ヤザン・リガミリティア
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這い寄りし妖獣
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ヤザンがリガ・ミリティアにいる 作:さらさらへそヘアー
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這い寄りし妖獣
「っ、うぐ、おぇっ」
ボーイッシュな美少女、フランチェスカがヘルメットの中で嘔吐く。
全天周囲モニターの前方から高速で迫るV2ガンダムが、リガ・シャッコーのコクピットを金属の拳で殴打すれば嘔吐いた少女は更に激しく揺さぶられ「う、うわぁっ!」などと叫んだ。
この時代のMSのG耐性や衝撃制御の性能は、女子供さえMSでの戦闘を可能にする程優秀だが、執拗にコクピットを殴ってくる相手にはやはり辛い。
「こ、このぉ!」
フランチェスカは慌ててMSにサーベルを振らせたが、それは虚しく空を切る。
彼女の目の前にいたはずのガンダムタイプのMSは、リガ・シャッコーを殴り抜いた体勢のままにミノフスキー・ドライブの斤力と圧倒的なアポジによって高速の平行移動を行っていて、既にそこはもぬけの殻。
「わああ!!?」
リガ・シャッコーがまた揺れた。
背中からV2の蹴りがバックパックに刺さり、リガ・シャッコーは高速で月の重力に落ちていく。
だが激突はしない。
リガ・シャッコーのオートバランサーが機体を持ち直してくれる。
パイロットはフットペダルを吹かすだけで後はバイオコンピューターがある程度の曲芸飛行は熟してくれた。
「く、くそぉ…V2、速すぎだって…!え!?どこ!?」
全天周囲モニターに機影無し。
熱源センサーに反応有り。
「っ!そこ!」
振り向き様に、模擬戦用に出力調整されたビーム・ピストルの早撃ちを敵へ見舞うフラニー。
しかし既にそこにいた敵は、フラニーのその動きを知っていたかのように回避していた。
敵が笑う。
「良い反応だが!それは所詮機体性能だ。頼りすぎだな、フランチェスカ!」
「わ、わぁあっ!?っ、うっ、ぐ、ゲェぇ!」
回避しつつ突進してきたガンダムの蹴りがリガ・シャッコーのコクピットに命中。
嘔吐きつつも中身を撒き散らすことなく耐えていたフラニーは、最後の特大の衝撃にとうとうヘルメット内に半ばまで消化できていた朝飯をぶち撒けた。
「Biiiii…」という無情の機械音が模擬戦の終わりを告げる。
当たり前だが、フランチェスカの完敗だ。
6時間休み無しのチーム訓練と、その後の2時間の個人訓練の中で、彼女が教官…ヤザン・ゲーブルに一矢報いる事が出来た回数は0回だ。
酸っぱいもので口元を汚し、不快な感触に濡れる端正な顔面を歪めながらフラニーは唇を薄く噛み、直後に気の抜けたように笑った。
「はは…あ~、強ぉ…。これが、ヤザン・ゲーブルなんだ」
倒れたリガ・シャッコーの中でフラニーは心底満足気な溜息を漏らしながら、モニター向こうから自分にビームライフルを突きつけてくるガンダムを見上げていた。
――
―
「ねっ、隊長!隊長のティターンズ時代の話、今度こそ聞かせてください!」
フランチェスカは今日も元気よくヤザンの周りをウロチョロしている。
彼女の引き締まりながらも女性らしいラインを持つ尻に、ぴょこぴょこ揺れる犬の尻尾でも見えていそうだ。
ついでにオレンジ色の跳ねるセミロングヘアからは、見える人には犬の耳も見えるかもしれない。
まさに犬気質のフラニーは、飼い主に構って欲しいワンコロとなっていた。
「喧しいやつだ。俺の昔話なんざ聞いてる暇があったらシミュレーターでもやっていろ」
「先達の経験談は貴重でしょう?」
「参考程度にしておくんだな。ロートルの言葉は話半分で聞いとくもんだぜ」
