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気配りの人
第二章
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「まだね」
「そうですか」
「そう、けれど飲んではいたよ」
 そうした遊びはしていたというのだ。
「スタッフとね」
「裏方の人達とですか」
「そうだよ、それでだけれど」
 小野田さんは烏賊の姿焼きを日本酒と一緒に楽しみながら僕に話していく。
「その雷蔵さんの行きつけだった店にね」
「行かれたこともあったんですか」
「京都にいた時はね」
 つまり小野田さんの若き日のことだ。
「そうしていたよ」
「まだ市川雷蔵が生きていた頃ですか?」
「いや、もうね」
「もう死んでいましたか」
「わしがあの人に会って声をかけてもらったのは子供の頃だよ」
 市川雷蔵がこの世を去ったのは昭和四十四年のことだ、もう半世紀近く昔のことだ。小野田さんは六十近いのでそうした頃になる。
「大人になった頃にはもう」
「癌でしたね」
「惜しかったよ、けれどね」
「それでもですか」
「その行きつけの店に行ってね」
 そしてだったというのだ。
「色々話を聞いたよ」
「それでなのですか」
「市川雷蔵は確かに素顔は真面目だったよ」
 このことがまた語られる、とかく市川雷蔵という人は映像の中では見事な見栄えで目立った。しかしその素顔は本当に誰かわかrないまでだったのだ。
 しかしだ、それでもだったというのだ。
「けれど真面目に加えて」
「気配りもですか」
「それもあった人だったんだよ」
「じゃあ本当にいい人だったんですね」
「勝新もいい人だったよ」
 その市川雷蔵とは正反対に今はもう殆ど見られなくなった豪快でありかつ気配りが出来る人も善人ではあったというのだ。
「どうかという行動も多かったにしても」
「悪い話は聞かないですね」
「だから今でも親しまれていてね」
「そうですよね」
「けれど市川雷蔵も」
 真面目だったその人もだったというのだ。
「スタッフ達に気配りをして自分の家に呼んでもてなしたりしたり飲みに行ってね」
「そうした気配りですね」
「勝新の気配りはサービスだったんだよ」
 役者、まさに根っからの役者人間としてのだ。
「市川雷蔵はもてなしかな」
「そっちでしたか、あの人は」
「どっちがいいとかはないにしても」
「二人の気配りはそれぞれ違いますね」
「そうだね、市川雷蔵は素顔が真面目だったからね」
「勝新はもう生粋の豪快さんで」
 それがサービスともてなしの違いになっていたのだろうか、僕は小野田さんの話を聞きながらそんなことを考えた。
「違っていたんですね」
「みたいだね、けれどね」
「それでもですね」
「そうした気配りもあるってことだね」
「そうなりますね」
 僕は小野田さんにこう返した。
「人それぞれで」
「雷蔵は雷蔵、勝新は勝新でね」
「気配りのタイプがありますね」
「本
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