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その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~
3rd bullet 《the last days of Roanapur U》
chapter 01 : myself
#52 "H?nsel und Gretel "
[後書き]

[8]前話 [9]本文
ニコラエ・チャウシェク(NicolaeCeau?escu、1918年1月26日-1989年12月25日)
ルーマニア社会主義共和国国家評議会議長(1967年〜1974年)、初代大統領(1974年〜1989年)、ルーマニア共産党書記長(1965年〜1989 年)

1960年代〜80年代にかけての24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨した。

1966年、チャウシェスク政権は国の人口を増やすため、人工妊娠中絶を法律で禁止した。
妊娠中絶は42歳以上の女性、もしくはすでに4人(のちに5人に変更)以上子どもを持つ母親のみ例外的に許された。
ルーマニアでは5人以上子どもを産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子持ちともなると「英雄の母」 の称号を与えられたが、殆どの女性は興味を示さず、せいぜい子ども2〜3人程度がルーマニアの平均的な家庭であった。
さらに、秘密裏に妊娠中絶を行って不具となってしまったり、死亡する女性も少なくなかった。

チャウシェスクは上昇傾向にあった離婚率にも目を付け、離婚に大きな制約を設け、一部の例外を除いて離婚を禁止した。
1960年代後半までにルーマニアの人口は増加に転じたが、今度は育児放棄によって孤児院に引き取られる子供が増えるという新たな問題が生じた。
これらの子供は十分な栄養も与えられず病気がちとなり、さらに子供を死なせた場合にはその孤児院の職員の給与が減らされるため、無理な病気治療のひとつとして大人の血液を輸血され、エイズに感染する子どもが激増した。
また革命後、多くの孤児院は閉鎖されチャウシェスクの落とし子と呼ばれるストリート・チルドレンを生み出すこととなった。


1980年代に入ると、強権的な統治や個人崇拝 、国民生活の窮乏に対する内外の批判が高まった。
1989年、この年の東ヨーロッパ諸国の変動、いわゆる「東欧革命 」の最後を飾る流血の政変(ルーマニア革命)によって権力の座を追われ、処刑された。
その劇的な末路もふくめて、ルーマニア現代史のみならず、20世紀の代表的な独裁者の一人として記憶されている。

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