行っても、中央領の端っこまでしか立ち入った経験がない。
 人口と物流と文化の規模といえば、幼少期を過ごしたバーデルの港町か、南方領で一番大きい街が最高基準になっていると言って良い。

 もちろん、都と称される国の中心部が他の領地と肩を並べる程度で収まる筈がないのは解っていたが、最高基準を越える規模など想像やら妄想やらの域を出られるわけもなく。

 要するに。

「どうしても、ダメですか」
「はい。貴女お一人で、お通りください」
「どおおおおおおしても⁇」
「何度でもお答えします。貴女お一人で、お通りください」
「うぐぅぅ……生きて出られる気がしないぃぃ……」

 ネアウィック村と南方領の中心街全域を合わせても余りありすぎる王都の大きさ・人口の多さ・途切れない商隊の列・夕暮れ後も下がらない熱気や、いつ見ても不自然な白さが際立つ外壁の群れ等々に気圧(けお)された挙句。
 アーレストの教会なんか内部でいくつでも現物保存できそうなバカでかい中央教会の外観に戦慄した末。
 奥まではお一人でお進みください、なんぞと迷子確定な処刑宣告を受けてなお、平然としていられる田舎娘は存在しないだろう……という話だ。

 受付の席に座る長衣姿のお姉さんの清々しい笑顔が、いっそ憎らしい。

「セーウル殿下ぁ~……」
「中央教会は治外法権だ。諦めろ」
「デスヨネ」

 数多の雨嵐が吹き荒ぶ、悪天悪路の最中を突き進み。
 点在する居住地で休憩を挟みつつ、馬を換え、車輪を換え、馬車を換え。
 三ヵ月近くの時間を掛けて、ようやく辿り着いたアルスエルナの王都。

 これそのものが山なのでは? と疑った巨大すぎる王城の広々した客室で一泊後、第三王子の帰還に併せて次男不在の国王一家とご挨拶。
 更に一泊して本日。
 アルスエルナ教会の現次期大司教へと挨拶する為、ヴェルディッヒ直々の案内で中央教会の関係者専用受付へ。
 執務室まで一緒に通してもらえるかと思いきや。
 見学者や信徒達でごった返す見知らぬ建物で、いきなりの個人行動通達。

 嫌がらせか。

 王城では緊張しててほとんど眠れなかったし、出された食事なんか目でも舌でも味わってる余裕はなかったし、王族方のご尊顔など直視できないし、覚えられないし。
 ちょっとでも隙を見せていたらと思うと、あらかじめ最低限の作法だけは教え込んでくれていたヴェルディッヒには、頭が上がらない。

 あ、でも。
 第二・第三王子の容姿は、どうやら王様譲りっぽかった。

 王妃陛下と王太子殿下は纏う空気からして異次元のソレだった気がする。
 なんかこう、体の周りで見えない花や星が発光しながら飛び交う感じ。
 アーレストとはまた別の(きら)びやかさだった。

 と、正直な感想をヴェルディッヒに告げてみたところ。
 地味な存在で悪かったな! と拗ねられた。
 気にしてたのか。

「そんなに萎縮しなくても、内部の造りは至って単調だぞ。迷うとしたら、右へ行くか、左へ行くか、手前から何番目の扉に用があるか、だけだ」
「だって壁一面窓だらけじゃないですか! 何百部屋あるんですかここ⁉︎」
「教会正面に見える窓の数と部屋の数は一致しませんよ。今は建物を三つに割って、正面左が主に信徒達の生活・仕事区域。真ん中が一般向けの礼拝・見学区域。右側が役員達の生活・仕事区域。と大雑把に覚えていただければ十分です。貴女が招かれている次期大司教様の執務室は、建物の中央にある左右対称の階段を右へ上り、右手側の廊下をまっすぐ進んだ先、突き当たり正面にあります」

(……本当かなぁ……?)

「嘘を教えてどうする」
「声に出してないのに!」
「顔には出てたな」
「純粋無垢な自分が恨めしいっ」
「冗談を言える余裕があるなら問題なし。とっとと行ってこい!」
「……はあ~い」

 肩を小突かれ、指定された場所へと渋々向かう。
 が。

(案の定迷ったら、一生文句を言い続けてやるーっ!)

「……彼女も、閣下の『生贄』なのでしょうか。セーウル殿下」
「……私に尋かれても困る」



 一度すり抜けた、礼拝待ちの異様に静かで分厚い群列を、再度すり抜け。
 人の熱と臭いでへとへとになりながら、中央階段を右へ上がる。
 言われた通りの順路は確かに単調で、突き当たりまでひたすらまっすぐに歩けば良いのだと一目で分かった。確かに、迷うことはなさそうだが……

(無駄に広い……いや、ちゃんと意味があっての広さかも知れないけど! それにしたって、突き当たりに着くまで何分掛かるのよ、この廊下!)

 さりげなく敷かれてる落ち着いた色調の絨毯とか。
 天井に点々とぶら下がってる豪華なシャンデリアとか。
 右手側でずらーっと整列する扉の脇にそれぞれ飾られてる壺とか花瓶とか風景画とか、左手側に等間隔で填められてる大きなガラス窓とか。
 ここに使われてる物だけで、総額いくらになるんだろう?
 一つでも壊したら、生涯無償で強制労働させられそうだと。
 そんな、嫌な想像に口元を引き攣らせながら、てふてふ歩いていくと。

「…………っ⁉︎」

 信じられない物が視界に飛び込んできた。

(ま……まさか、そんな!)

