瀬戸際タイムマシーン
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苦痛』とは何も生み出さないということだよ。大抵の苦痛はそれから開放されることでの安堵や、一種の快楽を伴っている。苦痛の後には幸せがあるということもいわれる。ひたすら鉛のように思い悩んだかと思えば、次の瞬間三歩進める手を思いつくともある。だがしかし、この『純粋な苦痛』は、ただ苦痛として訪れ、苦痛として去っていく。後姿も見えない。いったい何が苦痛の種かさえ教えてくれないんだ。何も生み出さないとは、思い出や経験にもならず何の導きももたらさないということだ。どうかね君の存在がその類のものだったとしたら」
白髪の男は魔法をかけたのだ。若い男に曖昧な恐怖が広がる。側頭葉から前頭葉、眉間に電気が走る。答えは見つからない。
「俺の存在自体が苦痛?」
この男のすむ街は古い港町で、観光客が多い。日ごろすれ違う顔なじみの人々は彼を既知のものとして対応する。「相変わらずだね」と声をかける。「調子はどうだい?」とかけ返す。「まあまあだよ」とお互い笑いあう。しかし週末の観光客は彼を一瞥するとその心に重い鉛を抱え込む事になる。「まあまあだよ」なんて言って笑いあわない。ましてや彼の下半身事情なんて知らない。ただ通り過ぎるだけだ。鉛は胸に柔らかく広がり、または前頭葉を重くし、思考回路を奪い取った。そんなわけで観光客はふさぎこんだ顔で彼とすれ違う事になるのだ。彼らは思う。この重みはなんなのだと。そして通り過ぎた若い男のことを思い出す。彼はそれなりのハンサムなのだ。そのハンサムぶりは旅行を楽しむような彼らには決して手に入れることの出来ないタイプのものなのだ。強いて言うならその土地に永く住む、遠い平和を見つめるテロリストの匂い。それが鉛のように張り付いているのだ。彼らの心の中に残る鉛の記憶と若い男のイメージは互いに寄り添っている。鉛の記憶と若い男のイメージが次第に同価値になってゆく。それは無意識に、ゆっくり進み、時間が経つに連れてあたり前の連想のように明確になる。
すれ違った人々の中での「男のイメージ=鉛」 が男に張り付き続ける。
そして若い男の身長は五センチ縮んだ。
外の世界は五センチ縮んだ男を見て、彼の五センチ分の存在感の欠如に見合った変わり方をする。心が晴れたり、曇ったり、乱痴気騒ぎがあったりする。周りのものは皆、言葉を押し殺してマスターベーションしているのだ。誰にも言えない。
でも本当は彼が五センチ縮んだ事などもうどうでもいい。彼にはキレイな奥さんが出来たのだ。彼が五センチ縮んだあとに知り合い結婚をした。彼より少し背の高い目のきつい女だった。たちどころに風が吹いて、皆の興味が彼の五センチの欠如から奥さんの見えない欠如に移っていった。
そして彼はまだ自分が五センチ縮んだ事に気づいていない。彼はあまり勘がよくないのだ。
BGMとして
新潟
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