逆さの砂時計
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純粋なお遊び
合縁奇縁のコンサート 1
vol.1 【変わらないもの】
気が付くと、目の前にプリシラが居た。
彼女は閉め切ったバルコニーを背に、事務用の椅子へ腰かけ。
机の上にある凄まじい量の書類を、一枚一枚手に取って確認している。
絹糸を思わせる艶やかさで腰の辺りまで豊かにふわりと伸びる金色の髪。
意思の強さと気位の高さが顕著な、見る者を射竦める藍色のつり目。
純白の長衣を纏いながらも一切のくすみを感じさせない、ハリ良い美肌。
ふと、爪の先まで抜かりなく手入れされた細長い指先が紅色の唇に添う。
書類の内容に問題でもあったのか、形良い眉根がわずかに寄せられた。
その表情と唇を撫でる仕草は、幼馴染の私から見ても妙な色香を感じる。
彼女の本性を知らない者の目には、おそらく扇情的に映るのだろうが……
「「………… っ!」」
次の書類に手を伸ばそうとしたのか、あるいは私達の気配を察したのか。
顔を上げたプリシラと、彼女を見下ろしている私の視線がぶつかった。
彼女は目をまん丸にして書類と肩を揺らし。
私も、ロザリアを横抱きにしている腕と肩を揺らした。
世に女性は数居れど、私が知る限りでは、彼女くらいのものだ。
目が合った瞬間に(命の危機的な意味で)胸の高鳴りを感じさせるのは。
現実的には、ほんの一瞬。体感的には、永遠にも似て長く感じた静寂。
顔を背けた瞬間に飛びかかられそうで、逸らすに逸らせない視線。
やがて、紙の上に紙を置く乾いた音を立て。
プリシラが、笑った。
「………… ふふっ」
世界樹から空間移動してきた私達全員を、品定めするように見回した後。
一拍置いた彼女は、獲物を捕捉した猫の如く瞳孔をきらりと輝かせ。
整った顔一面に、壮絶で凶悪なまでの妖艶な笑みを浮かべながら。
開いた左手のひらを自身の顔の横へ、ゆぅうっくりと持ち上げた。
そして。
「狭苦しく、おもてなしできるものは何も無い部屋で申し訳ありませんが。どうぞ、お掛けになってくださいませ。お客様方?」
そこにあった空気をひねり潰さんばかりの力強さで拳を握り。
握り拳の状態から一本だけ、親指をピッと立て。
その爪の先を、床へ向けて勢いよく振り下ろした。
室内全体の空気が、刹那のうちに凍り付く。
しかし命が惜しい私達は、凍り付くより早く正しく彼女の真意を理解し、彼女の厳命に沿って動かなければならない。
プリシラの言葉を翻訳すると、こうだ。
『お・す・わ・り。』
書類が積み上げられている机の手前(の床)で、横一列に正座する私達。
腰を上げた彼女は、机の前に立って私達を見下ろし、満足げに腕を組む。
机の囲いから現れたプリシラの生膝が、私達を威嚇するように開いた。
というか、『生贄』扱いの私と第二王子殿下はともかく、フィレスさんとリーシェ、ついでに何故かレゾネクトも一緒に正座しちゃってるんですが。
生存本能?
「さて。中央教会は治外法権と言えど、王国内。しかも王都の中心地です。本来ならば、この場において最も高貴な身分のエルーラン殿下にこのような態度を執れば、いかにこの身が高位聖職のものであっても不敬と見なされ、相応の罰を受けて然るべきでしょう。ですが。それ以前の問題として。女の仕事場に、なにやら刃を潰した剣と隠し武器と涙の痕が見受けられる少女と気絶した少女を抱えて、事前連絡もなくいきなり大挙として押しかけてきた非礼に関しては、貴方方に認めてもらわなければなりません。当然ながら、覚悟あっての言動ですわよね? エルーラン殿下?」
『教会に武器を持ち込むとか、ケンカ売ってるの? バカなの? しかも、そんな小さい女の子を泣かせてるって、いったいどういうこと? 大の男が揃いも揃って、何をしでかしたワケ? ちょっと痛い目見せましょうか』
副音声が怖すぎる。
何気に殿下とフィレスさんが隠し持っているであろう武器とその状態まで一目で看破するこの女性の目は、どうなっているのだろうか。
「あー……うむ。お怒りはごもっともだ、プリシラ次期大司教殿。それと、ミートリッテ第一補佐。国政面でも宗教面でも重要な案件を扱う執務室に、無断で入り込んだばかりか、そちらと面識がない人物を複数引き連れてきた非礼に関しては、全面的にこちらの不手際であると認めよう。申し訳ない」
「では、私の不敬にも寛容を」
「無論。私の立場は一神父である。この場の主導権は貴女にお譲りしよう(まだ死にたくないんで)」
声が漏れてます、殿下。
「(うわぁー……)」
そんな殿下に、プリシラが座っていた椅子の左斜め後ろからこちらを覗き見ていた金髪藍目の女性が、同情めいた小声を……って、
え?
