つぶやき

こばやかわひであき
 
めりぃ……


 白雪が舞い散る城壁の上。たった一人で立ちすくんでいる男が一人。
 真っ黒な様相は白に彩られたその場にこの上なく映えていた。
 だから、彼女にとっては見つけるのは容易く、おしゃれ好きな友達に選んでもらった可愛らしい冬服のままとてとてと駆けて近づく。

「寒くなってきたなぁ……」

 彼女が近づいて来たと分かっていながら、そちらを見ることなく呟いた。

「“ぱぁてぃ”が始まっちゃいますっ。皆さんが待ってましゅよ」

 城から此処までは結構な距離があった。それでも、きっと此処にいると思ったから彼女は迎えに来たのだ。
 寒さから鼻を朱色に染めて、得意ではない走りで息を切らして。

 そんなことは彼とて分かっていた。彼女は――雛里はきっと自分を追い掛けてくると、彼は分かっていた。でも、どうしても此処に来たかったのだ。

「……なぁ、雛里。今日は何の日か知ってるか?」
「急に“ぱぁてぃ”をしたいとおしゃったので特別な日だとは思いましたが……」
「まあ、知らなくて当然か」
「……知りたい、です」

 きゅっと袖を握る。見上げた瞳は涙で滲んでいた。彼の全てを知りたいなんていうのはきっと傲慢に過ぎる。けれども求めずにはいられない。
 そんな目で見つめられては、さすがの彼も感慨にふけっている事も出来なくなる。
 袖を握った手を取って、毛糸の手袋越しの温もりを感じた。優しく物見台に誘えば、二人できゅむきゅむと雪を踏みしめる音が鳴った。
 辿り着いた其処で、彼は椅子に腰を下ろす。雛里はごく自然な動きで彼の膝の上に陣取った。
 腕を回した。小さな背中は力を入れれば壊れてしまいそう。優しく優しく、彼は彼女を包み込む。

「……今日はな、クリスマスってんだ」
「くりすます?」
「ああ、遥か遠くの国で神の子が降誕した。その日を祝う為の日なんだよ」
「か、神様の子、でしゅかっ」

 驚きをそのままに見上げてくる雛里に優しく微笑んで、秋斗は小さく苦笑を零す。

「今から二百年くらい前、マリアという人物が神様から啓示を受けて腹に子を宿した。夫も居なかったマリアに子供など出来るはずも無かったのに」

 あんぐりと口を開ける雛里は言葉を紡ぐことさえ出来なかった。

「詳細は知らない。でも、羅馬では有名な話だよ。其処からキリスト教という宗教が生まれたわけだが、クリスマスってのはキリスト教徒にとっては特別な日ってこった」
「秋斗さんは……その“きりすと”教徒なんでしゅか?」

 当然、そんなことを知っているからには信心を持っているのだと思った。しかし、彼は首を小さく振る。

「いんや? 俺は違う。仏教だけど自分の家の宗教の詳細さえ知らない罰当たりさ」
「仏教?」
「色んな宗派がある。まあ、この話は置いておこう」

 ポンポンと優しく頭を叩いて、彼はまた雛里を抱きすくめた。

「ただ、俺の生まれた国は宗教の自由があって、クリスマスだって祝っちまうような国だった。
 家族で過ごしたり、恋人と過ごしたり、一人ぼっちで寂しく過ごしたり……それでもやっぱりクリスマスを特別だって思っちまう。
 だから今日は、皆でパーティをしようと思ったんだ」

 なるほど、と雛里は頷く。
 イベントが大好きな彼が、そんな日を特別にしないわけがない。夏祭り然り、体育祭然り、ハロウィン然り、雛祭り然り……今までもいろいろな事をしてきた。
 だが、どうして今になって言うのかと疑問もわく。

