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第三章
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は右手にコーヒーを持ってそれを飲みながら応えた。代用コーヒーとは全く違う独特の苦味と旨味が口の中を支配していく。その甘みまでも感じながら。
「あの門が開くことはないし」
「うん」
 ブランデンブルグ門だ。かつてはベルリンの栄光の象徴であったが今では忌まわしい分断の象徴となっている。この門が開かれることは二度とないと言われていた。
「これ以上何を言ってもはじまらないわ。止めましょう」
「そうだね。じゃあまた来月だね」
「ええ、来月ね」
 時間が来た。二人は別れることにした。
「いつもの場所でね」
「今度はもっと時間があればいいけれど」
「何とか作ってみるわ」
 エヴァゼリンはヴォルフガングの言葉にこう応えた。
「もっとね。お話したいし」
「うん、僕もね。だから」
「わかったわ」
 そんな話を最後にして別れた。それから何度も会い二人の交際は続いた。その中で歴史は少しずつ動いてはいた。だが二人はそれには気付かない。そして二人の関係はその歴史よりさらに進んでいたのであった。
「これさ」
 就職したヴォルフガングはいつもの喫茶店でエヴァゼリンに何かを差し出した。それは青紫の小さな箱に入っていた。
「それってまさか」
「そのまさかだよ」
 いつものおちゃらけた様子はない。真剣な顔であった。
「受け取ってくれるかな」
「そうしたいわ」
 だがエヴァゼリンは動かない。強張った顔で述べるだけであった。
「けれどそれは」
「駄目なのかな」
「壁があるから」
 それが彼女の返答であった。
「だから」
「受け取れないんだ、やっぱり」
「御免なさい」
 泣きはしなかった。だが俯いたその顔は沈痛なものであった。声もまたそうなっていた。
「私には。どうしても」
「こっち側には駆け込まないの?」
 亡命である。実際に東から西に亡命する人間は後を絶たなかった。自由と豊かさを求めてである。そもそも壁にしろそうした流れを防ぐ為のものだったのだ。エヴァゼリンは特別に仕事上の関係でこちら側を行き来しているだけなのである。しかもそれには誰にも言えない秘密があった。
「私の家族がね」
「そっちの秘密警察にか」
「そういうことなの。だから」
 彼等の知らないいつに人質にされているというのだ。全体主義国家ではよくあることだ。
「そちらには行けないわ」
「壁がなかったら皆に行けるんだよね」
「それはね」
 こくりと頷いて小さい声で答える。確かに壁がなければそれも不可能ではない。彼女もそれはわかっている。だがそれと共に壁があるのもわかっているのだ。
「けれど。どうしてもそれは」
「全部、それもこれも」
 ヴォルフガングは忌々しげに言った。彼もわかっていたのだ。壁のことが。
「あの壁のせいで」
「言っても仕方ないわ」

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