逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 18
vol.24 【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心5】
「……それで? 窓の外からミネットの手首を捕まえ、包丁で脅したまでは良かったのだけど? 窓枠を乗り越えて部屋へ侵入するまでの間に、体勢を整えていたミネットからの飛び蹴りを顔面でもろに受け止め、ついうっかり昏倒しちゃった、と」
自身の頬に手を当てたプリシラがニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべれば。
ミネットが出来の悪い弟を叱るように唇を尖らせた。
「しらないひとが、しらないおうちにはいるときはね、げんかんであいさつしてからね、しつれいします、っていって、はいらなきゃだめなんだよ? めっ!」
「ぅるっせぇな! 黙れ、クソガキ!」
そんな二人に、意識を取り戻した侵入者の青年は犬歯を剥き出しにする。
今にも喉笛を噛み切ってやると言わんばかりの、凶悪な表情。
だがプリシラは、それすら可笑しくて堪らないと、目元を緩めた。
「あらあらまあ。そのクソガキに気絶させられたお間抜けな侵入者さんが、何を粋がっているのかしら? 見苦しいを何十周もぐるぐると廻り巡って、いっそ滑稽ね」
「あ、あれはっ! 完全に不意打ちだったしっ! ちょっと当たりどころが悪かっただけだ! ただの偶然っ……」
「ええ、そうね。『女や幼児は皆非力だ』と、根拠が薄い偏見を持っている貴方にとっては、完全なる不意打ちだったと言えるでしょうね。でも残念。ミネットが貴方を気絶させた事実はもう覆しようがないし、仮に、何度何回同じ場面をやり直しても、貴方は捕まるわ。絶対にね」
「はあ⁉︎ それこそ根拠がねぇ妄げ」
「そうね、たとえば……ねえミネット。刃物を利用して人質を取った時に、人質を取ったほうの人間が注意しなきゃいけない点は?」
「ひとじちから、はさきをはなしちゃだめ!」
「ぐっ⁉︎」
「はい、正解。じゃあ、どうして離してはいけないのかしら?」
「ひとじちが、にげちゃうから!」
「それと?」
「えっとー……ひとじちがあばれないようにするため? だよね?」
「良い子ね、ミネット。よくできました」
「えへへぇー」
「……で? こぉんな幼い女の子でも理解している基本中の基本、初歩中の初歩な注意点すら守らなかった貴方は、いったい何を根拠に『偶然』などと妄言を吐いているのかしらぁ?」
「~~~~っぃ、いちいちうるっせぇんだよ、クソババア! 上から目線で講釈垂れてんじゃねぇ! ガキ共々ぶっ殺すぞ!」
「「どうやって?」」
「ぐ、ぅ……っ」
件の、手紙を通して窓を開けていた、唯一の部屋の中。
横に長い机の上でゆらりと揺れる三ツ又の燭台の灯りが、頑丈なロープで後ろ手に両手首、椅子の背もたれに上半身、前面の脚二本に両足首を縛って固定された青年の、とんでもなく悔しそうな顔を浮き彫りにしている。
机を挟んで彼の正面に座るプリシラと、プリシラの左手側斜め後ろに立つミネットは、動けないながらも歯を剥き出しにして精一杯喚き立てている、まるで子犬のような青年の様子を、実に楽し気な目で見つめていた。
ちなみにマイクは、閉じた扉の向こう側で見張り兼連絡係として待機中。
時々誰かと話している気配はするが、プリシラに取り次ぐべき案件はまだ来ていないらしい。
扉は閉まったまま。
不法侵入者の青年が気絶してから、既に一時間が経過していた。
「ま、からかうのは、ここまでとして。貴方、勘の冴えは悪くないほうね。罠の一つに気付けただけでも十分に賢いわ。短絡的な思考が弱みになってるところは、ちょっとだけ惜しいけど」
「っだから、上から物をっ…………って、……罠の、一つ?」
「そうよ。貴方がここで気付けたのは、幾重にも用意してあった罠の一つ。貴方の目線だと、四つ目か、五つ目くらいになるのかしら?」
「よっ⁉︎」
やや前のめりな姿勢で机の上に右肘を立て、手のひらに自身の顎を乗せ。
折り曲げていた左手の指先を、一つ、二つ……と数を数えながら一本ずつ伸ばしていくプリシラ。
