逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 14
vol.20 【強者の傲慢=弱者の怠慢=大衆の無関心1】
この世界に救いなんてない。
あるのはいつだって、持って生まれた幸運な人間の都合だけだ。
持つ者はより多くを求め、持たない者はどこへ隠れようと搾取される。
死ぬまで。死んだ後、形が失くなった後も、一方的に搾取され続ける。
それが真実。それが真理。
これが現実だ。
くだらない。
バカらしい。
強権を騙る屑共による、屑共の為の世界。
こんな世界、ぶっ壊れてしまえば良い。
(お前が一番の害悪だ)
見上げた彫像は美しく微笑んでいる。
そう、微笑んでいるだけの石像だ。
それ以上でも、それ以下でもない、ただの石塊。
これがいつ、畑を耕した?
これがいつ、家を建てた?
なあ?
これが、いつ、どこで、誰を、どんな風に助けたって言うんだよ。
実績もない奇跡を謳る対価に、世界中で財を徴収する屑共の手下と。
耳に優しい言葉なら、なんでもかんでも『善』と讃える脳無し共。
まったくもって、くだらない。
(くたばっちまえ。大嘘吐きの女神アリア)
欺瞞の象徴に背を向けて、空想で成り立つ虚構域を一歩外へ踏み出した。
一人、また一人、ただの石塊を至上と掲げる脳無し共とすれ違う。
ありがたい?
何がだ。
今日の恵みに感謝?
それは女神アリアのお手製か?
よく考えてから物を言えよ。
そんなバカだから、屑共に都合良く搾取されてんだろうが。
「どいつもこいつも……っ」
一見穏やかな街並み。
行き交う能天気な笑い声。
丹念に作り込まれた、屑の為の偽りの平和。
ああ、吐き気がする。吐き気がする。
吐き気がして止まらない。
(偽善者共め………… ん?)
ふと、不自然な人集りに目が留まる。
甲高い声がいくつも聞こえてくる辺り、主に年若い女が集まって、何かを取り囲んでいるらしい。
だが、男の低い歓声もわずかに混じって聞こえる。
女子供が喜ぶ類いの芸人が居る、というわけではなさそうだ。
何の気なしに足を運び。
人集りの外側から、注目の的になっている何かを探って……
興味深い光景を見つけた。
(…………ほう……?)
そこかしこで勝手に始まる噂話。
集まる情報。
頭の中で描き上がる展開図。
「……くくっ」
なんだ。普段はオレを苛つかせるしかできないクセに。
愚鈍な脳無し共も、たまには役に立つじゃないか。
零れ落ちる喜びを隠す為に口元を手で覆い、その場を静かに離れ。
十分に距離を置いたところで、乗合馬車の停車地点を目指して走りだす。
「ああ、楽しみだ。楽しみだなぁ」
わくわくする。こんな高揚感は久しぶりだ。
(全部、全部、オレがぶっ壊してやる)
見ていろ、石像女。
お前の世界など、所詮は脆く儚い幻想でしかないのだと。
このオレが今から立証してやろう。
崩れ去る世界を、その薄気味悪い微笑みのままで見届けるが良い。
(どうせ、お前にはそれしかできないんだ)
なにが創造と慈愛の女神だ、くそったれ。
偽称と傍観の罪。
お前を崇める脳無し共に、とくと思い知らせてやる。
その為には…………
夕陽がすっかり落ち込んだ、真っ黒な空の下。
聖職者の一団を乗せた全五台の馬車の列は、中央教会を出た後、お祭りの色に染まっている賑やかな街路を郊外へ向かって走り続け、民家も人通りも灯りも極端に少ない王都の一角で、おもむろに車輪を止めた。
最後尾の一つ手前の車体が、御者の合図を受けて内側から扉を開き、先に降りた男性に手を預けた高位聖職者の見目麗しい女性が、舗装されていない地面へと靴裏を降ろした、
その瞬間。
「ぷりしらさまあー!」
「ぷい……、ぷり、ちや! ぷり、ぷりっ」
「ぷーすけのぷーたろおーっ」
三人の子供が、扉を蹴破る勢いで孤児院から転がり出てきた。
「こんばんは、ミネット。今日も元気そうで安心したわ」
プリシラは、真っ先に飛びついてきた五歳前後の小柄な女の子を、右腕に座らせる形で抱え上げ
「こんばんは、キース。前よりちょっとだけ良くなってるけど、その発音で連呼はやめてね? 地味に嫌だわ」
続いて腰に抱き着いてきた、ミネットと同じ年頃の男の子の肩を、左手でぽんぽんと優しく叩き
「こんばんは、マイク。貴方には悪意しか感じないから、明日の貴方の分のデザートは全部、私が貰っちゃうわね」
悪戯っ気を隠すつもりもない顔で近寄ってきた七歳くらいの男の子には、意地悪な顔全開で応じる。
予想外な切り返しだったのか、マイクの動きがピタッと止まり、その場で地団駄を踏み始めた。
「お、おーぼーだぞ、おーぼーっ! おちゃめな子どものあいさつくらい、大人のよゆーでかるくながせよな! そーいうたいどを、みっともないっていうんだぜっ!」
「あらあ? 貴方は子供じゃなくて、一人前の立派な人間なのでしょう? 神父達に言ってるそうじゃない。オレは物知りなんだぜ、すごいんだぜ! お前らよりよっぽど頭が良い大人なんだぜ! って」
「うぐっ⁉︎」
「そんな、すっごぉーいマイクを認めたからこそ、大人社会の規範に則った適切な対応をしたのになあ~。今のが、お茶目な子供の挨拶だったなんて、おっかしいなあ~? 『大人なマイク』は嘘、だったのかなぁ~あ?」
