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Epilogue
Epilogue(全文)
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。人間に対してどんな影響があるのかわからない。けれど人々はその水を飲み、その水で育てられた野菜を食べた。そうしなければ、明日生きていられないから。
 その日のナツメは、耳元で聞こえる規則的な音に目を覚ました。憶えのない音は彼の浅い眠りをすぐに奪う。
 水滴が、天井から古い畳に向かって一滴ずつ流れ落ちた。声も上げられずに泣く戦場の人々の涙のように。
 雨漏りをしていた。天井のひび割れから、雨粒が一滴一滴流れていく。周期はナツメの瞬きよりもずっと長い。けれど水は畳に染み込み、心なしか冷気を呼ぶように感じられる。畳は極地的に朽ちていた。ナツメは三階建ての校舎の一階部分まで流れる雨に驚愕し、自らの観察不足を悔いた。
 眠るだけの部屋として欠陥にはならない。けれど不快ではある。彼はもう一度校舎を回って、雨漏りをしていない寝床を探すことを決めた。
 ナツメはいつものように銃だけを下げて校舎を回った。このときは銃を手に持って歩いた。死角の多い学校という建物は、あまりにもかつての戦場を彷彿とさせた。
 子供の学び場であった教室は、ほとんどが宿直室と同じく雨を降らせていた。大粒の雨が、リノリウムの床を変形させている部屋さえあった。職員室と札にある大間も同じだった。他にも部屋を探したが、雨漏りをしていないのは倉庫らしき場所だけで、住めそうな場所はなかった。
 最後に残ったのは保健室だった。
 朝顔の花に食われた部屋は、雨漏りをしていようとしていまいと、とても住める環境ではない。何度か彼はその前を通り、開かれたまま動かなくなった扉に無意識に目を背けて歩いた。感じているのは薄らとした畏怖と確かな不気味さである。自然の前に人間はひれ伏す他ないことも、彼はかつての戦場で学んだ。
 宿直室への道のりで通りかかったとき、彼は最後にその扉の向こうを見た。
 驚く必要はなかった。どれだけ奇怪であっても、予想できるものに人は驚かない。過去の驚愕のせいでナツメは警戒を怠った。それ故に彼は扉の向こうの光景に驚愕し、反射的に銃を突きつける。引き金を引こうとさえした。それから一切の身動きがとれなくなった。
 部屋の中には、座り込んで朝顔の花に触れる少女の姿があった。
 ナツメの思考回路は一瞬にして混線し、バラバラになる。少女は朝顔の蔓が氾濫した保健室の中で一人、それに食われるのを待つようにして座っていた。白いワンピースの裾を敷き、膝をついて。彼女は右手の細い指で藍色の朝顔に触れたまま、ナツメに気づいて顔をあげた。洞窟のように真っ暗な瞳がナツメを捉えた。
 その白い肌と、深い色のボブカット、遠くを見ている瞳、機械のような無表情――ナツメはすぐに彼女が誰なのか思い出そうとする。思考は混乱し、不要な記憶が次々と蘇る。戦争が始まる前の友人であった少女、戦場で出会った敵の国の少女、野戦病
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