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逆さの砂時計

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生の罪科 1

 『せんそう』がいつはじまって、いつおわったのか、ぼくは知らない。

 だれかが『しゅうけつせんげん』したってきいたけど、だからなあに?
 だれかがうでを上げて、はじまった。だれかがうでを下げて、おわった。
 なんか、おままごとみたい。
 だったら、ぼくのおかあさんも、おままごとみたいにかえしてほしい。
 「ただいま」ってわらう、ぼくのおかあさん。

 つめたい。
 うごかない。
 しゃべらない。
 わらってくれないんだ。

「おかあさん」

 くろくて長いかみは、おかあさんのじまんだったのに。
 知らないおじさんたちに引っぱられて、引っこぬかれて。
 すっごくながいけんで、ばらばらに切られちゃった。

 やめて、って言ってたのに。
 やめて、ってないてたのに。
 おじさんたちはわらいながら、おかあさんをいじめてた。
 きれいなおかあさんは。きれいだったおかあさんは。
 ぼろぼろになって、うごかなくなっちゃった。

 おかしいよ。
 おかあさん、白かったのに、赤いんだ。
 赤くてどろどろで、すっぱいにおいがする。
 いつも、どこにいても、花のにおいがしてたのに。

「……おかあさん」

 なあに? って、わらって。
 いつもみたいに、あたまをなでて、ぎゅうってして。

「あ……」

 じめんにねっころがったままの、うごかない手をもち上げようとしたら。
 ぽろって取れた。
 うでが、はんぶんになっちゃった。
 これじゃあもう、だっこしてもらえない。
 なでなでしてもらえない。

「……おかあさん……。おかあ、さん……」

 とてもりっぱなふくをきてたおじさんたちは、どこかへ行っちゃったよ。
 もう、おきても大丈夫だよ。
 いじめられないよ。
 だから、ねえ。

「おきて……おかあさん……。おかあさん、おきて……」

 はだかでねてたら、かぜひいちゃうよ。
 あたらしいおうちへ行くんでしょ?
 ねえ、おかあさん。
 おきて。
 おきて。
 おきて。

「……おかあ……さ、ん……」

 ……いたい……。
 いたいよ。
 おじさんたちに、けられて、たたかれて、おなかがすごくいたい。
 ここはさむいから、はやくかえろう?
 あたらしいおうちに、かえろう?

「……お か あ さ……ん……」

 あたまがぐらってなって、おかあさんの上にたおれちゃった。

 ……あれ?
 おとがしないね。どうして?
 おかあさんの、とくん、とくんって、おと……
 すき、だったのに……、な……



 おなかがすいた。

 おかあさんは、たくさんの虫にたべられちゃった。
 どうしていいのかわからなくて、うねうねがきもちわるくて。
 なのに。
 おきるの、ずっと、まってたのに。
 おかあさんが、ぜんぜんうごいてくれないから。
 ぼくはおかあさんをおいて、にげちゃった。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 でも、おなかがすいたんだ。
 すごく、おなかがすいた。

「……このくさ、たべれるのかな……」

 そこらじゅうにはえてる、ほそ長いくさをむしって、かんだ。
 くさい。
 でも、なにかをかんだのは、ひさしぶり。
 おなかが、ぐるぐるってなる。
 もういっかい、かんだ。
 やっぱり、くさい。

 けど、もっとかみたい。たべたい。
 おなかすいた。たべたい。
 なんでもいい。たべたい。



 あれから、どれだけの月日が流れたんだろう。

「こら、待て泥棒ーっ!」

 畑を見つけては、物を盗んで。
 露店を見つけては、物を盗んで。
 鳥を殺して、魚を殺して、僕は生きてる。
 ただ飢えをしのぐ為に食べて、生きてる。

「……はは……っ」

 村の外へ逃げ切って、奪った物を全部食べて。
 疲れたから、適当な木に背中を預けて座る。

 殴られるのも、怒鳴られるのも嫌だし。
 深夜なら気付かれにくいかと思ったんだけどな。
 やっぱ、そう甘くはないか。

「そりゃそうだ。皆、必死なんだから」

 汗水垂らして畑を耕してるところを見た。
 必死な表情で川の水を運ぶ女の人が居た。
 作物を実らせるには、時間と手間と、そして途方もない労力が必要だ。
 そんなことは知ってるし、解ってる。