「隊長はロートルなんかじゃありません!現役バリバリじゃないですか」
フラニーがヤザンの腕をとってくっつく。
薄い眉毛を歪めて軽く睨むヤザンだったが、彼女のこんな行動は既に何度目か…数えるのも馬鹿らしいくらい繰り返されている。
「暑苦しいンだよ。離れろ」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないし」
フランチェスカのそんな積極的過ぎる様子を、シュラク隊達はそれぞれの感情がたっぷり籠もった目で眺めている。
「あんな強面のどこがいいのかね。フランチェスカって趣味悪いわよ」
「それをあたしらが言っても説得力ないんだな、これが」
ジュンコとヘレンが、ハンガーデッキの片隅のコンテナに腰掛けながらドリンクを啜っている。
「私は別にあの顔に惚れたわけじゃないからね」
「じゃああのフラニーもそうなんでしょ」
「隊長の良さは、一緒に背中を預けて戦わないと分からない。
フラニーのお嬢ち・ゃ・ん・はまだまだ隊長の本当の良さを知らないのよ」
わざわざちゃん付けを強調して彼女のおぼこい部分を揶揄するジュンコのその言葉に、にんまりとヘレンが笑う。
「いつの間にか、結構ジュンコもホの字じゃないのさ」
「そりゃ、命預けて、助けられて…ベッドの上でもあれだけ満足させられてればね…それで惚れない女っているのかしら」
「おっ、見なよジュンコ」
ヘレンが顎で方向を示し、ジュンコがその先へ視線を誘われれば、そこにいたのは金髪の令嬢。
またまたヘレンがにんまりと笑った。
「カテジナお嬢様のご登場だよ。見ものだね」
シュラク隊の年若い新参フラニーは可愛いと言えば可愛い。
フランチェスカ・オハラは分かりやすいサバサバとした性格をしているし、容姿もその性格の通りこざっぱりとした美形で、男女問わず見る人に好感を与えやすい。
シュラク隊の先輩であるジュンコ達への敬意も、その言動からは見られるし、新型のテストも任せられ、且つシュラク隊に抜擢されただけあってパイロットとしても良い。シュラク隊好みの人材だ。
しかし、フラニーの態度にはありありと、非常に分かりやすいヤザンへの好意があるから、パイロットとしては兎も角、女としてはシュラク隊達は心にモヤつくものがあった。
これ以上ライバルが増えるのは御免被りたいが、自分達も1人の男ヤザンをシェアしてるから、「お前はダメ」とは強く言い辛いのだ。
だがこれ以上ヤザンの女が増えれば自分達への〝分前〟が減る。由々しき事態だ。
宇宙戦国時代真っ盛りの今、強いオスは希少であった。
だが、いくらヤザン・ゲーブルが強壮なオスであろうと体は一つなのだからシェアには限界がある。
そんなヤザンを見つめる金髪の令嬢。
「…」
黙ったままジトつく視線でヤザンと、そしてその腕に絡みつこうとするオレンジ髪の女を見つめていたがやがて嫌味ったらしく口を開いた。
「もう新しい雌犬を手懐けたのね?」
フン、と鼻を鳴らすカテジナは髪を掻き上げながら、背の高いヤザンを下から見下すように言えば、それがまた何やら可愛らしく、ヤザンは口の中で静かに笑いながら言い返した。
「俺もなかなかだろう?俺という奴はブリーダーの才能でもあるのかもしれんなァ」
「わっ」
言いつつヤザンはフランチェスカの肩を抱き寄せる。
それはまるで見せつけるようだ。
さっきまでは鬱陶しそうに邪険にしていたが、カテジナが絡んできたものだから面白がってついこうした。
フランチェスカは褐色の頬を少し赤く染めてヤザンのなすがままである。
カテジナへのあ・て・つ・け・か出・汁・にでもされているのかもしれないフランチェスカは少し哀れだが、ヤザンはこの肉付きの良いボーイッシュな女に性的魅力を感じないと言えば嘘になる。
ヤザンとて、むこうから嫌われていて、且つ己も興味がなければ魅力を感じない女にこういう事はさすがにしない。
