逆さの砂時計
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生の罪科 2
世界を作り、愛し、護った女神アリア。
彼女を敬い、崇め、仕え、その教えを世に伝え広めることが、私の役目。
私の使命。
「あーっ! クロちゃんてば、また本詰めになってる! ダメよ、毎日毎日室内に引きこもってばっかりじゃ、体にも精神にも悪いわ!」
「…………」
「そして、また無視するのね? むう……良いわよ、私も勝手にするから。アーレスト! 強制排出!」
「アイ、マム!」
アルスエスナ王国の中央教会にある、書庫の一画。
椅子に座って本を読んでいた私の背後に立ったアーレストが、私の両脇に腕を突っ込んで軽々と抱え上げた。
……毎日毎日、よくも飽きないものだ。
それでも本からは目を離さない私を。
二人も無視して、「れっつごー!」などと笑いながら廊下を突っ走る。
廊下は走る場所じゃない。
「さあ、ご覧なさい、クロちゃん! この荘厳華麗な中央教会の庭園を! 広々してて、吹き渡る風が気持ち良いでしょう!? あの噴水なんて、もう、見てたら入りたくなって仕方ないでしょう!? 水とか掛け合いたくなって、うずうずしちゃうわね!」
「そうそう! 見てごらんなさい、クーちゃん! 空がもう見事なまでに」
ガラガラガラ……ピシャーン!
びゅおおおおおお……バタバタバタ……
「「嵐ね!!」」
すたすたすた。
「「ああ! 逃げないで!!」」
この二人はいったい、何がしたいのか。
国境を越えた後、腕の骨折が治ってから連れてこられたこの中央教会で。
プリシラとアーレストとハーネス大司教、コルダ次期大司教だけが。
何故か、やたらと私を構いたがる。
内密の後見人になってくださったハーネス大司教と、一定の距離を置いて様子を見ているらしいコルダ次期大司教はともかく。
この若い男女二人組は、猪みたいに突進してきては芸人みたく反応に困る寸劇を披露しつつ、私を巻き込む。
正直、放置しておいて欲しい。
「ほら、見ろよ。また、あの子供」
「うわあ~。お手本的な仏頂面」
「何が楽しくて生きてんだろうな」
部屋へ戻ろうと本を読みながら歩いていけば。
耳に入るのは、こちらも毎日変化しない噂話。
「アーレストもプリシラも、あんな子供を振り回して何が楽しいんだか」
まったくもって、その通り。
本当に、何が楽しいのだか。
「二人も変人なんだろ。頭の中、空っぽそうだし」
「はは、違いない」
ピタ。
「遠巻きにささやくしかできない貴方達より、ずっと賢い方々ですけどね」
「な!?」
「このっ……!」
聞こえてないと思っていたわけでもなかろうに。
言い返されて怒るくらいなら、最初から黙っていれば良い。
ここの人間は不思議だ。
何故、志を同じくする者を貶めたがるのか。
アリア様がそんなことをお望みになっているとは思えないのだけど。
「汚らわしい孤っじぃっ!?」
「クロちゃああああああんっ!!」
「クーちゃあああああづぶぶ!!」
同僚を吹っ飛ばして、再び猪二頭が猛進してきた。
とりあえず、アーレストは重いので避ける。
床に顔面スライディングしたのは……
信徒で結成されているという彼の応援団に悪いことをしてしまったかな。
彼の顔に傷でも付いたら、一週間は不気味な泣き声でうなされそうだ。
「嬉しい! 私は嬉しいわ、クロちゃん! 貴方、いつもいーっつも私達を無視するんですもの。もしや存在ごと無いことにされてるんじゃないかと、毎日毎日食事が喉を通らなくて、胸が苦しかったのよ! 私!」
昨日どころか今朝もパンを二つ追加していた人間のセリフではない。
それと、頭を抱えて撫でるのは、ぜひともやめていただきたい。
長衣の裾が段々短くなっているのも……
そろそろ上からお叱りが下されそうなものだが。
改めそうもないな。
「酷いわ、クーちゃん! 私だけ避けるなんてっ!」
「アーレスト、お座り!」
「アイ、マム!」
膝を床に突けて、ぴしっと背筋を伸ばすアーレスト。
犬か。
「ねえねえ、クロちゃん。来週、教会主催のバザーがあるでしょ? 今回は私達と組まない? 出し物を考えるの!」
