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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 15

vol.21 【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心2】

「私は先生に挨拶してくるから、貴方達は先に行って待っててくれる?」
「はーい」

 プリシラを連れて施設内に戻った子供達が、揃って食堂へと駆けていく。
 いつもであれば教育係の神父達が「廊下を走ってはいけません!」と雷を落としているところだが、今日に限っては、神父達の上に立つ次期大司教も黙認を決め込んだ。
 今は声をかけて引き留めるより、離れてくれたほうがありがたいからだ。

 馬車から降ろした荷物を運び入れているベルヘンス卿達に戸締りを任せたプリシラは、玄関ホールの正面奥に設置された二股階段を右方向へ上がり。
 階段のすぐ横、左手側にある一つ目の一枚扉を、軽く二回叩く。

「……こんばんは、先生。神父達の具合はどう?」
「こんばんは、プリシラ次期大司教様。どうもこうも、ご覧の有り様よ」

 返事を待って入った部屋の中央には、聖職者姿で椅子に座る女性が一人。
 脇に丈長の燭台を置き、膝の上に乗せたアリア信仰の教典を読んでいた。
 金髪の女性は、プリシラには一瞥もくれず、古びたページをめくる。

「うーん……」

 プリシラも後ろ手で扉を閉め、女性の周囲をぐるりと見回してみるが。

「ちょっと、刺激が強過ぎたかしら?」

 左右と奥の壁に頭部を沿わせる形で置かれた計六台のベッド上でそれぞれ布団に包まっている神父達は、予定されていた来訪者に気付く様子もなく、眠ったまま……というか、気絶したままだ。
 試しに一人一人の顔を間近で覗き込んで回ったが。
 全員石化したのか? と思うくらい、微動だにしなかった。
 どうしたものかと、後頭部を掻きつつ真横で立ち尽くすプリシラ。

「刺激、ねえ?」

 教典を閉じて立ち上がった女性が、意味ありげに妖艶な笑みを浮かべ。
 プリシラの背後から伸し掛かるようにして、その肩を抱く。

「紙切れ一枚に仕込まれた悪戯とも呼べないちゃちな代物が、鼻血を噴いて倒れるほどの刺激になるなんて。安上がりな連中だこと」
「彼らは純情なのよ。さすがに、たったこれだけで半日近くも気絶しちゃうなんて、予想外すぎて私のほうが困惑中なのだけど」

 女性が持ったままの教典から、中途半端な深さで挟まっていた長方形の、いくつかの折り目が付いた小さな紙切れをするりと抜き取る。
 他ならぬプリシラが鳥の足に括り付けて孤児院へ飛ばしたそれの外面には
『この唇は誰のもの?』という黒い文字、内面には赤い唇の跡があった。
 唇の跡はもちろん、プリシラ自身が紙に直接刻んだ物だ。

 実のところ、プリシラがロザリアに語った『孤児院勤務の神父ほぼ全員が高熱で一斉に倒れた』という話に偽りや誇張はない。
 そのせいで子供達の仕事が余計に増えたのも事実だ。
 ただ、それらの原因を作ったのは、寒さを増し始めた北風でも正体不明の病でもなく、孤児院を利用すると決めた直後のプリシラ本人だった。

 彼女としては、視察の口実を得る為に『ちょっとした興奮状態になって、子供達の前で目眩でも起こしてくれれば良いなあ~』と考えていただけで、こんなに長時間ひっくり返させるつもりは毛頭なかったのだが。
 神父達は、プリシラが想像していた以上に清純だったらしい。
 
「はっ。そのクセ、私がどんなに誘いかけても眉一つ動かさないんだもの。つまらないったらありゃしない」
「残念ね? 私から手駒を奪えなくて」
「ふん。他の女に溺れてる童貞男なんて、もう要らないわ。その代わり」

 女性の空いている手が、プリシラの形良い顎を。
 女性の薄い唇が、プリシラの耳を妖しく撫でる。

「今夜は、楽しませてくれるんでしょう?」

 聴く者の心を掻き乱す、女性の濡れた声色。
 プリシラも愉しげに微笑み、自身の肩を抱く女性の腕に指先を添わせた。

「ふふ。そうね。楽しめると良いわね? お互いに」

 頼りない燭台の光を浴びて絡み合う、冷たい藍の夜空と、冴えた銀の刃。
 二人の唇が、呼気の熱を交わす距離にまで迫り……

「ん……、……ぅぐはぁっ⁉︎」

「「あ。」」

 二人の話し声で目が覚めたらしい神父の、間抜けな悲鳴を聞いて離れる。

 部屋の奥、二人の正面から勢いよく飛び散る水粒。
 起き上がった直後に再びベッドへ沈んだ神父を覗き込んでみれば。
 彼は口を開いたまま、白目を剥いてぴくぴくと痙攣していた。
 その姿はまるで、壁に叩き付けられたハエ。
 哀れさより先に気持ち悪さを感じてしまうのは、顔半分をだくだくと流れ続ける鼻血で汚しながらも、幸せそうにうっすら笑っているからだろうか。

「「……………………。」」

 何とも言いがたい微妙な空気と、錆の臭いが微かに漂う薄暗い室内。
 女性二人は、無言で互いの顔を見つめ合い。

「私は皆と食事してくるから。後始末をお願いね、先生」

 にっこり笑った次期大司教が、素早く扉を開いて一歩外に出た。
 出遅れた女性は苦々しい表情で腕を組み、盛大にため息を吐き捨てる。

「貴女、本当にいい性格してるわよね。プリシラ次期大司教様」
「ありがとう。褒められて伸びる私を、今後ともよろしく」

 物言わぬ男衆の真ん中に、不満げな女性だけを残し。
 ひらひらと手を振って境界線を閉じるプリシラ。
 やや間を置いて内側から聞こえてきたバサ、バサ、と布団を振り払う音に唇の端を持ち上げて、自身は上ってきた階段を悠々と下る。

 女性に触れられた耳を、摘まんだ袖口で拭いながら。


 
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