プリシラ?
プリシラが二人居る?
不躾にもジッと見てしまった私に気付いた女性が、両目を瞬かせた直後、礼儀正しく腰を折って挨拶してくれた。
礼儀作法をきっちり仕込まれた人間の、上流階級にも通用する美しい礼。
ただ、ほんの少しだけ、落ち着きのなさが滲み出ている。
よくよく見れば幾分か年若いようだし、髪の長さも違う。
プリシラとは別人だ。当たり前だけど。
プリシラの血縁だろうか?
見られてしまった後ではどうしようもない。
にしても、あまり他人を巻き込みたくはなかったのだけど。
「ありがとうございます。早速ですが、私の手法で進行いたしますわね」
「ご存分に」
キリッとした面持ちの殿下が、死んだ魚の目でプリシラを見上げる。
プリシラは瞬時に笑顔を引っ込め、鋭い声音で本題を切り出した。
「人員整理」
「アリア信仰の神父ソレスタ。元神父のクロスツェル。女騎士のフィレス。エルフのリーシェ。元魔王のレゾネクト。アリア信仰が主神アリアであり、人間としての別人格も持つロザリア。以上、男性三名・女性四名。計七名」
「はいっ⁉︎」
ミートリッテ第一補佐と呼ばれた女性が驚きで声を上げ。
プリシラの一瞥で、慌てて口元を押さえる。
……事情を知らない人間なら、そういう反応ですよね。ええ。
プリシラの落ち着きようが異常なだけで。
「目的整理」
「女神アリアを含む人外生物の存在と、その行動を秘匿する為の協力要請」
淡々と現状把握に努めるプリシラ。
対する殿下も、淡々と答えていく。
同じ要領で質疑応答を何度かくり返した後。
目蓋を閉じたプリシラが、天井を仰いでため息を吐いた。
「要するに。貴方が東区で救えなかったと言っていた少女の正体が、まさに今、貴方の腕の中で眠っておられる御方なのね? クロスツェル」
「はい」
プリシラにはまだ、べゼドラと契約した私の愚行と罪を明かしていない。
神父だった私のかつての信仰心と行動、ロザリアの容姿や色彩などから、彼女なりにいろいろ推測したようだ。
正座してもロザリアを抱えたまま、膝にすら降ろそうとしない私を見て、そう判断しただけかも知れないが。
「はあ……。追跡できなくなった時点で、なにかあるとは思っていたけど。まさか本当に、アリア様が顕現されていただなんてね。貴方がロザリア様を教会へ招いた頃に報告を上げなかったのは、どうして? 言っておくけど、アリア様だと判っていて黙っていたのなら、これも立派な職務怠慢よ」
私を見下ろす元上司の目が、ちょっと冷たい。
「ロザリアが、アリア信仰との関わりを快く思っていなかったので」
「何故?」
「預かっていた教会から姿を消すまで、ロザリアは記憶喪失だったんです。単純に、自身が持つ力を他人に利用されたくなかったのでしょう」
「…………返す言葉もないわね」
仮に、私と出会った時点で信仰の重役がロザリアの存在を掴んでいたら。
女神アリアと同じ色や力を持つロザリアは、たとえ本人にアリアとしての自覚が無くても、確実に信仰の象徴へと担ぎ上げられていた。
ロザリア自身の意思は完全に無視して、だ。
プリシラにもそれが解るから、その辺りの追及はしないらしい。
一瞬、物言いたげに複雑な表情を見せたものの。
両手を腰に当てつつ、仕方がないといった体で頷いてくれた。
「良いわ。水面下の協力を約束しましょう。政治面ではエルーラン殿下が。宗教面では私が。貴方達を余計な争いの火種にしないよう全力で支えます」
「ありがとうございます、プリシラ」
敵に回れば心底恐ろしい人物だが。
その分、味方でいてくれる彼女の全力ほど頼もしいものはない。
ただ……
「ただし!」
…………対価要求が無ければ、もっと心中穏やかでいられるのだけど。
今度は何を要求されるのかと背筋を伸ばせば。
横並びしている全員の目線も、同時に上がった。
うん。
覚悟はできている。
「貴方方はしばらくの間、私とミートリッテの部屋から一歩も出ないこと。アリア様……今はロザリア様とお呼びするべきかしら? 彼女にもいくつか話を伺わねばならないし、殿下方にもここに来るまでの移動時間と手続きが必要でしょう。今回のように承諾もなく出入りされては大迷惑ですからね。万事、私の指示に従ってくださいませ」
