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無明のささやき
第四章
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にしていたのである。
 飯島の妻、和子は、弁護士事務所に勤めている。収入もまあまあである。飯島にとって問題なのは、かつて和子がその収入の大半を飯島の父親の借金返済に当てていたことであった。かつて、高校教師だった飯島の父親は、50代半ばに何を思ったのか、家を担保に借金し、教育資材販売の事業を起こした。そしてあっけなく失敗した。飯島が30代始めの頃である。
 その借金は80坪ほどの土地を売れば返済でき、しかも、かなりのお金が残る。しかし、父親はそれを手放したくなかった。和子は父親の窮状と落胆を見かねて、同居を申し出るとともに、借金返済のために働きに出たのだ。
 そして和子は10年掛けてその借金を返済してしまった。飯島はそのことで女房に頭が上がらなくなったのである。飯島が出世に執着したのは、和子に対するプライドを保つためであった。せめて会社で出世すれば、和子に対して気後れしないですむ。それによってかろうじてプライドを保っていたのである。しかし、今は、ぎりぎりのボーダーラインに立っている。
 東京支店長は年齢からいっても出来過ぎであったが、降格されて、しかも資材物流センター長では如何ともし難い。和子には、いずれ本社営業部長に就くことを匂わせているのだが、その可能性は最初からないのだ。
 救いようのない孤独と絶望が飯島を襲った。焦燥が脳を駆け巡る。言葉なのか、それとも科学雑誌で読んだことのある神経パルスなのか、電気のような流れが脳の神経回路をずたずたに寸断しながら暴れまくった。誰か助けてくれ、飯島は心の中で叫んだ。
 両肘を机に着き、頭を抱え、深く息を吐いた。誰も助けてなどくれない。そんなことは最初から分かっていた。同期入社の仲間達も、飯島と似たり寄ったりか、或いは自分のことで精一杯で、他人のことなどかまってはおれないだろう。飯島を支持してくれる役員もいることはいるが、老人と銀行の出向者ばかりだ。南に対抗するなど無理な話だ。

章子に会いたい、つくづくそう思った。

 飯島は、古い手帳の住所録を取り出し、その名前を探した。章子の住所は、この古ぼけた住所録の初めの方に載っているはずだ。そして、とうとう手塚という苗字を探し出した。手塚章子、その文字から懐かしい匂いが漂う。実家に戻っているかもしれない。
 携帯の番号を押そうするが、その指先は寸前で止まった。しばらく考えていたが、結局、受話器を元に戻し、深いため息を漏らした。気持ちにやましさがあり、それが飯島を躊躇させていた。妻、和子の顔が眼前でちらついている。
 飯島は自問自答した。以前のお前は、据え膳だって食わなかったではないか。出世のためとはいえ、自分を押し殺していた。今、お前は自暴自棄になって、抑圧されていた本当の自分を開放しようというのか。
 いや、違う。据え膳を食わなかったのは出世のため
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