「嘘吐くな! お前らはオレより少し前に着いただけだろ⁉︎ 三つも四つも罠を仕掛ける余裕なんか、なかった筈だ!」
「いくらでもあったわよ? 貴方が鈍くて気付かなかっただけ」
「っ、この! バカにするのも大概にっ」
「西方領の町外れにある孤児院から来た、浮浪児もどきのクァイエット君。私が貴方の存在を掴んだのは、大体十三年前。手元に招こうと決めたのは、約一年前。貴方が王都を訪れるように仕向けたのは、半年前よ。こんなにも余裕があったのに、後手に回るほうがおかしいと思わない?」
孤児院を使おうと決めたのは今日だけどね。
と、にっこり微笑むプリシラを見て、青年の表情が愕然と凍り付く。
「な……なんで、オレの、名前……⁉︎」
「貴方のことは、なんだって知ってるわ。孤児院で育てられた元戦災孤児のセイレスお母様と一般民のガナルフィードお父様の間に産まれた一人息子。夫婦仲の悪化を理由に離婚した後は母子二人で暮らしていたけど、お母様は貴方が六歳の時に病死。お父様は離婚の直後からずっと音信不通。行き場を失った貴方は、かつてはお母様が身を寄せていた孤児院へと引き取られた。でも、成人しても就職先や養子縁組を得られなかった貴方は、院長の後見で特別身分証明を発行されたものの、孤児院を追われて行く当てもなく延々と空き巣をくり返していた。そうでしょう? 『問題児の』クァイエット君」
「……………………っ‼︎」
「院長が嘆いていたわよ? どれだけ貴方に心を砕いても、貴方はまったく聞く耳を持たないどころか、わざとらしく反抗的に振る舞っていた、って。貴方、そんなにアリア信仰が憎かったの?」
両手で頬杖を突き直しながら小首を傾げるプリシラ。
貴族のご令嬢としてはあり得ない姿勢で、彼女は嘲笑していた。
クァイエットの身上を語りながら。
彼の過去を嘲笑っている。
心の底から。
冷たい目で。
嘲っている。
「…………んな…………」
「? なぁに?」
「ふざけんな偽善者が‼︎ 憎い? 当たり前だろうが‼︎ お前らは母さんを見殺しにした! 病気で動けない母さんに、何もしてくれなかった!」
「…………」
「知ってたクセに。オレのことも、母さんのことも! 毎日オレがどれだけ真剣に回復を願ってアリアに祈ってたか、知ってたクセに! 肝心な時だけ放置しといて何が祈れだよ! 何が救済だよ! 結局、お前らアリア信仰は金を出す奴以外に用は無いんだろ⁉︎ 欲深く薄汚い人殺し詐欺集団の分際で偉そうにするんじゃねぇよ、クソが! お前も死ね! そこに突っ立ってるガキも死ね! 誰も助けてくれない孤独と絶望の中で、みんなみんな苦しみもがきながら死んでしまえッ‼︎」
血を吐いてもおかしくない大絶叫が、夜の静寂を激しく揺らす。
突然の轟音とクァイエットの鬼気迫る豹変ぶりに驚いたミネットが咄嗟に目を瞑り、両耳を塞いでうずくまった。
しかし。
「嫌よ。私には、やりたいこともやるべきことも、たくさん残ってるもの。貴方の駄々ごときで死んであげられるほど、この命は安くないの」
プリシラは姿勢も表情も崩さず、手負いの獣を連想させるクァイエットの殺気立った形相を冷静に見据えている。
お前など取るに足らない存在だ、とでも言いたげな、冷めた目線。
それがまた、クァイエットの顔に満ちた憤怒を色濃くしていく。
「母さんの命が安物だったとでも言いたいのか、クソ野郎が……ッ‼︎」
「……メンドクサイから、逆に尋くわ。貴方、お母様が元孤児だったことはお母様が亡くなる以前から知っていたでしょ。どうしてお母様が倒れた時、孤児院へ助けを求めに行かなかったのかしら? 余裕ではなかったにせよ、頑張れば子供の足でも辿り着ける場所にあった筈よ」
「っ⁉︎」
「お母様は町の中で突然倒れたそうだけど、その時の貴方は、町民の善意で運ばれていくお母様にしがみつく以外、何もしてなかったと聞いているわ。そして突然倒れたということは、そこまで症状が進む前になんらかの兆候が身近に居た貴方にも見えていた筈なの。そういう病気だったから。なのに、ねえ。どうして、倒れるまで気付かなかったの? どうして、誰にも助けを求めなかったの? もしかして」
弱っている者は、誰であろうと無条件で助けられるのが当然だ。
なんて、思ってない?
