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逆さの砂時計

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純粋なお遊び
  合縁奇縁のコンサート 5

vol.6 【りーすりんでちゃんの、ぎもん】⚠︎文字のみですが挿絵あり

「うーん……?」
「あ、リースリンデ。今から泉へ行くけど貴女はど……って、何、その紙」
「聖天女様」

 寝室に置かれてるテーブルの上で足下の文字を見ながら首をひねっていた私に、聖天女様が背後から声を掛けてくださった。
 慌てて書きかけの用紙から飛び退き。
 両腕で抱えてた小鳥の羽根ペンを、専用のペン立てに突き刺す。

 ひょいっと顔を覗かせた聖天女様も、不思議そうに首を傾げ。
 私が用紙に書いた文字の列をじいっと見つめる。

「これ……もしかして、文字の練習をしてるの?」
「いえ、練習してたわけではないんですけど、比較するには便利な方法だと思ったので」
「比較? 何かの記録ってこと?」
「はい。アーさんの一週間をまとめてみました」

 アーさんっていうのは、この教会で神父をしてるアーレストのこと。
 なんだかんだと居座るようになって半月ぐらい経った頃に、アーレストが自分で「アーさんと呼んでください」って言ったから、それ以来ずっと私はアーレストのことを『アーさん』って呼んでる。

「一週間……? この上部と左端の数字は日付と時間で、縦と横の二重線の内側に書いてある文字が、その時々のアーレストさんの行動?」
「そうです」

 紙の表面を滑る聖天女様の指先を目で追い、こくりと頷く。

「…………詳しく見ても良いかしら?」
「それは構いませんが。私の文字では、小さくて見辛くないですか?」
「線はともかく、文字に関しては、小さくてちょっと滲んでる以外の難点が見当たらない完璧さに正直嫉妬してます。(いつの間に文章を書けるようになったのかしら。私なんてまだまだ子供向けの本を読むので精一杯なのに。言葉を教えた時も思ったけど、やはり侮れないわね。精霊の学習能力)」
「え?」
「ううん、なんでもない。大丈夫よ。借りるわね」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」

 私が少し離れたのを合図に、聖天女様がご自身の片手分しかない大きさの紙を静かに持ち上げて、じぃ────…………っと見つめる。



「ねえ、リースリンデ。私の目がおかしくないのであれば、日付が一つしか書かれていないのだけど。貴女、一週間をまとめたと言ったわよね?」
「一週間です」
「日付が一つしかないのに?」
「はい。一日分で、一週間分の記録なんです」
「……………………」

 一日分に見える、一週間分の行動記録。
 その謎には聖天女様も心当たりがあるのか、私と紙を交互に見比べた後、執務室の扉をちらっと窺った。

「……『アーレスト神父を愛でる会』の女性信徒達が毎日毎日食料を過剰に献上してくれるからと、二日に一回は教会主催で炊き出しをしてるわよね。その記録は省いたの?」
「時間にズレはなかったので、別日同時刻の雑談に含めました。炊き出しの前後にも最中にも、しっかり雑談してましたし」
「そんな時までズレてなかったの⁉︎」
「はい。まったく、少しも、ズレてなかったんです」
「い、いくら私達が手伝ってるからって、これは……」

 聖天女様が言葉を失うのも当然だわ。
 一週間よ? 一週間。

 一週間ともなれば普通はどこかで多少なりとも行動やそれに掛かる時間が変わっててもおかしくない筈なのに。
 アーさんは、行動にも時間にもほとんど変化がない。
 時間に至っては、変化のへの字もなかった。

 下拵えとか、機材の運び出しとか、後片付けだって相応の量があるのに。
 聖天女様に食事を提供するのと、街民数百人や数千人を対象に炊き出しを用意するのとで、まったく同じ時間しか使ってないって。
 いったいどういうことなの?

