第三章 悟道会
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いてくれ。」
そう祈りながら、ふと、三枝節子の恐怖に歪んだ顔を思い出した。フィリピン航空の犠牲者の中に日本人57人が含まれていたと報じる新聞をテーブルに置いて、「そんな大規模な災害など在り得ない」と言う石井に食ってかかった。
「もう、そんなこと言っていられないわ。どう考えたって、これは偶然なんかじゃない。三通目の手紙に書いてあったイラン大地震が起きて、三万人以上の犠牲者が出たら、あの人の言う世界的規模の大災害もきっと起こるのよ。」
しかし何故、自分ばかりこんな特殊な事態に直面しなければならないのか。池袋署で経験した挫折も、尋常な体験ではなかった。精神の均衡を保つにはアルコールの助けを必要とした。体がぼろぼろになるまで飲み続けた。
今回も、自分が興味を抱いてきた「予言能力」によって理不尽な局面に立たされ、またしてもアルコールに逃げようとした。しかし、今回、幸いにも保科香子の問題があった。会おうと決心した途端、現実に立ち向かう意欲が沸いた。これはこれでよい。
しかし、正に尋常な予言ではないのだ。大地が1メートルも隆起し、そして落とされる。それが何度も繰り返されると言う。その衝撃に耐えうる建造物などあろうはずがない。恐怖が背筋を這い登り、体がぶるっと震えた。
即死であれば楽なものだ。死は一瞬だ。刑事時代、そんな場面を何度も目撃した。そして石井自身が体験した死の境地。その時、死を意識した瞬間に訪れた悦楽に途惑った。そう、死は悦楽を伴うのだ。
しかし、その後、生きられると心の何処かで感じた瞬間、苦しみが押し寄せてきた。まるで生そのものが苦であるかのように、苦しみは忍耐力の限界を超え、何度ものた打ち回った。並みの苦しさではない。二度とご免だと思う。
人は死の恐怖を克服出来ない。その苦痛を想像するからだ。出来れば一瞬の死を迎えたいと誰もが思う。その壁さえ越えられれば、『母なる海』が待ち受けている。人間の魂の故郷へ戻るのだ。石井はその「母なる海」の存在を確信していた。豊臣秀吉は死に臨んで辞世の句を読んだ。
つゆとおち つゆときえにし わがいのち
おおさかのことは ゆめのまたゆめ
秀吉は鋭い感性でこの世の真理をずばり表現している。そして或る作家はこう書いた。「人生は波の飛沫の一滴。一瞬の旅を終え、再び母なる海に帰る」と。これを読んだ時、つくづくと感じ入ったものだが、最近、さらに美しい隠喩に出会った。
五木寛之の「大河の一滴」にそれは書かれていた。
木の葉から露と落ちた一滴が大地に滲み、その大地から水が湧きだし谷間のせせらぎへ流れ落ちる。そのせせらぎがやがては大河へと連なり、『母なる海』へ注ぎこむ。五木寛之は言う。
『人の死を「海への帰還」という物語として描く。そして、さらに「空への帰還」を想像し、再び「地上
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