 でも、僕には耕せる土地も道具も種も無いんだ。
 耕して育ててる間の飢えをしのぐ方法が無いんだ。

 だから、奪う。
 自分が食べる為だけに、誰かの糧を奪う。

「……身勝手だな」

 解ってる。
 お母さんを殺した連中と同じことをしてるんだ、僕は。

 食べたいから奪うのと、奪いたいから奪うのと。
 そこには何の違いもない。
 結果は略奪。
 ただ、それだけ。

「汚い……汚い汚い汚い汚い汚い汚い……」

 笑い声がする。
 たくさんの笑い声が、耳の奥で反響する。
 お母さんを殺した兵士達の笑い声が、自分の笑い声に変わっていく。

 …………どうして生きてるんだ?
 僕は、どうして生きてるんだ。
 奪って、殺して、食べて。
 それにどんな意味があるっていうんだ?

「汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い汚い」

 ガリガリと自分の肩を引っ掻いて。
 引っ掻いて、引っ掻いて、引っ掻いて。
 皮膚が削げて、血がにじむ。
 皮膚と爪の間が、赤黒いもので詰まっていく。

 痛い。痛い。痛い。

 ……それでも、お腹は空く。喉が渇く。

『誰かに迷惑をかけてはダメ。皆、生きる為に精一杯頑張ってるんだから。私達は私達で、頑張って生きていきましょうね』

 はい、お母さん。
 でも、頑張れる場所が無いんだ。
 奪うしかできないんだ。
 迷惑だって知ってる。解ってるよ。
 でも、他にどうすれば良いのかが、僕には分からないんだ。
 ただ、食べたいんだ。
 バカみたいに食べて、腹を満たしたい。

 汚い罪人なんだ。僕は。

「アリア様」

 お母さんが僕にくれた水鳥のペンダントは。
 お母さんを殺した兵士達に奪われて、跡形もなく壊されてしまったけど。
 お母さんが信じていた教えだけは、今でもしっかり覚えてる。
 そこには、僕の行いが悪であると、はっきり刻まれていた。
 罰せられるべき、悪行であると。

 なら、僕は裁かれるべき罪人だ。
 生きることを認められない、悪の権化だ。
 これ以上生きていても、お母さんに嫌われるだけじゃないか。

 でも、食べたい。生きたい。
 このまま死にたくない。
 死にたくなんかない。

 生きてたって、何かをしたいわけでもないのに……っ!

「アリア様」

 赦してください。
 この罪深い魂を、赦してください。赦してください。
 赦して、赦して、赦して、赦して、赦して!!


「君、アリア信徒なの?」


「!?」
「そっか……。それじゃ、仕方ないのかも知れないね。このバーデル王国のお偉いさんは、アリア信仰を敵視してたから」

 …………誰?
 お母さんと同じ、大きくて真っ黒な目と、肩まで伸びる真っ黒な髪。
 でも、僕より背が高い男の子。

 まさか、村の人間!?
 逃げなきゃ捕まっ……、

「待って! これ、あげるよ」

 逃げようとした僕の右手を取って、何かを掴ませた。
 握った手の中で、じゃらりと音がする。

 ……これは、お金?
 開いた手のひらの上で、月光を受けて光る銅貨が三枚。

「なん、で?」
「君がこれからを生きていく為の足掛かりになれれば良いなと思って。施しだろうとなんだろうと、君は受け取るべきだ。これ以上畑を荒らされても、こちらが困るからね」