「異常ですよね。人間がよく口にする規則正しい生活の域を逸脱してます」
「逸脱……というより、規則正しい生活の不動軸になってる感じね。こんなお手本、実践されたって、神でも真似できないわよ」
「精霊にだってできません。しかもアーさんは、こんな風に目に見える形で比較するまで、同居中の聖天女様にさえ気付かせないほど完璧に、自然に、当たり前のように過ごしてたんですよ? だから何って話ではありますが、アーさんの自然すぎる不自然さが、ちょっと不気味です」
「不気味とまでは言わないけど、そうね。特異な生活をしてるんだなあとは思うわね。ありがとう」
「いえ」

 テーブルにそっと戻された紙を、内容を隠す形で二つに折り。
 ペン立ての下に差し込む。

 私専用にって筆記具をくれた時
「見られたくない内容はこうやって隠してください。そうしていただければ絶対に確認しませんので」
 って言われたから、こうしておけば少なくともアーさん本人にこの記録を知られる心配はない。

「でも、どうしていきなり、アーレストさんの行動を比較してみようなんて思ったの?」

 泉に向かうらしい聖天女様の右肩へ、ひらりと翔び移ったところで。
 柔らかい指先に頭を撫でられつつ、問いかけられた。

「聖天女様が、二週間くらい前に、アーレストさんがいつ寝ているのか全然判らないって仰っていたのは、覚えてますか?」
「ええ。私達は毎日夜明け前より早く起きてるのに、アーレストさんも常に私達より早く起きて活動しているから、人間にしては早すぎないかなって、不思議に思ったのよね」
「私も、聖天女様の言葉を聞いてから同じ疑問を持ってしまって。その日の深夜、眠ってるアーさんを観察しようと執務室にこっそり侵入したんです。即刻見つかってしまいましたが」
「ああ、アーレストさんは気配に(さと)いから」

 寝室にはベッドが二台あるんだけど。
 女性達と同じ部屋で眠るわけにはいかないからって、アーさんは一人分の枕と掛け布団を執務室へ持ち込んで、聖天女様とは寝場所を分けてる。
 ここ、べゼドラにも見習ってほしい紳士ぶりだわ。

「違うんです」
「え?」
「眠ってなかったんです」
「眠ってなかった?」
「はい。バッチリ起きて、しかも執務に励んでました」

 さすがにこんな時間ならまだ起きてないだろう、って頃合いを見計らって侵入した瞬間、眠ってると思ってた相手と目が合った挙句
「こんな時間にどうなさいましたか?」
 なんて、平然と尋かれたのよ?
 あの時ばかりは、驚きすぎて悲鳴を上げそうになったわ。
 聖天女様を起こすといけないから、なんとか堪えたけど。

「深夜って、何時頃?」
「二時です」
「むしろ早朝よね、それは⁉︎」
「それだけじゃありません。そこから一週間前まで、ちょこっとずつ時間をずらしながら深夜と早朝の侵入をくり返してみたんです。結論から言って、アーさんは毎日、夜な夜な執務をしていて、まったく寝てませんでした」
「いつも⁉︎ 私達と就寝の挨拶を交わしてから、起床の挨拶を交わすまで、まったくの睡眠無し⁉︎」
「はい。私が見てきた限りですが。何時に覗いてみても、眠そうにしている様子すらありませんでした」
「ありえない! だって、昼間もずっと…… あ。だから? もしかしたらどこかで昼夜が逆転してるのかと思って、それで行動を記録してみたの?」

 聖天女様の声を潜めた動揺に、同意を込めてゆっくり頷く。

 睡眠を一切取らない生活なんて、人間世界では絶対にありえない。
 人間の体にとっては、一切眠らないで得られるモノより、毎日しっかりと眠って得られるモノのほうが、遥かに重要だからだ。
 この辺りは勇者達と実際に関わって学んでるから、精霊でも知ってる。

 なのに。
 アーさんは毎日何時頃にどれだけ眠ってるのか、さっぱり分からない。

 常時、隙がない笑顔を振り撒きながら働き通してるんだし。
 一日のどこかでは、必ず休みを入れてる筈。
 ……なんだけど……
 記録をどれだけ見直しても、アーさんを観察しても、やっぱり判らない。