一瞬、カテジナの鋭い目尻が釣り上がる。
だが、ここでカテジナも成長という名の変化を見せるのだった。
「…ふぅん…ま、いいわ。たまには摘み食いもしたくなるでしょうから」
明らかに目と声に怒気は込められている。
しかしカテジナは幾らかの余裕を見せたのだ。無理をしての虚勢かもしれないが、それでも虚勢を張れるだけの余裕と自信が芽生え始めていた。
これにはヤザンも悪人面の三白眼を少し見開いてカテジナを見呆けて、そして思わず聞き返した。
「なんだと?」
「摘み食いよ。その女との事。私以上じゃないって、抱けば分かる事でしょ」
カテジナの言い様にヤザンは小さく口笛を吹いた。
「驚いたな。あのキャンキャン喚く小娘はどこにいったんだ?」
「もう小娘じゃない」
「ハハハ!そうだな。確かにもう処女じゃない」
その言葉にカテジナの眉が不機嫌そうに歪んで、そして少し彼女の頬が紅くなる。
聞いていたフランチェスカの頬もそうなったのは、二人の会話を聞いてそ・れ・を想像したからだろうか。
だが、照れる以上にフランチェスカは不愉快だった。
目の前の金髪の御令嬢の、女としての余裕が気に食わない。
フランチェスカあんたじゃヤザン・ゲーブルを分捕る事はできない…まるでそう言われているみたいだったからだ。
フランチェスカとて女である。
サバサバしていようが、ボーイッシュであろうが、女だてらにパイロットをやっていようが間違いなく女だった。
だからこうも喧嘩口調になって会話に割り込むのも仕方がない事だろう。
「ふーん、じゃあさ…問題ないってことだよね。今晩は、隊長はあたしのもんだ」
ヤザンの言葉には我慢をしてみせたカテジナだが、自分の後からリーンホースのMS隊に入ってきて好みの男を分捕ろうとしてみせる後輩女には同じ態度ではない。
…ハズだが、不気味なくらいニッコリと優しげに笑って後輩女を手招きした。
「面白い事を言うのね、あなた。こっち来なさいな。そういえば、まだちゃんと挨拶をしていなかったと思うから、よろしくといきましょうよ」
「…へ?」
そうだったかな?と思いつつも、確かに思い返してみると彼女の着任挨拶は目まぐるしい忙しい最中で行われた。
クルー全体への挨拶はデッキで済ませたが、個々への挨拶は順次、空いた時間で行っている状況で、確かにカテジナの番はまだだった。
喧嘩を売ったつもりが、そういう返しをされて少々拍子抜けながら、フランチェスカは素直に手招きに応じた。
それが甘かった。
――パンッ
乾いた音がして、そして段々とフランチェスカの頬がジンジンと熱くなった。
「な…」
フランチェスカが、自分が何をされたかに気付いたのは2秒か3秒経った後だ。
カテジナは冷たい笑顔でフランチェスカの頬を平手打ちしていた。
「とち狂ってお友達にでもなりにきたのかい?」
「ッ!コイツ!!」
カッとなって拳を作りカテジナに殴りかかろうとするフランチェスカ。
ヤザンはそれをいつでも止めることが出来る距離にいながら、だがほくそ笑みつつ止めない。
あっという間に取っ組み合いとなるのは当然だ。
遠巻きに見ていたシュラク隊のジュンコとヘレンも、まるで好きなスポーツ中継を観戦でもするような笑顔を浮かべてコンテナに深く腰掛け眺めている。
ヘレンなど、寧ろ自分も参加したそうに「やれー!そこだ!」などと野次を飛ばしていて、そんな騒動だからあっという間に人垣が出来るのは当たり前だ。
ハンガーデッキ中の整備士も集まり、やがて他のシュラク隊メンバーまで観戦に来て…ケンカなど娯楽の一種でしかない戦場の人間達はこんな事さえ楽しむ。
だが、乱痴気が過ぎれば娯楽も罰せられる。
そんな事は戦場生活が長いヤザンは充分知っている事だった。
「息抜きにはこういうのも必要だがな…おい!そろそろゲームセットだ!!」