「去年にしようかとも思ったけど……やっぱり年末って忙しいし。去年はまだ仕事が山のように残ってたから」
「そういえばそうでした」
「まあ……本当はさ」

 少しだけ込められた腕の力。幸せな気持ちが胸に湧く。いつも抱きしめられているけれど、雛里は未だに身体が火照ってしまう。

「城壁の上でこうして、皆に伝えたい言葉があっただけだったりする」

 寂寥が響く。もう居ない者達を想う彼は、失われた人々も含む。
 乱世と平穏のハザマのようなこの場所は、彼にとってどこよりも特別な場所だから。

「……私も、いいですか?」
「うん、そうだな……二人で言おう」

 耳元でその言葉を教えた。
 不思議な言葉の羅列の意味は分からない。後で教えて貰おうと思いながら、彼と同時に雛里は息を吸い込んだ。

 もう居ない誰かの為に、今も生きている誰かの為に。
 二人で祝詞を世界に届ける。

「「メリークリスマス」」

 白い白い雪が降り注ぐ夜のこと。










 この年末の忙しい時にパーティをしたいというから人を集めたというのに、発案者が居ないとなっては示しがつかない。
 どうせ雛里と二人で過ごしているのだろう事は分かっているけれど。

 聞いた話だ。
 目的を聞かなければ許可などしない。当然のことだ。だから、今日が何の日かは知っている。
 “くりすます”、神の子の降誕を祝う異国の催し。わざわざ祝ってやる義理など無いが、あいつも楽しめばそれでいいんだと言っていたから許可した。

 イライラする。本当に、あいつは、なんでいっつも――――

 大体の行く先など決まっている。城壁の上か、店長の店か、街の公園か、きっとその辺り。
 今日は……多分城壁の上。
 そういった祝い事をするのなら、自分達だけでは満足できない大バカ者は、城壁の上で乱世を思う。別にそれは問題ない。

 雛里が来ると思っているなら皆で行こうかとも思った。
 でも止めた。家族で過ごす日なんだから、此処に戻ってくるはず。また私が待たされる側なのは癪だが、一家の大黒柱たるもの腰を据えていることも必要だ。
 ただ待つだけなんてまっぴら。仕返しは盛大にしてやらないと。

 そう、せっかくなのだ。
 今日は……店長にさえ教えていない催し。私達が主催するからと、店長は来ていない。
 あいつから聞いた料理を流琉として、あいつから聞いた飾り付けを真桜として、あいつから聞いた歌を天和達と練習して……あいつから聞いた“げぇむ”の為に“ぷれぜんと”も準備した。

 此処までさせて置いて……なんなの?
 私をここまでコケにしたのはあいつくらいだ。本当に……絶対、絶対に許さない。

「ねぇ、月? 私達はいつまで待てばいいのかしらね」
「なんで雛里ちゃんとだけなんでしょうね?」

 隣に問いかけてみるも正しい返答は無かった。返ってきたのは柔らかい微笑み……ではあっても恐ろしい笑み。
 渦を巻く赤紫の瞳に冷気を携えて、可愛い私の妹も怒りを溜めこんでいるようだ。

 戯れに教えてあげたせいだろう。くりすますは家族と過ごす日がほとんどの認識だが、恋人と二人きりで過ごす特別な日でもある、と。
 初めてのくりすますを雛里と過ごす、きっとそれはいいことなのでしょう。
 だが、私達には許されない行為だ。

 何せ、あのバカには前科がある。
 雛祭りの日に、あいつはあろうことか雛里と二人きり!で過ごしたのだ。二人きりで!
 楽しい催しを教えずに、二人きりで!

 ああ、今思い出しても腹が立つ。
 答えを出さないままで逃げてばかり。それでいて見せつけられるこっちは堪ったモノではない。

 風はこの前、勝手に一緒に寝たと言っていた。朝に風から手を出して籠絡しようとする前に誤魔化されたらしいが。
 詠はこの前、二人きりの“でぇと”をしてきた。それも遠征にかこつけて二週間も。肝心の所で言葉が紡げずに保留となったらしいが。
 朔夜はこの前、服を脱いで寝台に潜り込んでいたと聞く。布団ごと丸められて風と稟の相部屋に届けられたのは少し可哀そうに思う。
 他の子もいろいろある。でも、やはりあいつは雛里とだけしかそういった関係にはなっていない。

