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夢盗奴
第四章 目覚め
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失っていたらしい。体が浮いたような感覚がして目覚めた。目の前に白衣を着、白いヘルメットを被った男の顔があった。何かを話しかけている様子だが、声は聞こえない。
視界の周辺がじわじわと黒く染まり、終いには漆黒を塗りたくったような暗闇に変わった。

 目覚めるとそこにはやはり暗闇が広がっていた。額の真ん中あたりに意識の核があり、そこで自己を認識しているだけだ。今の自分の状態がどうなっているのか、目蓋を開こうにもその目蓋の筋肉がどこにあるのかさえ分からない。すべての感覚がないのだ。
 いや、唯一、感覚だけはある。廊下を行過ぎる人々の足音や話し声が聞こえてくる。楽しそうな笑い声、スリッパのぱたぱたという音、そこは音に溢れていた。人が入ってくる。カーテンを開ける音。そしてその人が話しかけてきた。若い女性の声だ。
「中条さん、今日の御加減はいかがですか」
何度も聞いた優しい声だ。いや、そんなはずはない。ほんの少し前、若き日の自分に出会ったばかりだ。そう、前世の失敗を省みて、若い日の自分に、洋子の悪いイメージを植えつけるのを思い留まった。今、その鮮明な記憶が残っている。
 若き日の自分に話しかけた直後、気を失った。そして病院に運ばれたのだ。だから、その看護婦の声にこれほど馴染んでいるはずはない。それとも、若き日の自分と出会ったのは夢だったのだろうか。その時、もう一度その声が聞こえた。
「さあ、体温を測りますよ」
確かに聞き覚えのある声だ。もしかしたら、救急車で運ばれてから何度か目覚めて、この看護婦の声を聞いているのかもしれない。そのことを思い出そうと神経を集中すると、激しい頭痛に襲われた。そして朦朧としてきた。
 いつの間に寝てしまったのだろう。物音に気付いて目を覚ますと、人の動き回る気配を感じた。そして先ほどの看護婦のことを思い出した。あの女性がまだ部屋にいるのか?鼻
歌が聞こえる。清んだ優しそうな声だ。その声が話しかけてきた。
「中条さん、寝巻きを替えて置きましたからね。また明日来ますから」
この言葉を聴いて微かに記憶が甦った。彼女は「また明日来ますからね」と言い残して部屋を去る。それは幾度も繰り返されているような気がする。記憶の糸を必死で手繰り寄せた。そして漸く一つの感情に思い当たった。
 それは、その声を聞いた時の喜びの感情だった。その声を聞きたくて、毎日毎日心待ちにしていた。その声が唯一の心の支えだった。そう思った瞬間、全ての記憶が甦った。俺はここで気の遠くなるような時を過ごしてきている。やはり、若き日の自分に会ったのは夢だったのだ。
 そうだ、俺は植物人間状態になってしまったのだ。今から三年前、二度目の脳卒中が引き金だった。心がゆっくりと落ち着いてゆくと、目覚めるたびに味わう不安と動揺が胸を締め付ける。そして、今度は絶望という奈落へ
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