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無慈悲な時の流れ
第一章
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の三〇〇勝投手と言われた鈴木啓示がいた。彼はそれまでの中継ぎだと思われていた。
「おい、酒は飲むのはいいが程々にしろよ」
 彼は選手達を拘束したりはしなかった。あくまで放任主義だった。だが同時にこうも言った。
「遊び過ぎると俺みたいに二流どまりだぞ」
 それは三原に期待されながらも普通の選手で終わった自分のことを自嘲気味に言ったのである。そして同時にこうも言った。
「わしは自分が出来んとこを他人にやれとは言わん」
 それがマスコミやファンに受けた。この時パリーグ、いやプロ野球は西武ライオンズの黄金時代であった。
 その野球は隙がなかった。攻守走、そして投手陣に至るまで万全の戦力であった。そして監督である広岡達郎、森祇晶の采配は的確でありそこにも隙がなかった。だがそれが人気に繋がるかといえばそうではない。
 よく黄金時代の巨人が人気があったように言われるがそれは間違いである。後期には人気は落ちていた。単に強いだけのチームなぞ面白みがない。そう思う者が少なくなかったのである。
 この時も西武であった。ファンは強いだけで面白みに欠ける西武の野球に飽きだしていたのである。
 そうした中で彼が監督に就任したのである。彼は次々と変わった作戦を展開し勝利を収めてきた。
 ローテーションは西武を中心に組んだ。そして勝ってきた。
 だがこれには反発があった。この年から投手コーチに就任した権藤博である。
 彼はかって中日で押しも押されぬ大エースであった。『権藤、権藤、雨、権藤』というふうに投げ続けた。そしてそのせいで選手生命は短かった。
 その経験から彼は言った。
「投手の肩は消耗品だ」
 と。彼は投手を酷使することを嫌ったのである。そして四球を出しても怒らなかった。そうした独自の育成により近鉄の投手陣を甦らせたのだ。
 だが仰木はそれに不満を持った。彼は彼の考えで勝利を追及していたのだ。
「監督は全ての試合でエースを使いたいものだ」
 彼はよくこう言った。
「そしてそれを止めるのが投手コーチの仕事だ」
 そして淡々とした顔でこう言った。彼は後に横浜ベイスターズの監督になるがその時もこの考えを変えなかった。
 そうした意見対立もあったが彼等は勝利の為に野球をしていた。打線はかって西鉄で暴れ回ったあの中西が打撃コーチに就任した。彼の打撃理論は定評がある。元々定評のあった打線はさらに強くなった。打ちまくる打線に好投する投手陣。チームは昨年最下位だったとは思えない程の快進撃を続けた。
 だがこういう言葉がある。
『好事魔多し』
 近鉄は突如としてこの言葉を味あわされることになる。
 好調の打線の柱は助っ人であるデービスだった。彼は持ち前のパワーで長打を量産していた。
 だが彼は気性の激しい男であった。乱闘事件を起こしたこともあるし
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