 ……銅貨三枚で、どうしろというんだろう。
 村でイモを一つ買ったら終わりだ。
 でも、多分これが、この男の子の精一杯なんだ。
 自分の村を護る為に、できる精一杯を選んだ結果。

 この男の子は悪じゃない。
 僕とは違う、善い人間。
 お母さんと同じ、綺麗な人間。

「…………ありがとう」
「うん。君、アリア信徒なら、アリアシエルかアルスエルナ王国を目指すと良いよ。どっちもまだ落ち着いてないみたいだけど、バーデル王国よりは、ずっとましだと思うから」

 隣国アルスエルナ。
 お母さんが行こうとしてた、新しい家がある国。
 でも。

「国境を越える許可証は、バーデルの兵士達に破り捨てられた。お母さんは国境を越えようとして殺されたんだ。もう一度関所に近付けば、今度こそ、本当に殺される」

 通すフリで人目につきにくい場所へ連れて行き、犯して殺して、棄てた。
 あの時は状況が呑み込めなかったけど。
 今になってみれば、とても分かりやすい図式だった。

「……大人がやりそうなことだ。大人はいつだって、やり方が汚い」

 僕も汚い。
 僕も、あの兵士達と同じだから。
 他人から奪うだけの、汚くて醜い罪人。

「君、まだ十歳くらい?」
「数えてないし、正確には分からない。お母さんが死んでから、数えるのをやめたんだ。お母さんが殺された時は四歳だった」

 男の子の顔が露骨に歪んだ。
 それから、何故かぎゅうっと強く抱きしめられる。

 ……汚いよ? 臭いし。
 綺麗な人間が、僕みたいなのに触っちゃダメだよ。

「ごめん……。何もできなくて、ごめんね……」

 綺麗な人間は、流す涙も綺麗なんだな。
 ……良いなあ……

「そいつから離れろ、テオ!」

 ぎくっと体が竦む。
 さっき食べ物を奪った畑の持ち主だ。
 月光に浮かぶ顔が、並々ならぬ怒りで染まってる。

「待って、おじさんっ……」
「黙れテオ! この、薄汚い盗人が!! 死ねえ!!」
「おじさん!!」

 テオと呼ばれた男の子が引き剥がされて。
 振りかぶられた農耕具の先が、僕の頭に襲いかかる。
 使い古されてて、とても鋭いとは表現できない状態だけど。
 それでも、金物には違いない。
 頭くらいは簡単に割れるんじゃないかな。
 それはもう……仕方ないの、かなあ……。

「やめ……っ」

 痛みに耐えようと目蓋を固く閉じた瞬間、ザクッ って嫌な音がした。
 でも、痛くない。
 なんで?

「……あ……」

 開いた視界を、驚いてるテオの顔が埋め尽くした。
 引き剥がされた筈のテオが、僕の体を、抱えて……

「……ごめん、……ね……」

 ずるっと滑り落ちたテオの背中に。
 男が振り下ろした農耕具の先端が刺さってる。

「……テオ……? テオぉお!?」

 男が動揺して……
 僕は……

「き……っさまぁあぁぁあ────っっ!!」

 呆然とする僕は、逆上した男に殴られた。蹴られた。
 体中をぼこぼこに殴られ、左腕をありえない方向に曲げられ。
 男の怒声を聞きつけた他の村人が集まってくるまで。
 それは、延々と続いた。



 ずるずると足を引きずって、荒れた大地を一人で歩く。
 ふと見上げると、真っ黒な空の色が紫を帯びた黒へ、微妙に変化してた。
 もうすぐ夜明けが来る。

「…………」

 テオは……死んだのだろうか。
 僕を庇って、死んだ?
 お母さんと同じように、殺された?

