第十一章 落ちた偶像
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を上から下まで仔細にチェックする佐々木の顔が浮かんだ。受話器の向こうで山口の抗議する声が聞こえる。
「そんなものは、ズボンの裾を糸でちょこっと止めれば大丈夫だ。何とか間にあわせてくれ。」
そう言って携帯を切ると、アパートを飛び出した。
(二)
考え事をしているうちにコーヒーはすっかり冷めていた。保科香子は苦いコーヒーをすすり、再び物思いにふけった。何故なのか、何故教祖はあんなに動揺していたのか、保科にはそれが不思議でならなかった。常に自信と威厳に満ち溢れたあの教祖と同じ人とは思えなかったのだ。
教祖の声が裏返った。唾を飲み込む時「ウエ」という音声を発した。ましてその日、教祖は最上階に篭り、大災害の被害を少しでも和らげるために祈りを捧げているはずなのに、東京からの電話だった。
教祖の予言では10月25日から12月25日までが大災害の起こる期間としており、その日は危険な時期に入って三日目だった。
保科は頭の中で、教祖の言葉を何度も反芻していた。
「新たなイメージが波のように押し寄せて来る。新たな局面が現れたに違いない。そのイメージに圧倒されて目が眩むようだ。それがまだ完全に映像として見えてこない。これまでのように君が側にいてくれればきっとはっきりと見えてくるはずだ。とにかく直にでも東京に来てくれ。」
「でも、何度も言うように母が一昨晩亡くなったの。その母の亡骸を置いて出てゆくわけにはいかないわ。荼毘にふしてあげたいの。今日役所に行って手続きをして来る。」
「分かった、とにかく早急に東京に帰ってくるんだ。」
「奥さんも呼んだの?」
あのビルには教祖の妻も移り住んでいた。一瞬教祖は口ごもった。そして答えた。
「いや、君だけだ。乗る飛行機はこっちで手配する。帰れる日を連絡してくれ。」
詳しく聞かれるのを避けるように教祖は電話を切った。
幸い二日後には母を荼毘にふすことができた。しかし、人々の思いもかけない反応に途惑った。母はあの強固なビルが完成して直ぐに入った。末期癌とはいえ普通に生活していた。だから多くの友人に囲まれ楽しそうに過ごしていたのだ。
それが、ビルの住人の中で、一人として火葬場まで付き添い見送ろうという者はいなかった。保科は母の骨を一人で拾うしかなかったのだ。すでに危険時期に入り、誰もがビルから出ることに恐怖を抱いていた。あの最新の耐震設計のビルにいるかぎり安全だと聞かされていたからだ。
しかし、それではあまりに母が可哀想な気がした。あのビルに来て初めて親友に出会ったと嬉しそうに話していた母の笑顔が浮かんだ。その大親友でさえビルから一歩も出ようとしなかったのだ。
保科は冷えて苦いだけのコーヒーを一気に飲んだ。ふつふつと怒りが込み上げてくる。誰に対する怒りというのではない。その怒りは自分に向けられて
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