第十一章 落ちた偶像
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ポケットに忍ばせたラブレターを渡す機会を何度も窺った。しかし最後まで一歩前に踏み出すことができなかった。ほろ苦い思いが胸にいっぱいに広がった。
ホテルを出ると、石井は五十嵐に電話を入れた。
「僕だ。今何処にいる。」
「悟道会のビルよ。今朝早く、捜査令状がおりたわ。家宅捜索の真っ最中よ。」
「教祖の杉田啓次郎は殺人の疑いも出てきた。杉田の愛人がそう証言した。」
「それってどういうこと。」
「国会議員の安東代議士の秘書が殺された事件は知っているだろう。」
「ええ。安東代議士は杉田啓次郎の資金援助で議員になったわ。」
「杉田の愛人が、その秘書に睡眠薬を飲ませた。その睡眠薬は杉田から渡されたそうだ。そして秘書はそれを飲んだ後、あの世に旅立った。」
「いったいどういうことなの。どんな事情でそうなったの。」
石井はその経緯を詳細に語った。勿論杉田の愛人が石井の初恋の人だというのは伏せた。聞き終えると五十嵐が言った。
「その杉田の愛人は、こっちでもそう証言してくれるのかしら。」
「その愛人は今、千葉県警の代議士秘書殺人事件の捜査本部に向かった。彼女の証言は千葉県警から貰えるはずだ。ところで、今日もアパートに行く。」
「ええ、待ってる。でも、遅くなると思う。電話する。」
石井はホテルの玄関でタクシーを拾って四谷に向かった。今日来ることになっていたお客、相沢のことが気になったからだ。どうも相沢が石井を名指してきたのが気にくわない。煙草を吸おうとポケットに手を入れた。
固い手触りがあった。それを掴み目の前にかざした。盗聴器だ。あっと思い当たった。ホテルのラウンジに入る直前、若い男とぶつかった。あの時、盗聴器が石井のポケットに落とされたのだ。石井が叫んだ。
「おい、運ちゃん、新宿に戻ってくれ。」
センチュリーハイアットを通り過ぎ、タクシーは新宿駅に向かった。最初の十字路に人だかりがしている。最悪の事態がそこにあった。タクシーを降り、ゆっくりと人だかりに向かって歩いた。人々の足元の先に赤黒い血溜まりが見えた、石井の頬に涙が伝わった。
保科の額には銃弾の丸い穴が穿たれ、その艶やかだった髪は、植物が根を張るように血の海に広がっていた。石井は自分の不甲斐なさを呪った。自分が見張られていたことを今始めて思い知らされたのである。石井のポケットに落とされた盗聴器によって保科の証言は杉田に筒抜けだったのだ。
杉田は愛人の裏切りを許せなかった。だから殺した。この推測に間違いはない。自分の気の緩みが、保科を死なせることになったのだ。石井は、保科の遺骸に向かって手を合わせた。そして語りかけた。
「また何処かで会おう。今生では縁はなかったけど、また会えるはずだ。さようなら。」
石井はその人だかりに背を向け、涙を拭い歩き出した。拭っても拭っても涙が
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