「いえ、私は経理担と」
「一緒に! 考えない!?」
きらきらと瞳を輝かせながら迫られてはもう、何も言えない。
言い返すとロクな目に遭わない気がする。
彼女が絡むと、必ずどこかから奇妙な悲鳴が聴こえてくるのだ。
聴こえてるうちは、まだ良い。
自分が上げる側になるのだけは、断乎として遠慮したい。
「……お好きにどうぞ」
「ふふーん。楽しみね、バザー!」
「私も楽しみー! ところで、もう動いても良いかしら、プリシラあ?」
「三回回って、にゃあ!」
いや、そこは わん じゃないのか。
「ぐるぐるぐる、にゃあ!」
そして、実践するのか。
……なんなんだ、この二人は……。
『レスターが奪って殺した以上に、迷える生命を救いなさい。それが君への罰だよ、『クロスツェル』』
私が『レスター』という名前を持っていたことは、周知されていない。
私の生まれや育ちも、ハーネス大司教の他には数人しか知らない。
彼らは決して、私を『レスター』とは呼ばないから。
『レスター』はもう、死んだのと変わりない。
なんて、すごい屁理窟だ。
でも、中央教会に住んでみて分かった。
アリア様は、世界中で多くの人間を救っていたんだと。
アリア様の教えが、苦しむ善を導いている。
アリア様の教えを広めているアリア信仰は。
すべてではないにしろ、手が届く範囲の善い人間を助けているんだ。
私にも……奪うしかできなかった悪にも、善を救う術があるのだと。
ハーネス大司教と、アルスエルナ王国が教えてくれた。
アリア様が教えてくれたことをもっともっと広めれば。
お母さんやテオみたいな、悪の犠牲者を減らせる。
私は、クロスツェルは、その為に生きている。
私の道はアリア様の物だ。
たくさん学ぼう。
たくさん知ろう。
女神アリアの世界を、彼女が愛した世界に戻すんだ。
……でも。
「バーデルだけは、記憶にも留めたくない、な」
お母さんの故郷だけど、お母さんが死んだ国。
お父さんが強制兵役中に死んだ国。
テオが死んだ国。
ついでに、『レスター』も死んだ国になるのかな。
あの国は……嫌いだ。
「ぃいやっほーいっ! 見て見てクロちゃーん! とっても良い天気よ! バザー日和よー!」
「……………………」
お手製の衣装をよほど気に入っているのか。
多くの信徒達が会場設営の仕上げに勤しむ中。
桃色のフリルドレスを纏ったプリシラが、無駄に陽気に走り回る。
協調性も何もない彼女だが。
不思議と誰からも嫌な顔は向けられず、苦情一つ聞こえてこない。
膝丈の裾が揺れるたびに視線が集まっている気がしなくもないが。
彼女の奇天烈な格好は今更だ。多分、気のせいだろう。
そんな、邪念に塗れた信徒ばかりだとは思いたくない。
というか、あの衣装はいったい何を目指して造形されたんだ?
長い髪を両耳の上で括り、やはり桃色のフリル付きリボンで飾って。
ワンピースらしきフリルドレスも、リボンだらけで見た目がくどい。
二の腕部分でぷかぷかに膨らんでいる袖とか、邪魔にならないのか?
素足にも長いリボンを器用に巻き付けているが。
あれだけぴょこぴょこ跳ね回ってて、何故ずり落ちない。
爪先と踵を露出していて、靴の意味があるのか?
「謎すぎる」
「謎なんて、半歩奥に踏み込めば、あっという間に解けちゃうものよお?」
あらかじめ用意しておいた簡易机の上へ販売品を並べる私に。
背後からねっとりと絡み付いて「うふふ」と笑うアーレスト。
彼も、毛足が長いもふもふ仕様な犬の着ぐるみ、という、実に意味不明な姿をしているが、誰が用意したのかなんて、改めて尋ねるまでもない。
私の生存本能が強く訴える。
関わるな、と。
「クーちゃんももっと楽しみましょうよ。年に一度の精神解放日なのよ? いつもと同じじゃ、つまらないじゃない!」
バザーとは、近隣住民との親睦を深めながら、教会の運営資金を得る為に開催される催し物であって、娯楽ではない。
楽しさを追求してどうする。
「貴方は正門の外で呼び込みをしていてください。私は、品物の最終点検で手が塞がっていますので」
「むー……クーちゃんの、いけず後家!」
誰が意地悪未亡人か!
