逆さの砂時計
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べぜどらくん・しょっく!
マリノア、シャフィール、ベラディ。
ついでに、イディアノ、グラズエラまで来たから、次は反対勢力だな。
アリア信仰の次に規模がでかいのはバドワール教団。
その強力な後ろ楯は、全部で四ヶ国。
どこも同じ大陸内にあるのは移動が楽で良い。
こっちはまとめて片付けるか。
街壁を跳び越えてすぐの店で買ったサンドイッチを一つ。
口の中に放り込んで、じっくりと味わう。
背が高い石造りの建物に隠れた空はまだ青く、人通りも多い時間帯だが。
今は、事あるごとに口やかましかったクロスツェルが隣に居ねぇからな。
入街許可なんざ無視だ、無視。
国でも街でも、出入りする瞬間さえ、その辺の人間共に見られなければ、どこをどう進もうが俺の自由だ。
あー、すっげー楽。
換金作業以外は。
出入国手続きの日付まできっちり確認しやがるせいで、再度換金が必要な時だけは、最後に手続きした関所付近までいちいち戻らなきゃならん。
面倒くせえ。
だがまあ、これはこれで愉快だ。
アイツと居る時は、人間のフリをしろだの、人間の目に気を付けろだのとごちゃごちゃうるさかったが、フィレスは真逆を指示したからな。
限定的とはいえ、俺に向かって力を使えとか言う人間の女は初めて見た。
元人間だけど。
酷使? 上等だ。
これまでクロスツェルのバカに抑圧されてきた全部を引っ張り出して!
全身全霊で遊んでやる!
あ、いや……。でもまあ……、あんまり全力を出すのも、な……?
後々厄介なことになりそうな気が、しなくもない、ような……。
って、アイツに調教されすぎてんだろ、俺!
なんだってここに居ないヤツの説教に尻込みしてんだ、俺は!
アホか!
「くそっ! これだから人間は……」
クロスツェルにしろ、アルフリードにしろ。
まともに付き合うとロクなことがねぇ。
人間社会に関わって良かったと唯一思えるのは、やはりこれ。
この、卵焼き入りサンドイッチ、通称『たまごサンド』との出会いだな。
薄焼き卵を層にして、レタスと一緒に食べるのも悪くはないが。
厚焼き卵のふっくら感とキュウリのしゃきしゃきした食感、それに付ける辛味料とトマト調味料を足した爽やかな香りが鼻を抜ける瞬間は格別だ。
最近気付いたんだが、卵は温かいうちに食べたほうが、より旨い。
ただし!
人肌程度まで冷ましてから挟まないと、あっという間にパンのふわふわな食感が損なわれるから要注意だ!
蒸気でべちょべちょになったパンほど残念な物はないからな。
ふわふわ、ふっくら、しゃきしゃき。
この食感の違いを一つの食べ物として昇華した完全無欠な至高の食べ物。
『たまごサンド』
これを作り出す為に人間が生まれたと言っても、過言ではなかろう……
って
「ーーーー!!」
「あ」
大通りに出た途端、横から何かが体当たりしてきた。
俺が左腕に抱えてた、茶色の紙袋が地面に落ちて。
「ーー! ーーー!!」
体当たりしてきた何かを追いかける、別の何かが。
中身入りのそれを、無情にも ぐしゃり と踏み潰した。
「ーーー!! ーー」
「ーー! ーーー!」
人間の男の姿をした何かと何かは、険しい表情でどつき合いながら。
茫然と立ち尽くす俺の脇を、知らん顔して走り抜けていく。
……その足で踏みつけた物のありがたみにも気付けぬ、愚か者共め……っ
「────────っっ殺おぉおおおす!!」
食い物を粗末にする奴は、例外なく等しく即座に死ね!
サンドイッチを蔑ろにする阿呆は!
たとえクロスツェルのバカが赦しても!
この俺が! ぜってー赦さん!!
「待てやゴルァああああぁぁああああああ────っ!!」
ま、実際に殺しゃしねぇけどな。
土下座二百回と、多めに買わせた代替品で勘弁してやる俺、超・寛大。
……断じて、クロスツェルの説教がウザいからじゃねぇぞ。
断じてな。
噴水が でん と構える広場を囲むように置いてある鉄製のベンチに座り。
踏まれたサンドイッチは、街中をうろついてた野良犬にくれてやりつつ。
不届者共に買わせた新しいサンドイッチを、白い紙袋から取り出して……
…………ぅん? おおおっ!? これ、めちゃくちゃ旨いな!?
てか、なんだ? 一口目のサクッて食感は。
ふわ、じゃなくて、サク?
よく見ると、パンの両面がいい具合にきつね色。
そうか、トーストにしてるのか!
