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喫茶店
第二章
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第二章

「金平糖はそこに置いてね」
「はい、お母様」
 北条は娘に自分と妻をお父様、お母様と呼ばせていた。軍人の娘として折り目正しい躾をしてきたつもりである。
 だがもう今は彼は軍人ではない。軍もなくなろうとしているし自身もこうして喫茶店の親父になっている。思えば実に流転の生き様であった。
「それで紙をここに貼って」
 弱い糊で木箱にコーヒーや蜜柑水の値段を貼る。お世辞にも高くはない。
「これでいいわね」
「もう終わりなのか」
 北条は店の用意が終わったと聞いて妻に問うた。
「ええ、そうですよ」
 千賀子はそれに応えて明るい声を彼に返してきた。
「これで全部整いましたよ」
「もうなのか」
「だって。あまり何もありませんから」
 妻は少し残念そうな声でそう述べた。
「これだけ揃えるのだって一苦労だったでしょう?」
「まあな」
 集めたのは夫である彼である。コーヒーなぞは進駐軍のゴミ箱からくすねてきたものだ。この時進駐軍の残飯は人気があった。残飯シチューというものも売られていた。中には煙草の吸殻等もあり食べるのはかなりの賭けであったが何もない時代食べられるだけでもましだったのだ。
「金平糖もな」
「全然甘くないでしょうけれど」
「けれど蜜柑があるよ」
 二人の横で文子が言った。
「これで蜜柑水を作って売るんだよね」
「ええ、そうよ」
 千賀子は娘にそう答えた。
「その時は貴女も手伝ってね」
「うん」
「そしてあなたも」
「わしもか」
 妻に話を振られて戸惑った顔をする。
「だって今のあなたはこのお店のマスターですよ」
「そうだったのか」
 てっきり妻が全部仕切っているとばかり思っていた。彼にとっては寝耳に水の言葉であった。
「ですから。お願いしますね」
「料理も何も出来んぞ」
「そこはまた慣れですよ」
「ううむ」
 妻の言葉に腕を組み難しい顔をする。実際士官学校に入る前の子供時代、中学時代からそうしたことはしたことがなかった。出されたものを黙々と食べるだけであった。男子厨房に入らずと言われた時代である。彼もまた包丁一つ握ったことはないのだ。
「あなたはコーヒーをお願いしますね」
「コーヒーをか」
「はい。豆を煎じてお湯を入れて」
「それでいいのだな」
「細かいことは私が教えますから」
「わかった。では頼む」
 こうして彼は生まれてはじめてコーヒーを入れ、それを人に振舞うこととなったのであった。妻に側で教えられながら何とか入れたコーヒーを客に差し出す。ドン、とした動作であった。
「飲むがいい」
「違いますよ、あなた」
 すぐに妻が注意してきた。
「入れ方が悪いのか?」
「出し方ですよ」
「出し方とな」
 言われても何のことかわからない。難しい顔になった。

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