「また後でねーっ」
プリシラと一緒に、外で客引きしてて欲しい。
バザーが終わるまでずっと。
とても教会関係者には見えないだろうが、二人の容姿はとにかく目立つ。
看板係としては、文句の付けようがないのは事実だ。
ぜひとも頑張っていただこう。
私が居ない場所で。
「開場しまーす! 皆さん、笑顔で対応してくださいねー!」
合図が聞こえてすぐ、敷地内にざわめきが広がった。
正門から正面入り口の間までにびっしり並んだ机や地面に敷いたシートを覗き込みながら、たくさんの客が近付いてくる。
信徒達が作った焼き菓子から、使わなくなった備品まで。
教会関係の品物が、次々と飛ぶように売れていく。
私が売り子を任されたのは初めてだが……
特に誰にも何も言われないので、問題はないと判断しておく。
いらっしゃいませと、ありがとうございました。
何かを尋かれたら、身振り手振りを添えて。
可能な限り丁寧に、分かりやすく説明。
ハーネス大司教の言葉に従い、常に笑顔を心掛ける。
これくらいなら、慣れればどうとでもな
「んきゃ!?」
べしゃっ! と、盛大な音を立てて。
小さな女の子が、机を挟んだ正面ですっ転んだ。
顔と膝をすり剥いて、買ったばかりの焼き菓子も砕けてしまったせいか。
女の子は地面に半身を起こした状態で、唐突に大声で泣き出した。
周りの大人達が困ったような笑顔で話しかけるが。
女の子は更に声量を上げて、ボロボロと涙を溢すばかり。
大人達は、参ったねえと後頭部を掻きながら、互いに顔を見合わせる。
……えー、と……
「お嬢様一名、特等席へご招待ーっ!」
もふもふの着ぐるみがトトトッと走ってきて、女の子を抱き上げる。
目線が急に高くなった女の子は、きょとんと瞬き。
その場でくるくると二回転した犬の肩に乗せられ。
「さあ、お嬢様! この焼き菓子を食べながら一緒に散策致しましょう!」
差し出された綺麗な形のお菓子と、犬の美しい顔に面食らったようだ。
頬を赤らめ、はにかみながらも嬉しそうに微笑んだ。
「クロちゃん」
はしゃいだ様子で人波に消えていく犬の背中を見送ると。
今度はプリシラが現れて、砕けたお菓子を拾った。
それを机の隅に置いて、私を見据える。
「ちょっといらっしゃい。売り子は他の人に頼むから気にしなくて良いわ」
珍しく真面目な表情だ。
口調もわずかに硬い。
「分かりました」
黙って付いて行った先は、教会の裏手。
こちらに来る客は滅多にいないからか、表側と違って静かだ。
一歩先に立つプリシラは、私に背を向けたまま、深いため息を吐いた。
「貴方、あの女の子を見て、どう思った?」
「……単純だな、と」
また、ため息を一つ。
何が言いたいのか分からず、首を傾げると。
くるっと反転したプリシラが突然、私の頬を平手打ちした。
ぱしん! と響く、乾いた音。
痛くはないが、ちょっと驚いた。
「クロちゃん。いいえ、クロスツェル。貴方は何を見ているの? その目に何が映っているの?」
何が、と言われても、質問の意味が解らない。
見たまま、としか答えようがないのだが。
「ねえ。アリア信徒の役目って、何だと思う?」
「女神アリアの教えを世界に広め、苦しむすべての者を救うことです」
「模範回答ね。じゃあ、その教えはどうやって広めるの?」
どうやって?
教典を読み聴かせたり、実際に困ってる相手を手助けしたり……
……………………あ。
「やっと解った? そうよ。あの女の子は泣いていたの。貴方は迷わず手を差し出すべきだった。あの子を笑顔にすることが、私達アリア信徒の役目。傍観者に徹するなんて、論外よ」
手を、差し出す。
私の……この……
「! プリシラ?」
「貴方は汚れてなんかいない」
また、頭を抱えられて、撫でられる。
「汚れているのなら、これからの行いで浄めれば良いの。貴方のその手で、救える者を救い、護れる者を護れば良いの。見つめなさい。世界を生命を、その有り様を。今この瞬間にも、貴方のその手を待ってる人達が大勢いる。気付きなさい、クロスツェル」
私を待ってる?
私、を?
善を殺してきた、私の、この手を……?
「教えを広める者には、それを体現維持する義務と責任があるわ。形だけを通して終わりだなんて思わないで」
アリア様の教えを体現維持する義務と責任。
それは
「……いい子ね、クロちゃん。怖がらなくて良いの。私達は大丈夫だから。もう、怖がらなくて良いのよ」
意味が、解らない。
何かに怯えてるつもりはないのだけど。
「貴女達の言動は、おかしなものばかりですね」
「そう? 友達と遊びたいだけよ、私は」
「遊び方の度が過ぎていませんか? 深夜に幽霊ごっこをしたり、女装とか落とし穴とか……。四方八方からボールやら砂やらが飛び出してくる仕掛けなんかもあったそうですけど?」
「子供だもの」
言い切る貴女が凄すぎる。
「さ。理解したら、反省のお時間は終了! とっととバザーに戻るわよ! 叩き売りよーっ!」
ぱっと離れたプリシラが。
片手を高々と天に突き上げて、無駄に元気良く会場へと走っていく。
……なんとなく……プリシラには一生敵わないような気がする。
なんとなく、だけど……。
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