 ……違う。

 僕が、殺した。
 僕が汚いから。
 汚い僕に触っちゃったから、綺麗なテオが死んだ。

「……ぁ……」

 僕のせいだ。
 僕が生きてるから悪い。
 (ぼく)が、(テオ)を殺した。
 僕が、お母さんとテオを、殺した。

「……あ、あぁあ……」

 痛い。
 体中が痛い。
 胸が痛い。
 心が痛い。

 …………心?
 そんなもの、僕にあったのか?
 無かったから、悪なんじゃないのか?
 心無い行為をくり返したせいで、テオが、善が死んだんじゃないのか!!

「う……あ……あぁあぁああぁぁああああ!!」

 お母さん……テオ……ごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!

 僕が殺した。
 僕が二人を殺した。
 それでも、殴られた体を痛いと思ってる。
 今も生きてる。
 僕は、悪は、生き続けてる。
 二人よりも先に死ぬべきだった僕が。
 こんなに罪を重ねてもまだ生きていたいと。
 どこかを目指して歩いてる。

「ごめんなさいっ……ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 テオがくれた銅貨三枚を握りしめて。
 聞こえない相手に赦しを乞い、叫ぶ。
 答えてくれないと解っているのに。
 どんなに願ったって、赦されない罪を犯してしまったのに。

「僕は……、人間は……どこまで……っ!」

 アリア様。
 答えてください、アリア様。

 僕は汚いです。
 綺麗なものを奪って壊して殺して、それでもまだ足りないと歩いてる。
 赦しを求めて生き続けてる。

 これが本当に罪だと言うのなら、何故……!!
 何故、僕を真っ先に殺してくれなかったんですか!
 お母さんでも、テオでもなく!
 兵士達や僕を罰してくれていれば、二人は救われていたのに!!
 何故、この世界の悪を放置するのですか、アリア様!!

「……ぼく、は……」

 白い光が地平線に昇る。
 暁の空を染め変えて、僕を照らす。
 いっそ、この光に焼かれて燃え尽きてしまえたら良いのに。
 僕の影は諦め悪く地面に形を持って、光から逃げるように伸びていく。

 ……僕という存在は……どこまで醜いのだろう……。

 
「レスター」


「…………?」

 いつから居たのか。
 声がするほうに顔を向けると。
 馬車を背後に控えさせた、真っ白な服の老人と目が合った。

「やっと見つけたよ、レスター。遅くなって、すまなかった」

 『レスター』?
 ……ああ、僕の名前か。
 もう自分も誰も呼ばないから、忘れかけてた。

「誰?」
「私はハーネス。アリア信仰アルスエルナ教会の大司教を務めている者で、君達母子(おやこ)の後見人……だった。レイラは、助けられなかったが……せめて、君だけでも見つけられて、良かった……」

 良かった?
 何が()()()()

「僕は、処刑されるの?」
「いいや? 君は私が保護する」
「保護? どうして?」
「私が、君の新しい家だから」

 新しい家。
 お母さんが行こうとしてた場所。
 国境を越えた、お父さんの故郷。

「何故? 僕はお母さんとテオを殺した罪人だ。殺されるんならともかく、家があって良い人間じゃない」

 ハーネス大司教は、少し驚いた顔をして……そうかと頷いた。

「罪は償わないといけないね。おいで、レスター。君の罪は私が裁こう」

 目の前にスッと差し出された老人の手を、じぃっと見る。
 たくさんのシワを刻んだ、細くて白い手。
 この手を取れば、僕は死ぬんだろうか。
 裁くって言うんだから、きっとそうだ。
 この人も綺麗な人間なんだろうけど……
 神様に仕えている人なら、僕が触っても死なない、よね?

「まずは、君のあり方を変えてしまおうか。そうだね……」

 重ねた僕の手を自身の額に当てて、大司教はふわりと柔らかく微笑む。

「新しい名前をあげよう。鎖に架けるという意味を持つ、罪人に相応しい、戒めの名前だよ」

 罪人の『レスター』は死んだ。
 代わりに、新しい役目を与えられた僕は……

 ……私、は……


 
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