 これだけの華を前にして、あいつは……っ

 イライラする。本当に、本当にいらつく。
 雛里には悪いけれど、これだけは譲れない。

 そうこう思考に潜っている内に、廊下に二つの足音が聴こえてきた。
 やっと帰ってきた。皆も嬉しいようで、一様に笑みを浮かべている。

 ほら、春蘭なんかすごくかわいいじゃない。いいのよ、今は大剣に戻っても。
 秋蘭もいいわね。やっぱりあなたには弓が良く似合うわ。
 霞、今は“すてい”よ。例えあなたであろうと、神速を使うことは許さないわ。一番槍は……分かってるわね?
 風に稟、扉の前に仕掛けられた桂花の罠を取っておきなさい。何? 口答えするの? 可愛い桂花? あなたは私の王佐よね? だったら大人しく“すてい”よ。
 朔夜、詠。あざとい服を準備してるのは分かってるわよ。一番槍が終わってからね。
 真桜、沙和……凪が脚に溜めた氣をどうにかしなさい。さすがに部屋が壊れるのは看過出来ない。螺旋槍と双剣は許す。
 明? 鎌は止めなさい。私と被るから。そう、それでいいの。鉤爪で十分。
 流琉と季衣は見てなさい。あなた達にはまだ早い。これはね……遊びじゃないのよ。ええ、気が利くわね。料理は端にやって布をかぶせて置いて頂戴。せっかく作った料理は冷めてしまったけれど、ちゃんと残さず食べるから。

 さあ、月。弓を構えて。そう、偉いわ。

 ほら、はやく扉を開けなさい。
 一番に言う言葉は決まってるから。
 確かに雛里に秋斗の呼び出しを命じたのは私で、それを許したのも皆だけれど……もう日没を過ぎてるのよ。
 約束の時間から一時間も待たせるなんていい度胸じゃない。

 遅刻の言い訳は聞かないわ。弁解なんてもってのほか。あなたは私達を待たせた。だから……償いなさい。

 ゆっくり、ゆっくりと扉が開かれる。
 聡いあなたは、やっぱり……雛里を廊下に隠して、そうやって、一人で私達を笑うのよね。
 手に持った長剣が白く輝いていた。待たせたらどうなるか分かっていてわざと、と言っているようなものだ。
 楽しそうに笑うあいつは……秋斗は、私と真っ直ぐに目を合わせてにやりと不敵に変わった。

「すまんな、遅くなっちまった」
「最後の言葉はそれでいいかしら?」
「ああ、いいぞ。待たせたのは俺が悪い。雛里は悪くない。ってことで……掛かって来いや」

 あなたのそういう所がむかつく。
 なんでいっつも、いつだって、雛里ばっかり。

「……一時間ぶんの罪は重いわよ。せっかくの料理が冷たくなったわ」
「料理して貰ったのに悪かった」
「飾り付けだってちゃんとしたのに」
「暗くなっちまって悪かった」
「ぷれぜんとだって準備してる」
「楽しみにしてくれたのに、悪かった」

 むかつく、むかつく、むかつく、むかつくっ
 秋斗のくせに、秋斗のくせに、秋斗のくせに、秋斗のくせにっ

 そんな目で、私を見るんじゃないわよ。

「……次は無い。許したわけでもない。“正月”は必ずこの分を取り繕って貰うから、覚悟しておきなさい」
「ありがと」

 甘くなった。私は随分と甘くなった。

 いいわよ。今日はめでたい日なんでしょう?
 大目に見てあげる。
 どうせあなたは、雛里という恋人と過ごすことよりも、他のことに時間を使ったはずだから。
 途中でひょっこりと顔を出した雛里の鼻が赤いのは、ずっと外に居たからでしょうに。

 そのかわり本当に……正月は覚えておきなさい。

 ああ、悪いわね、皆。
 武器を下げてもいいわよ。付き合わせて悪かったわね。









 でも、拳は下げないでいいわ。

 確かに私達は今、怒ってるのだから、甘んじて受けなさい……秋斗。

 いいわね……その顔。
 殴られることくらい予測済みでしょう?
 一番槍は私よ。次は月、その次は詠……当然、皆一回ずつだから。

「動くな、秋斗。これは命令よ」

 ほら、伝えてあげるわ。ちゃんと聞こえるように、ね。

 耳元に寄せた唇から、いつまで経っても思い通りにならない大バカ者に、今日の為の言の葉を囁いた。

「めりぃくりすます」