なるほど、巧いこと考えたな。
表面を軽く焼いたおかげで、サクッとした歯応えの後に、ふんわり食感が加味され、口内にほんのり広がる小麦粉の香ばしさが食欲を増進させる。
素晴らしい。
実に見事な逸品じゃないか。
あんな愚か者共が、こんな上物を製造する店を知ってるとは。
……勿体ねぇな。
サンドイッチの素晴らしさが理解できてない奴らには、分不相応だ。
今度どっかで会ったら、サンドイッチの講義でもしてやろうか。
「……にしても、マジで旨いな。焼くって発想も良いが、トーストする為にパン生地そのものを改良してんのか」
加熱調理してもふわっとした食感は変わらないように生地を調整しつつ。
味そのものにも雑な影響を出してない。
味付け頼みの誤魔化しが多い中、素材の良さを引き立てる手腕。
これは、繊細かつ熟練した、確かな職人の業だ。
「あら、嬉しい。そういう細かいところにも気を配って食べてくれるのね」
紙袋の中で二つ目のサンドイッチを掴んだ瞬間。
俺の背後に立った女が、物珍しそうに横から顔を覗き込んできた。
猫を思わせる青い目が、俺の顔と紙袋を交互に見て上向きの曲線を描く。
「サンドイッチって、どうしても手軽にササッとって感じになるでしょ? そんな風に味わってくれる人、なかなかいないのよねえー。そういう物だと解ってはいるけど、やっぱり無造作に消化されちゃうと、あああ~……ってなるの。解る? もっとこう……、うああああ~~……って感じ」
このサンドイッチの作り手か。
ふーん……?
もっと場数を踏んだ年寄りの男かと思った。
見た目は二十代前半の、悪くない容姿。
声と仕草は妙に幼い印象だが。
肉体労働に慣れてるのか、全身適度な肉付きで健康的。
蜜色の短髪に被せた白い三角巾と、丁寧に整えられた指先。
化粧っ気が無い顔は、食品を取り扱う者としての自覚と自負を窺わせる。
真っ赤なワンピースに白いエプロンと、見た目の清潔感も申し分なし。
纏った小麦粉特有の甘い香りは、厨房に居る時間が少なくない表れ。
ふん……やるな、この小娘。
「旨い物には、それに相応しい食べ方ってもんがあるだろ。雑な食い方しかしない阿呆には食わせるな。食材と技術が勿体ない」
「あはは! そこまで気に入ってくれたんだ。ありがとう! すごく嬉しいけど、私も作って売るのが仕事だから。お客様を選ぶなんて、できないわ。いつかね、その場のノリだろうと、気の迷いだろうと、一見さんだろうと、私が作った物を選んで買ってくれたすべての人に、美味しい! って笑ってもらいたいの……っとと。危ない危ない」
屈んだせいで落としそうになった子供程度の大きい袋を慌てて抱え直し、小娘は、良かったあ~などと一息吐いた。
袋の真ん中に描かれた小麦の絵……製粉したばかりの小麦粉か?
チッ。
「貸せ」
「え? あ」
二つ目をよく噛んで胃袋に収めてから立ち上がり、小娘から袋を奪って。
代わりに、俺が持っていた紙袋を小娘に押し付ける。
こいつの店は確か、大通りの端を曲がってすぐ、だったな。
「あの?」
「小麦粉は貴重な原材料だ。小指の爪先ほども無駄にはできんだろうが! 落とされでもしたら我慢ならん!」
見た限りじゃ、この付近に水車小屋はそう多くない。
小麦を挽くには一定の制限がある筈だ。
こんな大事な物を俺の目の前で落とすとか、万死に値する!
「……ありがとう」
二人並んで広場を出て、大通りを東方面へと歩く。
人の往来が途切れないのは、街が商業中心で成り立ってるせいか?
所狭しと並ぶ石造りの建物に、様々な業種の鉄看板が吊られまくってる。
「まだ名乗ってなかったよね? 私はマリオン。お兄さんは?」
「ベゼドラ」
「ベゼドラさんね。よろしく! ベゼドラさんって、同業者には見えないんだけど。もしかして無類のパン好き?」
「そうでもない」
そう。
俺が求めているのは、ただのパンじゃない。
サンドイッチに相応しいパンだ。
クロスツェルの国の聖地で出会った至高の一品が懐かしい。
しかし、あれで満足して終わりではいけない。
もっと上が……更に旨い究極のサンドイッチが、世界のどこかにある。
きっとある。
必ずある。
探求の旅は永遠に終着しないのだ!
「そっかー。そのわりには並々ならぬ拘りを持ってそうだけど。なんなら、うちの店の厨房を見てみる?」
「見る」
「あはは、即断即決ね。良いわ、歓迎する。でも、それなりの身支度はしてもらうわよ?」
その格好じゃ、衛生的に問題がありそうだからね。
と、空いた左手で俺のコートの背面を摘まみ、苦笑う。
「当然だ」
パン作りは至極繊細なんだぞ!?
厨房に入るなら、清潔な装いは基本中の基本!
せっかく、本業の職場を見せてくれるって言うんだ。
隅から隅までじっくり観察してやろうじゃないか。
マリオンが職人兼経営者として勤めている『ベーカリー・マリオン』は、こじんまりとした小さな店。
なんて言うんだったか……『テナント』?
