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たった一つのなくしもの
第七章
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「全くな、だからな」
「幸せじゃなかったか」
「わかったよ、幸せっていうのはな」
「喜びもあってか」
「それがあるかどうかなんだろうな」
「運だけじゃないか」
「誰がどう見ても運が悪い奴が自分は幸せだって感じてることもあるからな」
 隆太は死にゆく中で言った。
「それが今になってわかったよ」
「そうか、俺もずっとな」
「ずっとか」
「ああ、契約してきた奴は皆そう言ってたよ」
 幸運があっても喜びはない、それでだというのだ。
「幸せじゃなかったってな」
「そうだろうな、俺も死ぬその時になってわかったよ」
 隆太も言う。
「喜びがないと幸せじゃないんだよ」
「幾らいいことがあってもな」
「そういうものだよ、じゃあな」
「ああ、これでだな」
「死ぬよ。まあ生きられればいいっていう望みは適ったよ」
 三十の頃にゴキブリと契約した時に願っていたことがだというのだ。
「そのことは有り難うな」
「礼なんていいさ、これが契約だからな」
「そうか」
 隆太とゴキブリは最後のやり取りをして別れた、そして次の日の朝に。
 彼は家族に囲まれて静かに息を引き取った、だがその彼の横顔を見てだった。
 家族は不思議な顔をしてだ、こう言うのだった。
「ずっと幸せな一生だったのに」
「こうして大往生なのに」
「何でこんな死に顔なんだろう」
「無表情で何でもない様な」
「全然楽しくない感じだな」
「そうよね、本当に面白くなかったっていうか」
「楽しくなかったっていうか」
 皆首を捻って言うのだった。
 そしてだ、妻年老いた彼女もこう言うのだった。
「この人いつもこうだったわ」
「面白くなさそうな顔だったね」
「本当にいつも」
 子供達が応える。
「何があっても無表情で顔色を変えないで」
「面白くもない、楽しくもない」
「そんな顔でね」
「いたわよね」
「何があっても喜ばなくて」 
 妻はこのことが不思議といった顔であった。
「どんないいことがあってもね」
「それで今もこうした顔で」
「死んだけれど」
「幸せに思っていてたらいいけれど」
「どうなのかしら」
「幸せに思ってたのかな」
 彼等は誰もわからなかった、彼がどうして喜ばなかったのかを、そのことがどうしてもわからなかったのである。幸せでなかったかも知れないと彼等が思う理由を。
 ゴキブリは隆太と分かれてから仲間のゴキブリ達に言った、物陰で彼等の飯を食いながら。
「幸せって難しいよな」
「ああ、運があってもか」
「それでもだっていうんだな」
「喜びがないとな」
 それでだとだ、彼等にも話すのだ。
「幸せじゃないんだな」
「あんたが前に契約してた人間か」
「あの人もか」
「幾ら金があっていい仕事があって家庭があってもな」
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