「ボクサー だいたいみんなノーモーション」(1)
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冗談の上手い男。本気で思えば変態だ。その心のあり様に、タノムは、境界線の曖昧になった自分を思う。天からの誘いに、断りきれない魅力があって、自分の身体、精神の溶解を認めざるをえない感じ。何も知らない事は、感受性で分らなければならないとは、厳しい世界だね。
「平打ち生パスタ。肉味噌。温玉のせ」もはや、身体が膨れ上がる事に恐怖などないよね。
タノムはタバコを我慢している。我慢しているその意識の上に、厚い雲が広がる。それをはねのける様に、かわいい女の子が男を連れて入ってくる。嫉妬。分離していたはずの意識が混ざりに混ざる。この場合、雨が降ったと言うのか。
女の子がタノムと同じメニューを頼む。初めての店で頼むものに間違えがないことを可愛く主張するものだから、タノムは緊張する。この場合、俺と同じメニューを頼んだから、もし不味かったら、俺のせいになるのではないか?
パスタの脇に水菜があしらってある。タノムはそれをじっと見つめて、愛そうと試みたが無理だった。別皿のサラダから手をつけた。トマト、モッツアレラチーズ、オリーブの塩漬け。この温玉を崩すと、肉味噌の辛さを調和してくれる。女の子好みのまろやかにしてくれる。この肉味噌は、かなり歯に挟まる。水菜も挟まる。パスタは歯にくっ付く。どうにかしてくれ。
やけにトロ味のある心持から開放されて見上げれば、月がない。疑わしい事だ。タノムは、月がなんどき上がって、なんどき沈むのか、満ち欠けがどのように行われるのかを、まったく想像できなかった。そう、月がないことを疑わしく思ったのではなく、月に関して知らない自分が、不意に何かを疑ったのだ。
太陽のことを知るならば
月に聞けばよい
太陽を直接知るならば
その目は焼けてしまう
月はいつもやさしく
あなたに太陽の心を教えてくれる
いますれ違った女の子
あなたから目を背けた
どういう事かわかるかしら?
「月になりてぇわなぁ」タノムがつぶやくと、「ボクサーはみんな太陽だぜ?」と、誰かがささやいた。
中村ちゃんの「伸び」が止まった。タノムは少しずつ楽になった。日常を取り戻したのだ。伸びているうちは、「何とかしなくちゃ」があるのだが、それが止まると同時に、タノムの心も萎える。「自分ってこんなもん? 俺が教えられるすべてはこんなもん?」という心持と、「ハードパンチャーは良いね」という逃げの気持ち。エネルギーが移動している。情熱がはみ出して燃えていた中村ちゃんから、鈍いながらも自信たっぷりのハードパンチャーへ。
中村ちゃんが窓の外を見ている。ボクシングジムのガラスを開け放って見える景色を、ぼおっと見ている。この景色の大半を占めるコンクリートの灰色に何の感動もなく。ただ、ぼおっと。その姿は、このジムに馴染んでいる。誰も冷やかさない代
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