「見ていただいた通り、人間が必要とする最低限の睡眠時間を挿む余地が、どこにもありませんでした。もしもアーさんが本格的に眠ってる時間があるとすれば、アーさん本人が「最も多くの信徒が集まる二回目のお説教は特に集中したいので、この時間だけは、一人にさせてください」って言ってた、朝の九時から十時までの一時間しかありません。でも人間であるアーさんが一日一時間程度の睡眠で、あんなに軽快に動き続けられるのでしょうか?」

 絶句。
 今の聖天女様の表情を表すなら、この一言に尽きる。

「……半神半人の私が言うのもなんだけど、おそらく通常の人間なら思考に障害の一つや二つ発生していてもおかしくないでしょうね。身体にだって、どんな悪影響が出てくるか。無茶苦茶だわ、アーレストさん……」
「ですよね……」

 聖天女様と同時に、ため息を一つ吐き出す。

 アーさんの生活って、やっぱり人間にとっては不健康だったのね。
 規則正しく不健康な生活って、微妙に器用な気がする。
 こんな無睡眠生活を続けてて、本当に大丈夫なのかしら?

「ああでも。これが本当にアーレストさんの習慣になってるなら、お世話になってばかりの私達にも、ちょっとだけ恩返しができるかも知れないわ」
「え?」
「ふふ。お手柄よ、リースリンデ」
「⁇ はあ」

 また、聖天女様の指先で、頭を優しく撫でられた。
 なんだかよく分からないけど、聖天女様に褒められたから……
 まあ、良いか。


 翌日。

「今日もありがたいお説教を聴かせていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ。お忙しい中もおいでいただき、ありがとうございました」
「神父様のお言葉を聴けただけで、今日も頑張ろうと気合が入りますわ」
「光栄です。本日が、皆様におかれまして素晴らしい一日となりますよう、微力ながらも誠心誠意、祈らせていただきます」

 信徒達の声が飛び交う、賑やかな礼拝堂。
 二回目のお説教を終えたばかりのアーレストを、逃がすものかとばかりに素早く取り囲んだ女性達が、皆一様に普段より高い声で彼に話しかける。

「今日は特に、声の張りがよろしかった気がします」
「あら。貴女もそう感じたの? 私も、いつもと違うなって感じてたのよ。もちろん、いつもの神父様も、素敵なお声でいらっしゃるのだけどね⁉︎」
「声だけじゃないわ! ほら、よくご覧になって! 今日の神父様のお肌、いつもの倍はつるっとしてて艶々よ! まるで光り輝く澄んだ玉石のよう。それでいて柔らかそうで……羨ましい限りですわ!」
「まあ、本当ね。シミ一つなく、きめ細やかで。なんてお美しいのかしら」

 赤らんだ両の頬に手のひらを当てがった女性達が、一斉に「ほう……」と感歎の息を吐く中。
 当のアーレストは、今まで誰にも見せたことがない心底嬉しそうな満面の笑みを披露しながら、頷いて答えた。

「実は今日、いつになく静かで穏やかな落ち着いた環境で、深い深い眠りに就けたのです。目が覚めた時も、不思議と()()()()()()()()()()()()()()()心地でした。そのお陰で、心身共にかつてないほど好調なのです。こうして皆様にお褒めの言葉を掛けていただけるのも、心優しき女神と、その使徒の温情を賜ったからであると、不遜ながらも確信しております」

 彼の言う女神と使徒が、アーレストに気付かれぬよう、密かになんらかの行動をしてくれた女神アリアの生母と、本物の精霊を指していることなど、当然気付く筈もなく。
 清浄なる後光が射して見える麗しい神父の笑顔に、女性達は拳を握り。
 主神へ向けて、それはそれは力強く、感謝の念を叫んだ。

(((アリア様、ありがとうございます! ご馳走様ですーっっ‼︎)))

 
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