「それはっ……!」
「そうよ。皆にそうあろうと説いているのが、他ならぬアリア信仰であり、アリア信徒達。でもね。何故、そうした教えを広める必要があると思う? 答えは簡単。この世界の実態が、理想とは遠い場所に位置しているからよ。わざわざ貴方が壊そうとするまでもなく、ね」
元が何者であろうと、弱者は食い物にされる。
助けを求める声は罵声に潰され、宙を掻く手は無造作に振り払われ。
存在理由すら、目障りだからとお気持ち一つで踏みにじられ。
厄介事に巻き込まれまいと保身に走る一般民は、それらをすべて見世物と嘲笑いつつ距離を置くか、見なかったことにして記憶から消したがる。
「こんな世界だからこそ、少しずつでも変えていこうとアリア信仰が説教を上げ続けているの。それなのに、貴方はどう? 自らでは何一つも為さず、為そうともせず、他人の善意にすがり、他人の厚意に甘え、感謝すらせず、挙句の果てには、誰も助けてくれなかったと八つ当たり。申し訳ないけど、貴方のどこに同情の余地があるのか、私にはさっぱり解らないわ」
「何も分からない、力も無い子供に、すがる以外何ができたってんだよ⁉︎ あの場に居なかった赤の他人でしかないお前なんかに、オレの何が解る‼︎」
「だから、解らないと言っているの。お母様の病気は、当時の中央教会でも把握していたわ。治療方法も、必要な材料も揃っていた。私達にはお母様を助ける力があった。後は、貴方が大きな声を上げてくれるだけで良かった。貴方が中央教会を動かしても良いきっかけさえくれていれば、私達は堂々とお母様を助けに行けたのよ。その機会を自分で手放した人の気持ちなんて、どう理解したら良いのかさえ解らないわ」
「っ⁉︎ う、嘘だ! デタラメを言うな!」
「慈善事業ってねえ、貴方が想像しているよりも、遥かに莫大な量のお金が動き回ってるの。つまり、それだけ多くの人間の意図が、複雑に絡んでる。一見すると善いことに使われてるように見えるお金も、角度を変えて見たら真っ黒だった、なんて蹴落とし合いの話はザラ。そのせいで、一部とはいえ信仰に税金を注ぎ込まれている民衆の目は、事業内容に過敏過剰な警戒感を働かせているわ。自分達の血税がろくでもないことに使われてるんじゃないだろうな、とね。ここまで言えば、助けを求めていない者の為に中央教会が動けば、将来的にどうなるか。さすがに想像くらいはできるでしょう?」
「……っ……」
「貴方は、形振り構わず助けを求めるべきだった。町民でも、孤児院でも、中央教会でも良い。どんなに追い払われようが、嫌悪の目で見られようが、とにかく『助けて』と大声で叫び続けるべきだった。無力な自覚があるならなおさら。けれど結局、貴方は悲鳴を上げることすらまったくしなかった。苦しんでいるお母様の傍で、回復を祈る真似事だけをしながら、自分自身で何ができるか考えようとせず、自分自身が楽に生きられる道を選んだのよ。被害者面で大騒ぎするのは一向に構わないけど、その点に関してはよくよく己を省みることね」
柵に囚われ、理由がなければ決して動けない強者。
自分自身の非力を知るが故に、他力に甘えた弱者。
己に直接関わる範囲のみの平穏を望む民衆。
救えた筈の命を
本当の意味で見殺しにしたのは
果たして誰であっただろうか?