カテジナとフランチェスカが同時に繰り出したビンタだか爪立て引っ掻きだかを、ヤザンはしっかりと左右の手で受け止め、女同士の戦いの終わりを宣言した。
それを見て、野次馬連中も「ここまでか。いやー見ものだったな」とか「キャットファイトって生で初めて見たぜ」とか好き勝手言って解散しだし、ジュンコとヘレン達も「ちぇっ、これからがいいトコだったのにね」「バーカ、あれでいいのよ。アレ以上やったらパイロット潰れるでしょ」「止めるタイミングどんぴしゃだね、隊長は」「そりゃ、本人も慣れてるでしょうからね。ケンカああゆうの」とまぁ、対岸の火事とばかりに他人事である。
「……ふぅー…!…ふーっ!」
「…っ、はなし、てよ!」
小綺麗な金髪が乱れ、顔に幾筋の引っかき傷を作ったカテジナ。
もともとくしゃくしゃ気味だった癖のあるオレンジ髪をさらにボサボサにし、右目に少しの青あざ、唇の端から流血のフランチェスカ。
両者鼻息荒く、腕をヤザンに捻じりあげられながらも互いを睨み合っている。
ヤザンはやはり愉快そうに微笑みながら、だが声だけはいっちょ前に怒ってみせた。
「いい加減にせんか。ゴメスが騒動を聞きつけるまでやり合うつもりかよ。やっこさんが来たら修正の鉄拳と始末書もんだぜ?その点俺は優しいもんだ。今のうちにやめとくんだな」
でないと俺も監督不行き届きで目玉を喰らう、と最後に悪戯小僧のようにヤザンは笑った。
「…ふぅ、ふぅ…ヤ、ヤザン隊長が…そう言うなら…」
肩で息をしつつフランチェスカは頷く。
もちろん、カテジナを強く睨んだままだが。
一方のカテジナも、
「…ふん!分かったから…離しなさいよ」
負けじとフランチェスカを睨みつけながらヤザンの手を振りほどくと、お次にヤザンを睨みながら突然に言いだした。
「今夜は開けときなさい。この責任はとってもらうから」
「俺がか?」
「当然でしょう?元はと言えば貴方があ・て・つ・け・て・煽ったからなんだから」
カテジナがそう言うと、フランチェスカも「あぁ~、まぁ…確かに」と控えめに呟きつつカテジナの言に乗っかって頷いていた。
ヤザンは痩けた頬を指で軽く描きながら、とぼけるように考え込むフリをしたが、もちろんそんな事でカテジナは話を流してはくれない。
一度食いついたら離さないのがカテジナという女だ。
「だから、今夜は貴方が私を慰めるの。いいわね?」
「あっ、じゃああたしもその権利があるって事だろ?ですよね、隊長!」
元気よくフランチェスカが手を挙げるが、それをカテジナは心底嫌そうに見つつ口を開く。
「なんであんたまで。後から来たんだから遠慮しなさいよ…!だいたい、あんたがヤザンに付きまとうからこうなる!」
「先に唾をつけた奴がエラいって誰が決めたんだよ!女の戦いに後も先もないね。男心と秋の空って、昔は言っただろ。お前みたいな女は男に飽きられるのがオチってね!」
「…ッ!どっちみちあんたが惨めになるだけよ、フラニーち・ゃ・ん・。あんたみたいなガサツな女…私に勝てるわけがない」
「めでたいねぇ…その言葉、そっくり返すよ。温室育ちのお嬢様じゃ隊長みたいなワイルドな男には最後まで付き合えない。あたしみたいなのが一番いいんだ」
カテジナがフランチェスカのパイロットスーツの襟元を掴み、そしてフランチェスカも掴み返す。
ヤザンは呆れつつ、また笑った。
こ・う・い・う・の・は嫌いじゃない男だったが、それでもいい加減にしろ、といったところだ。
「仲良しなのはわかった。だからもうそろそろ本気でやめておけ。殴り合って腫れ顔の女を抱くのは流石に萎えるぜ。二人共、今夜俺の部屋に来い。〝仲直り〟させてやるよ」
また女二人の細腕を掴んで無理矢理引き剥がすと、ヤザンは二人の尻肉を掴むように叩いて二人を後押しし、距離を置かせる。
「このケンカは俺預かりだ。決着は今夜、俺が見届ける。いいな!」
