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奇策
第八章
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野球をやりたいと思ったことがある。だがそれは残念なことに適うことはなかった。
「人の巡り合わせっちゅうのはわからんもんや」
 その言葉は皮肉であった。彼は野村と別れることになった。
 野村が南海の監督を解任されたのだ。江夏は今度は広島に来た。
「よりによって阪神の敵チームか」
 そう思っていても受け入れた。それがプロの世界だとこの時にはもうわかっていた。
 甲子園のマウンドに敵として立つのは不思議な気持ちだった。だが彼は沈黙したまま阪神に対して投げた。
「これも人生や」
 広島では高橋慶彦、衣笠祥雄、大野豊等と会った。特に衣笠、大野とは馬が合った。ここで初めての日本一も経験した。プロに入ってはじめて味合う美酒であった。
 だがここも彼の安住の地ではなかった。今度は日本ハムであった。
(ここでこの人に巡り合うたんや)
 そして大沢を見た。彼は豪放磊落ながら細かい気配りもできるさばけた男であった。
「わかったな、おめえはよくやってくれたよ。このシーズンを通してな」
「はい」
 彼は決して江夏を攻めなかった。どの選手も責めたりはしなかった。
 それどころかこう言ったのだ。
「どうだ、工藤のピッチングよかっただろうが」
 彼は工藤を褒め称えたのだった。
「よく投げてくれたぜ。痛そうな顔一つせずにな。緩急もよくつけたし、落ち着いたものだった」
「確かによかったですね」
 記者達もそれは認めた。
 大沢の奇策は失敗に終わった。広岡の奇策は成功した。だが大沢は胸を張っていた。
「負けたのは確かに残念だ。俺が至らなかったせいだ。しかしな」
 彼はここでニヤリと笑った。
「話題づくりにはなったな」
「え、ええ」
 記者達は大沢のこの言葉に驚いた。
「プロ野球は何だ」
 と言われれば答えは決まっている。
「お客さんを楽しませるもの」
 である。大沢はそれがよくわかっていた。
「これでパリーグの野球の面白さが皆にちょっとは知ってもらえたと思うよ。俺はパリーグの宣伝部長になれればそれで満足さ。確かに負けたのは悔しいが」
 ここで邪気のない顔になった。
「お客さんに楽しんでもらえることがまず肝心だ。そして選手がよくやってくれりゃあいい。勝ち負けは常だからな」
 そう言って彼は悠然とその場をあとにした。その背は敗者のそれではなかった。
「相変わらず見事な人だな」
 記者達もその背を見て思わず感嘆の言葉を漏らした。大沢は記者達の心をも掴んでいたのだ。パリーグの野球、パリーグの人間、大沢は常にそう言っていた。そして今でも野球を純粋に愛し、パリーグを暖かい目で見守っているのだ。大沢啓二、彼もまた一代の名将であった。


奇策   完


                  2004・8・18

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