鼠の奇跡
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であった。思えばここは彼が帰って来た時もそうであった。ならばこんなことは最初からわかっていた筈であった。迂闊といえば迂闊であった。
辺りを見回す。とてもわかりそうにない。こんなので見つけることができるのだろうかと思った。しかしそう思った丁度その時であった。
「あの」
彼に声をかける女の人の声があった。
「はい?」
それに応えて声の方に顔を向ける。その時であった。
「あんた」
「御前」
そこに彼女がいた。死んだと思っていた彼女がそこに立っていたのである。髪は白いものが混じり、肌も荒れていたが彼女に間違いなかった。黒くて大きな目と赤く小さい口が何よりの証拠であった。そして彼女の手にはもう一人の手が握られていた。
「どうしてここに」
「御前こそ」
それはこっちが聞きたいことであった。梶原にとっては。だが妻にとってみればこっちが聞きたいことであっただろう。
「死んだんじゃなかったのか」
「いえ」
妻はその問いに対して首を横に振った。
「まさか。疎開してたのよ」
「何処にだ」
「千葉の田舎の方にね。あたしの実家に」
「そうだったのか」
彼の妻は東京生まれではない。千葉の田舎の方に生まれている。実家はそこで百姓をしているのである。そして彼女は東京に出稼ぎに来ていたのだ。そこで梶原と出会い結婚した。恋愛結婚であり梶原はこれはハイカラだといささか時代遅れな言葉を使って自慢していたのだ。
「あの空襲のちょっと前にね。運がよかったわ」
「それじゃああの話は間違いだったのか」
「あの話って?」
「あ、いや」
彼はそれを誤魔化しにかかった。
「何でもねえ。気にしないでくれ」
「そう。ところで家は」
「ねえよ」
彼はそう答えた。
「空襲でな。燃えちまった。今はバラックだよ」
「そうなの。けれど家があるだけまだいいわね」
「あるだけって。ここに住むつもりかよ」
「そうだけど。何か悪い?」
「悪いってな」
それを聞いて困った顔を作った。
「狭い家だぞ。クソ暑いしな。それでもいいのか」
「あたしは別に構わないわよ」
それに対してそう答えた。
「一緒に暮らせるんだから。そうは思わないの?」
「そりゃ」
そう言われて逆に口ごもってしまった。
「俺だって一緒に暮らしたいさ」
だからこそわざわざここまで来たのである。その気持ちに偽りはなかった。
「けれどな」
「何かあるの?」
「何もねえよ。ただな、本当にバラックでもいいのか。ガキは大丈夫なのかよ」
「心配しないで」
妻はそれにはにこやかに笑って答えた。
「あたしとあんたの子供だよ。しっかりしてるよ」
「いや、俺はしっかりなん
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