ヤザンがこうまで言ってようやくこの場は収まったが、カテジナとフランチェスカの鼻息は荒いままに去っていった。ご丁寧に、最後は睨みの一瞥をくれながらである。
ヤザン・ゲーブルは溜息をつくが、それでも心底楽しそうに見えるのはこの男の性分が存分に見え隠れした。
「隊長、さすがに煽りすぎましたね」
ヤザンの後ろからジュンコが愉快そうに声を掛ければ、ヤザンも苦笑して頷いた。
「こりゃ責任をとらんとな」
「私らも参加しても?」
ヘレンがニヤッと笑って割ってくる。
だがヤザンは「ダメだ」ときっぱりと拒絶する。
「え~?なんでですか!新人贔屓だ!」
「ちゃんとローテーションは組んでいるだろうが。それに、今日は後輩に譲ってやれよ。カテジナがヘソを曲げると面倒なのはお前らももう知っているだろうが」
「むぅ…まぁそうですけど」
ジュンコも少し頬を膨らませた。
シュラク隊の中では一番大人な女であるが、こういう表情もヤザンの前ではするようになっていた。
「聞き分けがいいな?だからお前は好きだぜ、ジュンコ」
ジュンコの細い顎を軽く摘んで持ち上げ、瞳を射抜きながら言う。
何度も抱かれているとはいえ、照れるものは照れる。ジュンコは少し頬を染める。
「それって都合の良い女って言ってます?」
「男が惚れるイイ女って事だ」
後ろでヘレンが口笛など吹いて軽く茶化しているし、遠くから整備士の何人かは心底羨ましそうに…だが尊敬の眼差しでその場を取り仕切る男を見つめていた。
普通の男には出来ない事を平然とやってのけるこの野獣は、男から見ても羨望と嫉妬と尊敬の塊なのだ。
戦場では冷酷な狩人であり、プライベートでも粗野であるくせに、男女問わず身内へは気遣いも出来れば女への口説き文句など時に詩的で紳士的でもある。
戦場でもプライベートでも撃墜スコアには事欠かないというのは、何とも羨ましい限りだろう。
背後からヘレンがヤザンに胸を押し付けるようにしなだれかかり、耳元で囁くように懇願しだす。
「じゃあ…明日はうちらって事でいいですか?」
「明日はマヘリアとコニーだろう」
「隊長なら4人でも5人でも相手できるでしょう。部下のケアも上司の義務ですよ?」
諦めてくださいね、と最後に締めて足早に去っていくジュンコとケイトの背を見送りながら、ヤザンは何度目かの溜息を吐く。
整備士達は、その溜息の何とも贅沢な事に内心血涙を浮かべながら作業を続けていた。
―――
――
―
順風満帆に物事を進め始めていたリガ・ミリティアに、特大の衝撃ニュースが突如舞い込んだ。
そのニュースはとてつもない凶報であった。
折角奪取し、ビッグキャノンを修理し、要塞化も施していたカイラスギリーが爆発四散したという特大のバッドニュース。
しかも駐留艦隊もラビアンローズⅣもカイラスギリーと運命を共にしたというから、これは先だっての勝利の余韻に水を差した。
誰もが、当初はその情報を正しいものと思えず、何度も何度も確かめてしまった程である。
「全滅って…バグレ艦隊の皆さんもですか?あのユカ・マイラスさんも!?」
ウッソにとっては、顔も知り言葉も交わした友軍の初めての大量の戦死でもある。
ここ数日の母との暖かな邂逅も消し飛んでしまいそうだった。
ショックは大きいようで顔を青くしている。
ウッソ以外の大人達にとってもそれは似たようなものだった。
ホラズムのブリーフィングルームに集められた主要メンバーは、皆緊張感ある顔で視線と言葉を交差させている。
喧々囂々というやつである。
その中でも、現地リーダーのミューラと、客分のリーダーである伯爵と、そしてヤザンを中心にその話し合いは進行していく。
伯爵が言う。
「とにかく詳細が分からないんだ。
なにせ、監視衛星に映った大きな閃光と、漂流していたバグレ艦隊の生き残りの証言と戦闘記録だけなんだよ」
伯爵のその言葉にウッソは食いついた。
「なら、なんで皆死んだって分かるんです!?