縦に細長い建物の一階部分を借りて、細々と商売してるらしい。
大通りが近いっつっても、所詮は端のほう。
知る人ぞ知るってヤツか。
マリオンに小麦粉の袋を渡し。
店員の控え室に入って予備の作業着に着替えた後、入念に手を洗う。
頭部から口元から全身を真っ白い布で包まれると、クロスツェルの教会でパンやら何やら、早朝からいろいろ作ってた数ヶ月間を思い出す。
あの頃はクロスツェルの体を使ってたし。
俺自身の体で厨房に入るのは、これが初めてだ。
「うん! これなら大丈夫ね。入って良いわよ」
同じ作業着に着替えたマリオンが、厨房への扉を開いて俺を手招く。
道具類と作業台、取り置き場と焼き窯で詰まった狭い室内は。
それでもきっちり整えられてて、思ったよりずっと動きやすい。
最低限揃ってれば良いって感じだった教会とはまるで違うな。
創意工夫の為の道具選びにも、マリオンの感性が見え隠れしてる。
「これから明日と明後日分の仕込みをするの。と言っても大体の作業はもう終わってるんだけどね。こっちが熟成を待つ段階で、こっちが二次発酵中。それで、今からはベゼドラさんが運んできてくれた小麦粉を使っ」
「ちょっと待て」
「? なにか?」
「今、二次発酵とか言ったか?」
二次発酵……『発酵』?
まさか。
「え、ええ。新しく生地を作って発酵させる間にこっちを切り分けて熟成の段階に入」
「ここのパンは発酵食品なのか!?」
嘘だろ!? どう見ても腐ってないぞ!?
糸も引いてないし!
「? 小麦粉を使ってたら大体は酵母で発酵させるものだと思うけど……。ベゼドラさんは、平焼きパンが好きなの? え、でも……え?」
マリオンが首を傾げたり目を瞬いたり、不思議そうに手を上げ下げする。
小麦粉を使う以外のパンなんてあるのか?
クロスツェルが使ってたのも小麦粉だぞ?
まさか、そんな。
「……作って、見せてくれないか……? 生地」
意を決して絞り出した俺の言葉を。
マリオンは「え? ええ……」と、困惑しながらも了承した。
用意した材料を手早く秤に掛け。
すべてを混ぜ合わせて、根気よく丁寧に捏ねる。
それを器に移して、厨房の隅に設置された室へ入れ……
同じだ。
クロスツェルの作り方と。
俺がしてた作業と、まったく同じ。
どういうことだ……?
この作業のどこに、腐る要因があるって言うんだ!?
しかも、二次って何だ? 二次って!
二回も腐らせてんのか!?
いやでも、腐ってるのとは全然様子が違うじゃないか!
あの、鼻がもげそうになるツンとした悪臭もしないし!
「訳が分からないっ!」
「えーと……ベゼドラさん、もしかして、発酵が何かを解ってない、の?」
作業を終えたマリオンの言葉が。
クロスツェルに見せられたおぞましい物体をまざまざと思い出させる。
「そんな筈ないだろう! 俺は直に見たんだ! クモの糸のようにネバネバ伸びる粘液がべっとり絡みつく、腐った豆を! だが、パンの生地はあんな風にドロドロでもないし、粘りはあるが、あんなに醜悪な外見はしてな」
「はい、分かりました。パンを作った経験はあっても、作業工程の意味とか形状変化の理由とかは、ほとんど理解できてなかったんですね」
「んなっ!?」
た、確かに、作り方自体はクロスツェルの真似をしてただけだがっ!
「ベゼドラさんって面白い。パンに対する情熱は人並み以上に感じるのに、知識が少し偏ってるみたい。作り手としては、美味しく食べて欲しいし……その為にも誤解は正しておきたいかな」
「誤解?」
「あのね。発酵っていうのは……」
~解説中~
……なんてことだ……。
「奥が深い。人間はたった数千年の間にここまでの技術を会得したのか!」
「うーん……まあ、一番最初に発酵パンを見つけた人は、ドジっていうか、ものぐさだったのかも知れないけど……怪我の功名とか、偶然の産物、って言ったほうが適切かなあ……?」
偶然?
いいや、違う。
「これは必然だ! パンが生まれた瞬間に、定められていた運命なんだ! 発酵。なんて素晴らしい! そしてマリオンは巨匠だ。無二の才能と優れた技術、膨大な知識を併せ持ったパンの芸術家だ! 弟子にしてくれ!!」
「えええ!? パン屋なら、これくらい普通よ!? それにベゼドラさんって、この街の住民じゃないわよね? 旅人なんじゃないの!?」
「そうだ。だから、目的を果たした後に必ず戻ってくる。その時には師匠と呼ばせてくれ!」
「し、師匠って……。本当に変な人ねえ」
低姿勢で拝み倒す俺を見て。
マリオンが呆れ、苦笑う。
「良いわ。ベゼドラさんが戻ってきたら、その時に考えてあげる」
「本当か!?」
よし! とっととロザリア回収だ。
俺が歩むべき輝かしいパン道の為にも!!
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