防衛の要
13試陸上戦闘機『天雷』、試製双襲『屠龍』
[1/3]
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
昭和13(1938)年、史実では中島飛行機へ試作を指示された十三試双発陸上戦闘機。
重爆撃機に同行する援護戦闘機として計画、長距離飛行を考慮し複座機となりましたが。
十三試双発陸上戦闘機もまた1936年の教訓に拠り、設計思想に根本的な変化が生じます。
ソ連空軍の防弾性能が高い重爆撃機を迎撃、爆撃を阻止する局地戦闘機が必要と認識。
長距離援護機を意図した試作指示は撤回され、重爆撃機を退治する短距離型の高速機を要望。
冬の戦争で実績を挙げた北の鷹、フォッケウルフfw187に倣い双発単座戦闘機の仕様へ変更。
十三試双発陸上戦闘機は進攻用の長距離援護機から、防空用の短距離邀撃機へ。
対重爆用の駆逐機、一撃離脱戦法に徹する双発単座機へ変貌。
陸軍は1936年の衝撃を深刻に受け止め海軍に先行、1937年に川崎へ試作指示を出していましたが。
海軍機の開発実績が無い為に陸軍を説き伏せ、愛知が設計を担当する事となりました。
前述の通り1936年の衝撃に拠り、会社の垣根を超えた技術協力が実現しています。
愛知は十三試艦上爆撃機と同時開発の為、土井武夫技師を中心とする川崎の設計陣へ協力を要請。
初の海軍向け戦闘機となる十三試双発局地戦闘機の開発に、川崎は全社一丸となって取り組みました。
これまで川崎に発注経験の無い海軍も同社の熱意を高く評価、愛知飛行機と共同開発の形式へ変更。
土井武夫技師と三菱の堀越二郎技師は大学の同期生、個人的にも親しい間柄です。
競合相手の同業他社、商売敵に就職しますが互いの設計経験や発案を熱く語り合う仲でした。
親友同士の2人は自分と異なる意見を頭から排斥せず、尊重し冷静に助言する見識を備えていました。
艦上機に特有の製造仕様が三菱と愛知から、初めて海軍機を担当する川崎へ伝えられる事になりました。
川崎飛行機と関係の深いドルニエ社を通じ、数々の具体的な助言が土井武夫技師へと届けられました。
フォッケウルフ社のfw187開発担当者、クルト・タンク博士も率直な意見と苦心談を開陳し激励。
愛知飛行機と関係の深いハインケル社の飛行機設計者達も、様々な助言を贈呈。
ドイツ2社の好意と国内各社の技術協力に拠り、日本初の双発単座戦闘機は順調に開発が進行。
fw187に類似の試作機は複列14気筒の三菱A8金星、空冷星型の発動機2基を装備し1939年1月に完成。
ソ連空軍の誇る重爆撃機と直接対決を強いられる陸軍は、制式採用を待たず既に大量発注を実施。
十三試双発陸上戦闘機は左右の主翼に発動機を装備する為、機首へ大
[8]前話 前書き [1]次 最後 [2]次話
※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりを挿む
[7]小説案内ページ
[0]目次に戻る
TOPに戻る
暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ
2024 肥前のポチ