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高音
第一章
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第一章

                         高音
 男の高い声、これを声楽ではテノールと呼ぶ。
 クラシック、とりわけ歌劇においてはソプラノ、女の高音と並ぶ花形だ。従って一流のテノールとなるとあちこちの劇場で引っ張りだことなる。
 これはこの彼も同じだった。その彼とは。
 フランコ=コレッリという。端整なマスクに引き締まった長身、とりわけ脚のラインがいい。映画俳優さながらの外見にさらにだった。
 歌手としての力量もあった。荒削りな歌い方だがそれでもだ。
 その見事な高音でだ。彼は歌手としての地位を築いたと言ってもよかった。しかしだ。
「不安だ」
 彼は一人になるとよくこう漏らしていた。
「この高音が何時までも出るのだろうか」
「おいおい、何を言ってるんだ」
「そんなの大丈夫だよ」
「君の喉は強いじゃないか」
「そんなの気にしなくてもだよ」
「全然平気だよ」
 周りはそんな彼をこう言って宥める。少なくとも声の質や歌い方から見てだ。コレッリの喉は丈夫な方だった。それに身体の方もだ。
「水泳もボートもボクシングもしてたから」
「丈夫じゃないか」
「スポーツで身体もできているんだ」
「何の心配もないよ」
「いや、明日のことは誰にもわからない」
 そう言われてもだ。コレッリの憂いは消えなかった。
 その憂いのままだ。彼は言うのだった。
「明日この声が出るかどうか」
「どうしてもかい」
「不安なんだね」
「不安で仕方ない」
 実際にそうだと答えるのだった。
「自分の声を録音していても悪いようにしか聞こえない」
「神経質だね、それはまた」
「気にし過ぎだよ」
「それなら」
 どうするべきか。周りのうちの一人が言った。
「飲むかい?ワインでも」
「いいな、じゃあワイン飲むか」
「そうするか」
 周りもこう言ってコレッリにワインでストレスを解消するよう勧めた。コレッリも彼等もイタリア人だ。ワインが嫌いな筈がなかった。
 そしてだ。さらにだった。彼等はこれも話に出した。
「パスタも作るか」
「いいな、オリーブとガーリックをたっぷりと効かしてな」
「トマトもチーズもふんだんに使って」
「そうするか」
「パスタだけでいい」
 だが、だった。コレッリは肝心なものを断るのだった。
「それだけでいい」
「おいおい、ワインはいいのかい」
「それはかい」
「酒は身体によくない」
 それでだ。いいというのだ。顔は沈んだままだ。
「だからいい」
「身体の調子が悪いと歌えなくなる」
「だからだっていうんだね」
「そう。だからワインはいい」
 また断りの言葉を言った。
「パスタだけでいい」
「パスタもいいけれどな」
「やっぱりワインじゃないと駄目だろ」
「そうだよな
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