「ぐ、ぐぐ……っ」
自身の頬に左手を当ててニヤニヤと笑うプリシラに、さっきまでの自身の言動で足を掬われ、たじろぐマイク。
そんなマイクにトドメを刺したのは。
プリシラの肩にすがりついたまま、きょとんとした表情で首を傾げているミネットだった。
「まいく、うそ、ついてたの?」
「! や、ミネット、ちが……っ」
じりりと一歩下がるマイク。
ミネットは、無垢そのもののまっすぐな眼差しでマイクを見据え。
ピシャリと言い放った。
「……まいく。うそついたら、めっ!」
「う…………うわああああああああああああああん!」
間を置いて続々と表に姿を見せ始めた孤児達の隙間を器用にすり抜け。
たった一人、全力で屋内へと引き返していく傷心の少年、マイク。
その小さな背中を見送るプリシラは、勝利の余韻に浸り、実に満足そうな笑みを浮かべていた。
「ふっ。愚かな。私をおちょくろうなど、五十年早いのよ!」
一部始終を横目に見ながら、荷物の運び出しを始めていた偽装聖職者達は
(次期大司教様、大人げない……)
と、心の中だけで斉唱する。
「まいく……なんで、あやまらないの? うそついたりしたら、ちゃんと、ごめんなさい、しなきゃだめなのに……」
「み……、ぷりぃー……」
発展途上にある男心の繊細な部分を知らない幼女が悲し気にうつむくと、言葉を上手く操れないらしいキースが、慌てた様子でミネットとプリシラを交互に窺う。
彼は彼で、喧嘩は良くないと言いたげだ。
プリシラは再度キースの肩を優しく叩き。
愛らしい少年少女にウィンクを贈った。
「良いのよ、ミネット。マイクは何も言わないで帰っちゃったでしょう? あれは『自分が悪いことをしました、全部自分が悪いんです』って意味で、たくさんの人が見ている前でやると、すっっごく、恥ずかしいことなのよ。ああなった時点でマイクはもう、しっかり罰を受けているの」
「でも、ごめんなさいしてないよ? ごめんなさいは、ちゃんとしないと、だめなんだよ?」
「そうね……。マイクは嘘を吐いたのに、ごめんなさいをしなかったから、とーっても悪い子ね。ミネット、悪い子は好き? 嫌い?」
「まいくは、みねっとのきらいと、ちがうけど。わるいのは、よくないよ。みねっと、わるいのはきらい!」
「じゃあそれを、今からマイクに言ってきてくれる?」
「⁇ わるいのはきらいって、みねっとが、まいくに、いいにいくの?」
「ええお願い。プリシラ様にごめんなさいをするまで、ミネットは悪い子のマイクが大嫌い! って、マイクに伝えてきて欲しいの」
傷付いた少年の心を間接攻撃で更に抉る、えげつない次期大司教。
そこに『容』と『赦』の二文字は存在しない。
「んー……わかった! いってくるね!」
そうとは知らずに腹黒い思惑を背負わされた穢れを知らない少女が地面に降り立ち、マイクの後を追いかけようと駆け出した。
「足元に気を付けてね」
「はーい! ……あ、そうだ!」
てててーっ、と数歩分進んだ所でくるりと振り返ったミネットが、両腕をぶんぶん振り回して叫ぶ。
「あのねーっ! ぷりしらさまのおてがみにかいてあったおまどねーっ! いわれたとおりに、あけておいたよーっ! えっとぉー……みぎがわのぉ、いちばんはじっこのぉ……、あのおへやで、いいんだよねー?」
建物に背を向けたまま、少女の左手の人差し指が件の場所を指し示す。
プリシラが確認しようとそちらへ視線を移しても、夜空に浮かぶ星月と、建物内部から微かに洩れている燭台の灯りと、敷地境の一歩内側でゆらゆら揺れる松明の灯りだけが、暗闇に溶け込んだ建物の輪郭をぼんやりと照らし出している状態。
ぱっと見では、具体的にどこがどうなっているのか、判りそうもない。
だが、少女に向き直ったプリシラは、あたかもその闇の中にあるすべてが見えているかのように頷き。
お礼の意味も込めて、軽く右手を振った。
「あのお部屋で合っているわ。ありがとうね、ミネット」
「はーい!」
自分は間違ってなかった、言いつけをしっかり守れた、と。
幼い両手を掲げて嬉しそうに走っていくミネット。
かくして追撃の矢は放たれた。
マイクの悲痛な叫びが再び響き渡るまで、そう長い時間は掛かるまい。
その場に居た、身に覚えがある者達は全員、犠牲者へ向けて祈りを捧げ、自分自身にも改めて強く誓う。
手出し可・不可の見極め大切、反省大事。
学ぼう、処世術。
身に付けよう、謙虚な精神。
すべては悪魔の暴虐を避ける為に。
天を仰ぎ、虚空を泳ぎ、地を這う、悟りと虚無が入り混じった無数の瞳。
しかし、悪魔は我一切関せずとふんわり目を細め、腰に抱き着いたままの少年の頭を優しく撫でる。
「私達も招き入れてくれる? キース」
「ん……っ! み、まっ……!」
途端に顔を綻ばせ、プリシラの左手首を掴んで引っ張りだすキース。
『みんな、まってたんだよ!』
言葉としては未完成な歓迎の響きを、けれどプリシラは正確に受け止め。
「……ふふ、ありがとう。よろしくね」
出迎えてくれた孤児達全員へ、心の底から溢れたような喜色満面の笑みと感謝の言葉を贈り返した。
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