第一話 〜始まる前のお話 前編【暁 Ver】
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いるのは医師の瞳に乗った僅かばかりの哀れみの色と、こちら側から見えない場所で雑談に興じる看護師達の甲高い声だった。自分でも不思議なほど落ち着いていたと思う。淡々と。事務的に手術の日程や経過治療などを医師と相談し、胃の三分の二を亡くす事になった。
食事のスピードは酷く遅くなったし、一度机の下に落ちたボールペンを拾おうと屈んだだけで吐いてしまったのには辟易もしたが、それ以外は特に問題はなかった。そんな人とは少しだけ不便な日常を過ごしながら二年ほど過ぎたあの日。──── 医師からリンパ節や肝臓に転移していることが告げられた。
人によっては、つまらない人生だと思うかも知れない。だが。仕事にやり甲斐を感じてもいたし、友人知人もそれなりにいた。人生最大のイベントでもある結婚もした。……離婚も経験する事にはなったが。多くの人と接していく中で一人称が変わり、話し方も変わった。決して。そう、決してだ。平々凡々ではあったが、つまらない人生などではなかった。
そんな事を病院のベッドで考えていた。やっと睡魔が襲ってきた頃合いで目を閉じる。何となく。母が作ったカレーを食べたいと思いながら意識を手放した。それが──── 最後だった。
その人間を見つけたのはただの偶然。選んだのは気紛れ。私が『終わらせた』人間では無いが喜んで転生するだろう。何しろ闘病生活の末の病死だ。健康体でいや、病気とは無縁な強靱な肉体で転生させる事など容易い。おまけに人間には無い能力を与えると言えば……この人間も他の人間と同じ。そう思っていた──── その言葉を聞くまでは。
「カレーが食べたいんですよ」
「え、は?」
この人間はいったい何を言ってるんだ? 今の状況を理解する為に他に聞くことがあるだろう。『ここはどこ?』そして『あなたは誰?』だ。いや、そもそも今の状態は霊体……魂だ。空腹など感じるわけがない。
「すみません。聞き取りにくかったでしょうか?」
「い、いえっ、聞こえました。大丈夫です」
……不覚にも動揺してしまった。急いで仮面を被り直す。
「……お腹が空いているのですか?」
「いいえ、空いているとか空いていないとかではなく。カレーが食べたいんです」
思わず脱力しそうになる。私は人間に揶揄われているのだろうか?
「お腹が空いてんじゃないの?」
少し『素』が出てしまった事に内心で舌打ちをする。項垂れながらも『人間』の顔を伺って見たが気付かれた様子はない。それにしてもこれと言った特徴のない風貌をしている。あまりにも弱い為に『個』でいることを嫌い。『全』の中を息苦しく泳ぐ魚のような種。実に滑稽だ。さて、この『人間』は──── どんな『欲』を見せてくれるだろうか。心の中でほくそ笑みながら顔を上
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