「それと勘違いしてるみたいだから、今回だけ特別に授業してあげるわね。アリア信仰における祈りは、女神アリアにお願いするって意味じゃないの。女神アリアを通して己に立てた誓い、己を奮い立たせる為の原動力であり、目標を達成する為の道筋を教示してくださっている女神アリアへの感謝よ」
ここが、願うだけで誰かを救える易しい世界なら。
誰一人として、こんなに苦しい思いはしなくて済んでいたでしょうね。
「……んだよ! オレが悪いのかよ⁉︎ 母さんが死んだのはオレのせいだと言いたいのかよ……‼︎」
背筋を伸ばして腕を組むプリシラの呆れが混じる一言に。
眼光鋭く歯を食い縛っていたクァイエットが喉を低く震わせる。
「納得できない?」
「当たり前だッ‼︎ オレ次第では、助かってたかも知れないなんて、今更、そんな……そんなバカなこと……信用できるもんか、そんな作り話‼︎」
「……でしょうね」
「ああ、そうだ……そうだよ、もう十年以上前の話だもんな。今更になってお前達が社会的弱者を見捨てた事実が表沙汰になるのは、お前達にとって、都合が悪いんだよな……‼︎ だから、そんな虚構をオレの前に並べ立てて、オレに責任転嫁しようとしてんだろ! この、卑怯者の大嘘吐きがッ‼︎」
「うそつきじゃないもんっ‼︎」
再び荒げ出したクァイエットの言葉が、押さえていた耳にも届いたのか。
黙ってしゃがんでいたミネットがいきなり猛然と立ち上がり。
プリシラの真横で、机の上を何度も何度も叩く。
「ぷりしらさまは、うそなんかつかないもん! うそはわるいことだから、わるいことはしたらだめだって、ぷりしらさまがいったんだよ‼︎」
「っうるせぇ! 黙れクソガキ! てめえの意見なんざ聞いてねぇわ‼︎」
「だまんない! ぷりしらさまはうそつきじゃないもん! ぷりしらさまにあやまって!」
「はぁあ⁉︎ なんでオレが!」
「ぷりしらさまはなにもわるくないのに、ぷりしらさまをわるくいった! ぷりしらさまを、うそつきっていった! ぷりしらさまに、あやまって‼︎」
ダンッ! と、一際強い力で両手のひらを机の上に叩きつけ。
燭台の明かりを弾いて煌めく金色の目で、クァイエットを睨むミネット。
純粋でまっすぐな怒りを受けた囚人は、一瞬だけ怯んだ表情を見せ
「…………嘘は悪いこと、ねえ?」
唇の両端を持ち上げてうつむき、くつくつと肩を揺らしながら笑う。
「そうだよ! うそついたら、だめなの!」
「だとさ。良い洗脳教育してんなぁ? プリシラ=ブラン=アヴェルカイン公爵閣下」
「あら。何の話かしら?」
「他人の目を欺くって意味じゃ、嘘も隠蔽も大差ねえだろって話さ。おい、クソガキ」
「がきじゃない! みねっとはみねっと!」
「名前なんかどうでもいい。お前に良いことを教えてやる。本当は、護衛の奴らにも直接聞かせてやりたかった、とっておきの良いことをな」
「……いいこと?」
「ああ。ここで偉そうに腕組んで座ってるお前の大好きなぷりしらさまが、これまでお前ら孤児に対して何をしてきたのか、だ」
唐突な話題転換に首を傾げる幼女には見向きもせず、うっすら笑っているプリシラと目線を合わせるクァイエット。
そして
「コイツはな! 次期大司教の座に就いてからずっと! 国内の各孤児院に支給されてる、運営資金の三分の一ずつを! 国民に無断で! 実家であるアヴェルカイン公爵家に横流ししてんだよ!」
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