『従えない子は、お・し・お・き。』
「「アイ、マム!」」
プリシラが微笑んだ瞬間、殿下とフィレスさんの素早い返答が重なった。
私と同じく、二人にも不穏な副音声が聴こえているに違いない。
びっくりするほど息ぴったりだ。
「良いお返事を頂けてなによりですわ。では、殿下とレゾネクトさん? は、ここで待機。リーシェさんとフィレスさんとクロちゃんは、そのままミートリッテの部屋に入ってちょうだい」
「「「はいっ!」」」
「クロちゃんは、ロザリア様をベッドに横たえたらすぐに戻ってくること。手狭にさせて悪いんだけど、案内してあげてね。ミートリッテ」
「あ、はい。承りました」
プリシラから指示を受け取ったミートリッテさんが、こちらへどうぞと、私達を執務室の片隅に手招き、壁一面を覆う白いカーテンの一部をめくる。
そこにあったのは、アルスエルナ王国では珍しいスライド式の白い扉。
隣に設けられている中央区司教補佐専用の部屋と往来する為の隠し扉か。
こういう非常時に、部外者から見えない秘密の通路があるのは助かる。
助かりは、するのだけど……。
「あの、プリシラ?」
「なによ」
「いえ、その……それだけ、ですか?」
「何が?」
「無断で出歩くな、だけで良いのかな? と」
「……………………いじめられたいの?」
「滅相もありません。」
ねじ切れてもおかしくない勢いで頭を横に振る。
あ、ちょっと目眩がした。
「あのねクロちゃん。私はこれでも、ろくに事情も知らずに知ったかぶりの仮面を付けて善人気取りの風潮に乗って、悪いことをしたっぽい人達の話も聴かずに一方的な糾弾で気晴らしする能無しではないつもりよ。私はまだ、一番知らなきゃいけない核心部分を把握してないの。だから、今。ここで。助けを求めてきただけの貴方達を突き回して遊ぶつもりは、毛頭無いわ」
「っ!」
腰を屈めて顔を覗き込んでくるプリシラの言葉に息を呑む。
私が知る普段の振る舞いのせいで失念していたが、彼女は聖職者だ。
助けを求める者には、どこまでも寛大な女性。
対する私の、なんと礼に欠いた言動か。
貴女は協力の見返りとして相手を弄ぶ人種だった筈では……などと。
本人を前にして、なんたる侮辱。
「すみま」
「まあでも、そんなに期待してたんなら、放置するのも可哀想だし。収拾の目処がついた後でじっくりたっぷり、心が砕けるまで遊んであげるわね?」
「すみませんすみませんすみません本当にすみません、失言でした。心よりお詫び申し上げると共に遊びのほうは謹んでお断りさせていただきたく」
「クーローちゃーん?」
背中が反り気味な私の前頭部に、プリシラの唇が軽く触れる。
「は…… い? …………え?」
きょとんとする私の前で、彼女は
「お帰りなさい」
何年経っても変わらない、無邪気そのものな笑顔を披露してくれた。
友人だ、と言ってしつこく構い倒してくれたあの頃と寸分違わぬ笑顔を。
「…………ただいま、戻りました」
私が、ほんのり苦味を混ぜた笑顔を返すと。
プリシラは目を細めて頷いた。
そして上体を起こし、早く行けとばかりに隣室への隠し扉を指し示す。
「後で、お話します。今度こそ包み隠さず、私が経験してきた一部始終を」
ロザリアを落としてしまわないよう、ゆっくりと、慎重に立ち上がり。
敬愛すべき元上司に、軽く頭を下げる。
「ええ。ちゃんと待っているわよ、臆病者さん」
ひらひらと手を振って見送る彼女を背に、再度苦笑いが込み上げる。
この世界の女性がたくましいのは、『貴女』の影響でしょうかね?
エルネクト。
「今更、知られて嫌われるのが怖かった……なんて。自分が一番驚きです」
「はい?」
私の呟きを拾ったミートリッテさんが、小首を傾げて私を見上げる。
「いえ、なんでもありません」
罰を与えられることに甘えようとしていた自分。
良くない何かを察していても、変わらない関係を示唆してくれた友人。
私は本当に、溺愛されすぎている。
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