 廊下の突き当たり正面にある、焦げ茶色の堅そうな扉。
 その両脇に、(はかな)げな容姿でひっそりと。
 しかし、無視できない存在感を放って佇むあれは!
 思わず駆け寄り。
 触れるか触れないかギリギリの所で、視線と指先を上下左右に泳がせる。

 山型の台座から、細長くも歪みなくまっすぐ伸びている黄金色の美脚。
 その全身に絡み付くような、緑色に澄んでいるガラス製の葉っぱと茎。
 白濁した五枚の花弁の中央にピンと立った鋭い針と、深型の金皿。
 そのどれもが妥協を許さない、実物と見紛うほどの精密な作り込み。

(……間違いない! これはっ……)

「旧史一三七八年頃。バーデル王国の前体制である、アレスフィート公国の工業全盛期に、世界初の貴族出身女性装飾技師フィルメランタ=クルールが作り出した元始の花型複材燭台。二十台前後の連番中、多くは歴史の流れに消えてしまったけれど、近代確認された三台のうち一台は一昔前に北大陸の内乱で焼失。一台がアルスエルナ国内で発見、修復されたそれ。右隣の物は修復を担当した装飾技師が作り上げた模造品で、もう一台はアリアシエルの教皇室に納められているわ。ふふ……あんなに遠く離れた場所から迷いなく本物に駆け寄るなんて。貴女、優れた鑑定眼を持ってるじゃない」

「みゃぎゃああっ⁉︎」

 その筋の人間には、大変貴重な歴史的文化遺産と呼ばれ。
 装飾界隈の誰もが、死ぬまでに一度は見てみたいと血眼(ちまなこ)になって探している幻の逸品。
 それに出会えた喜びと感動に浸っていて、油断した。

 まさか、近くに人が居たなんて!
 と、反射的に身構え。

「……え? あれ? 鏡? 幻聴?」

 誰も居ない空間を見て、肩の力を抜く。

 いや、居るには居るが。
 不思議そうな顔でこちらを見ているのは、水辺で見慣れた自分の顔だ。

 バンダナで覆い尽くせるよう、短く切り揃えた金色の緩やかな髪。
 南の地にあっても、何故かあまり陽に焼けない白い肌。
 陽光が落ちた直後の、ほんのり明るさを残した北西の空と同じ藍色の目。
 胸元に揺れる銀色の水鳥も、真っ白い長衣から覗く白い両膝も……

(……ん? 膝? 膝なんか出してたっけ?)

「ふぅ~ん? 想像していた以上にそっくりね。これなら十分楽しめそう。でも、惜しいわ」

 自分の足元を確認しようと下げた視界に

「ここがもう少し成長していればねぇ」

 洗濯板をぺたんと押さえる二本の腕が生えた。

「……………………………………。」
「あら。手触りは悪くない」

 むにゅ?
 むにゅってなんだ、むにゅって。
 幻覚や幻聴にしては、感触が妙に生々しい……

「ってぇ! さすがの私でも、生身の人間が触れば現実かどうかくらい判別できるわあっ! 貴女、誰⁉︎ 何者⁉︎ というか、その手を放せえぇっ‼︎」

 咄嗟に両腕で胸部を庇い。
 大きく飛び退いて、ガラス窓に背中をビタッと貼り付ける。

 羞恥と驚きで潤んだ目線の先。
 両腕を伸ばしたまま腰を屈めている女性は。
 よく見ると自分より背が高く、胸が……大きい。腰も、くびれてる……。
 なんたる屈辱感……。
 緩やかな髪も、首筋で束ねてるだけで、実際は腰辺りまで伸びてるし。
 靴すら履いてない素の白い両足には、わずかな傷もなく。
 骨格や筋肉の付き方からして美しい。

 あ。ダメだコレ。
 同じ顔(こちらのほうがやや年下と推測)の別人にボロ負けしてる。
 惨敗だ。

「教会内で無闇に大声を出すものではなくてよ?」
「誰のせいですか、誰の!」
「一時の感情を抑制できない貴女のせい」
「そう言われればそうかも知れませんがっ! なんか理不尽!」
「貴女も体験してきたと思うけど、大人の世界で理不尽じゃないモノなんか滅多にないわ。権力者に理不尽を訴えても今更すぎて嘲笑の的になるだけ。早急に慣れなさい。そして、理に適う対処技術を身に付けなさい。一方的に操られるだけの滑稽な人形に成り下がる前にね」
「!」
「ふふ。感情に素直な様は、純粋な小動物のようで非常に愛らしいけれど、今日は戯れる為に呼んだわけではないの。お入りなさいな」

 虚を衝く鋭い言葉で固まった腕を、優雅な仕草で引き寄せられ。
 開いた焦げ茶色の扉の内側へと招かれる。

 って…………

(この女性が、アルスエルナ教会の次期大司教プリシラ様だったのか!)


 
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