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『もしも門が1941年の大日本帝国に開いたら……』
第三十六話
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たれたが、後にそれは覆されるのであった。
「それにしてもアメリカが支援するとは思いませんでしたな」
海軍大臣の嶋田大将はそう言った。アメリカは日本に対して特地への支援を表明しており、支援の表れとして石油や屑鉄の輸出を再開したのだ。
そして軍事支援として史実でも日本軍に捕獲されて運用されていたM3軽戦車二十両を無償で提供した。
M3軽戦車を提供された陸軍は驚愕した。何せ軽戦車なのに装甲はチハより上(チハ二五ミリ、M3軽戦車五一ミリ)で速度も上、登板力もチハより上だったのだ。
陸軍関係者はM3軽戦車の性能に驚き、ある関係者は「ノモンハンの再来だ」と言葉を漏らしたらしい。
そして陸軍は改めて戦車の性能を認識した。40年から始められていた新型中戦車の試作は急ピッチで進められる事になり、八月に最大装甲五十ミリの試作車、九月に最大装甲七五ミリの試作車が完成するのであった。
史実のまま突き進めば、兵器生産は主に航空機や艦艇、次いで各種火砲に重点が置かれ資材・工場・予算をそちらにまわされていた。そのために新鋭戦車の開発・生産は遅々として進まず、試作チヘ車(一式中戦車)の完成は1942年(昭和十七年)九月、各種試験の末開発が完了したのは1943年(昭和十八年)六月である。
しかし、門が現れた日本は大きく変化をしていた。今のところ、戦争は特地の帝国だけであり艦艇の建造は増加される事はなかった。
これにより新型中戦車の試作及び開発は史実より遥かに進んでいるのだ。
なお、貧乏クジを引いたのは海軍である。海軍がやる事は海軍航空隊と陸戦隊を派遣するのみである。
艦艇の建造計画も見直され、翔鶴型の竣工は十一月になり大和は何とか史実通りの十二月ではあるがお粗末な物である。
取り合えず、第一航空艦隊は設立されたが空母は五隻のみだ。他にある空母改装は出雲丸に橿原丸(後の隼鷹型)や祥鳳型くらいである。
そのため、海軍は当分は新規の艦艇は中々建造されないと判断して、長門型や伊勢型の速度向上のための改装計画が作られ、しまいには扶桑型戦艦の空母改装計画もある。
「門のせいで海軍は廃れてしまう」と嘆いた佐官もいたりする。
しかし、GF艦隊司令長官の山本五十六は嘆いてはいなかった。
「新規の艦艇が無いなら改装すればいい。時代は航空機の時代に着実になっていくのだから航空兵装を充実させねばならない」
山本はこのように主張し、旧式軽巡の天龍型、球磨型は防空巡洋艦に改装されるのであった。
「向こうは恩を売っておきたいのだろう。兎に角、新型中戦車の開発はやらねばならない」
門の出現により日本は史実より大きく異なっていた。
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