まだ生きている仲間がいるかもしれないじゃないですか!
現に、救助できたバグレの人がいたんでしょう!?すぐに増援を派遣すべきですよ!」
「一応、偵察は既に出している。…それに救助というがあれは偶然だ。
漂っていたジャベリンを拾えただけだし、パイロットは酸素欠乏症で聞き取れた情報も断片的で…そんな不確かな映像と証言だけでも状況が最悪なのが分かる。
既にバグレ艦隊が壊滅した公算が大きい今、こんな危うい状況で主力を危険に晒すわけにはいかん。各個撃破だけは避けなくては」
「そんな…」
ウッソの唖然とした様子は他の者達の代弁でもあった。
復帰し、リハビリがてらの訓練に参加し折角調子を取り戻しつつあったマヘリア、ペギー、コニーの顔からも笑顔は消えている。
シュラク隊やカテジナだけでなく、ヤザンさえもその顔はいつもより更に厳しいものとなっていた。
「とりあえずは、分かっているだけの情報を教えてくれ、伯爵」
ヤザンに言われオイ・ニュングは頷いた。
伯爵がその優れた情報収集能力と判断力で出した当座の結論としては、バグレ艦隊は以下の状況であったと思われる。
○何の前触れも無く、あらゆる電子機器に引っかかる事無く、強力な赤いビームにカイラスギリーの起動試験中のコアエンジンを正確に撃ち抜かれ要塞は爆発。
○大爆発によって集結していた艦隊は甚大なダメージを受け、生き残った艦艇もその赤いビームに次々狙撃され、反撃どころか補足もままならず全艦艇轟沈。
○生き残ったMS隊の残党は、母艦が全て墜ちた事から逃走も諦めざるを得ず、狙撃方向に向かってイチかバチかの反撃を試みたが推進剤切れでそれも叶わず。MS達の航続距離以上の遠距離からの精密狙撃と予測。
○そこに巨大なMAとMSによる攻撃を受けてMS隊も壊滅。
そういった情報をオイ・ニュングは淡々と皆に発表し、そして同時に監視衛星の映像と、拾ったジャベリンのコンピューターから引き出した戦闘記録映像を上映した。
皆、固唾を呑んでそれに食い入る。
「…映像の劣化もあってか、ろくに見えん…。だが速いな」
ヤザンはがっかりしたように言い、ウッソも同意見だ。
「あまり参考になりませんね。…でも、大型の水色のとオレンジ色のは同型機かな…?」
「そう見えるな」
オリファーが頷く。
「あの長いのは尻尾だとでも言うのかしら…?センス悪いけど…厄介かもしれないわね」
続けてマーベットが言えば、ヤザンもオリファーもウッソも頷いた。
「ん?…今のは…ヤザンと私が追い払った新型…?」
カテジナがそう言うとヤザンも「そうらしい」と賛同する。
映像は、大型の水色のマシーンが迫り、画面いっぱいが水色で埋まった所で終わった。
救助されたパイロットは、その最後の襲撃によって破壊し尽くされたMSのパイロットだった。
彼は一方的に蹂躙された恐怖と宇宙漂流等からPTSDを発症し、また酸素欠乏と肉体の10分の1程を炭化させながらも、必死に情報をカミオン隊に持ち帰った。
現在、集中治療室に入ってはいるが助かる公算は極めて低いと見られる。
命懸けで最後の仕事を全うしてくれたのだった。
「分かっている中でも、ろくに交戦も出来ず一方的に攻撃されてバグレ艦隊は全滅した。
簡単に言えばそういう事だな?伯爵」
「そうだな」
