暁 〜小説投稿サイト〜
王道を走れば:幻想にて
第五章、その2の2:敗北
[10/12]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
の一室であった。使い慣れた家具や電子機器が水彩画のようにぼやけた色遣いをした世界に置かれて、ソファには学生鞄がぼつんと置かれて教材を口から覗かせている。いつの時代でも必須のペンケースとノート、そして面白半分で買った文庫本など。それまで動じていなかった慧卓の心に強い郷愁を感じさせるものがずらりと広がっていた。
 そしてそれ以上に慧卓の心を何よりも揺らめかせたのは正面に立っていた女性であった。花開く一輪の野花ともいうべきか。誰からも可愛いとは言われるが抜きんでたような魔性の美というのは持ち合わせていない。黒く艶やかな髪に近代的な若さを感じさせる肌。藍色の瞳はきらきらと光り、つぶさなまでに表情の可愛らしさが見て取れる。これまでの声とは打って変わりそれは完全な肉体を伴って慧卓の前に現れ、そして彼の心を見事に射止めた。
 ドラマのワンシーンを再生するかのように、慧卓とその女性はありふれた日常を『展開』していく。そのような経験があったかどうかは覚えてはいないが、しかしそのやり取りは懐かしくもあり、暖かさを感じさせるものがあった。

『欲しがってたでしょ?この靴。高校生にしては背伸びしすぎじゃない?こんな革張り、どこのパーティーに行くんですかって感じだし。ね、早く履いてみてよ』
「ああ......どうかな?」
『うん。案外しっくりくるね。冗談冗談。すごいかっこいいって。そんなに微妙そうな顔しないでよ』

 女性の姿がぼやける。慧卓の視点も何時の間にか切り替わり、二人は窓の方へと移動していた。

『あ。またあの鴉がきてる。いっつも来るんだよね。あの木がお気に入りなのかな』
「実晴の顔を見に来たんだろ?」
『うそ?私のファンって鳥類にいるの?あははっ。面白すぎだって、それ。人より先に鳥がファンになるなんてーーー』
『馬鹿でしょ?明日も学校なのに』

 世界が暗転する。地獄よりもなお濃厚な闇の中で女性は艶やかな笑みを浮かべていた。暗がりのせいで衣服を纏っているのか分からない。だが女性が身体をだらりと仰向けに倒れさせている事や、色気づいたその表情と木漏れ日のようでありながらも肉体的に感じる温かみから、きっとその人は全てを露わにしていると理解できた。
 すべてが世の強権的な男性にとって理想的であった。もしかしたら気弱な男子でもたじろぐかもしれない。年頃の女性らしい浮つきつつも確りとした趣味嗜好から、女性らしく美しく成長している四肢の膨らみ、自分の性格、そして心の悩みも。全てを見せることで『彼』を魅了しようとしている。「女は打算的な生き物だからそういう事ができるんだ」と、理性の声が囁く。しかし慧卓は一心に注がれる愛を感じてこの上なく幸福であった。貪欲に彼女の温もりを感じていたかった。二つのものが一つになるほどに密着し、動物のように融け合い、そして火花の
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