冷酷なまでに冷静に会話をしているヤザンとオイ・ニュングだが、事の深刻さは誰よりも理解していた。
ジン・ジャハナムの筋書きの元、2人が力を併せて政戦両略の車輪となって、ザンスカール包囲網を構築し、リガ・ミリティアそのものの力も増大させてきた。
しかしたった今、その包囲網の一角が消滅し、こつこつと増やしてきたリガ・ミリティアの貴重な艦隊の一つが全滅してしまった。
あれだけ苦労して奪取したカイラスギリー。それによるズガン艦隊撃滅も叶わぬ夢となってしまった。
心の弱い者なら、やってられるかと絶望し投げ出してしまうような、そんな凶報である。
「バグレ艦隊全滅のニュースは、ベスパは喜々として世界に流すでしょうね。
そうすればリガ・ミリティアに吹いていた追い風なんて一瞬で散らされます。
世間なんて付和雷同そのもの…それにもともと地力は帝国が圧倒的に上なんですから」
ミューラの言うことは一理も二理もあるだろう。
リガ・ミリティアは常に勝利し続ける事で、なんとか世間を味方に付けていた。
本当ならば一回の敗北も許されない。それでようやくザンスカールとは対等に渡り合える。
そういう薄氷を踏むような戦争を、リガ・ミリティアは続けていたのだ。
リガ・ミリティアの有利など、所詮はそんな砂上の楼閣だった。
「とにかく、ジン・ジャハナム閣下も計画の大綱を変更するかもしれん。
それほどの大打撃だ。
月での戦力拡充計画はより重要になったから、ここの防備も厚くせねばな」
伯爵の言葉にミューラは頷きつつも異を唱えた。
「でもここは連邦の首都がある月よ?
いくらベスパでも、月面を襲ってこれ以上連邦を刺激したくは無いはず。
それに、ホラズムの秘密工場が簡単に発見されるとも思えない」
「常識で物を考えてはいけないな、ミューラさん。
ベスパはやるよ。
ジブラルタルでの事を思い出してみたまえ。
ひょっとしたら…セント・ジョセフも巻き込んで無差別攻撃をしてくるかもしれんのだ」
「やりかねんな」
ヤザンも首を縦に振り、ミューラの顔にも暗いものが挿す。
確かにベスパにはそういう恐ろしさはある。
だからリガ・ミリティアも〝目には目を〟でこうまで形振り構わぬ攻撃工作をするのだから。
「ミューラ、俺のV2はいつ調整が終わる?」
「あと2日といったところね。貴方が色々と注文をつけるから、少し時間がかかっている」
「ウッソのV2は出せるんだな?」
「えぇ、あの子は素直にマシーンを受け入れてくれるから」
ミューラの口調には少しばかり、注文の多いヤザンへの非難と息子への自慢が滲む。
しかしそんな事は眼中になく、ヤザンは難しい顔でポツリと言った。
「あと2日か…何もなきゃいいがな…。ウッソに気張ってもらうしかない」
万が一があれば、未だ全快ではないペギーあたりからリガ・シャッコーを分捕って出撃するという手もある。
だが、やはりベスパにホラズムが発見されず、何もないのが一番望ましい。
望ましいのだが…ヤザンもウッソも、何とも嫌な予感がしてしまっている。
そして、そういう嫌な予感というのは往々にして当たるものだった。
このブリーフィングより23時間後…ホラズムに緊急避難放送が響き渡る事になる。
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