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怨時空
第二章 疑惑
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 桜庭はベッドで煙草をくゆらせながら、この不思議な縁に思いを巡らせていた。香子
は桜庭の腕に頬をのせ、静かに寝息をたてている。長い睫、すっきりとした鼻梁、小さな
唇。何もかも桜庭の好みだった。その香子を初めて見たのは、中条の葬式である。
 その日、お焼香の順番を待つ間、桜庭は喪服に身を包む若妻に目を奪われた。喪服姿
の彼女は艶やかな色香を漂わせながら、弔問客一人一人に慎ましやかに辞儀を繰返してい
た。厳かな雰囲気が更に妖艶さを際立たせるていた。それが香子だったのだ。
 再会は、それから一年ほど経ったある夏の日で、桜庭はCM撮影の立会いで江ノ島の
海岸にいた。撮影が無事終了し、女性タレントはそそくさと車で引き上げ、製作会社の担
当者達が撮影機材を片付け始め、その彼らもいなくなると、桜庭一人残された。
 撮影を見学していた人々も、タレントが帰ると潮が引くように消え、夏の海の風景に
戻っていた。背広姿の桜庭は明らかに場違いである。桜庭は、くわえ煙草で、ぎらつく太
陽を睨み上げた。それが自分では格好良いと思っている。
 そこに大胆なビキニ姿の女性が近付いて来た。形の良い胸、くびれた腰、すっきりと
伸びた脚、桜庭の視線は再びこぼれんばかりの胸に取って返した。と、その女性がにこり
と微笑んで声をかけてきたのだ。
「その節は……」と言って、はにかむように佇んでいる。その顔に見覚えがあった。桜庭
はすぐに思いだし、微笑みながら言葉を返した。
「どうも、しばらくでございます。その節は本当に、お言葉をかけるのも痛々しかったも
のですから、ろくなお悔やみも申し上げられませんで、申し訳ございません」
「いえ、とんでもございません。皆様の、あの演劇部の皆様の、励ましのお言葉は今でも
心に残っております。あれから上野さまも、お線香を上げに何度かお見えになられて…」
と言って微笑んだ。桜庭は心の中で舌打ちした。上野の下心はみえみえだ。若後家の隙の
乗じてものにしようとしたのだ。しかし、その企みが成功しなかったことは、今の微笑み
が物語っている。意外に世慣れした女だと思い、桜庭は心中ほくそえんだ。
 その時、三四歳の子供が走り寄ってきて女の脚に絡みついた。女はその子を抱き上げ
て言った。
「翔の忘れ形見、詩織です。さあ、詩織ちゃん。素敵なおじ様に、ご挨拶しなさい」
思わず頬擦りたくなるほど可愛い子供だった。桜庭ははにかむ子供の頬を指先でつついて
挨拶した。
「詩織ちゃん、桜庭と申します。よろしくね」
子供の邪魔にあって、この心時めく再会ははこれで終わりを告げたのだが、自宅も電話番
号も知っているのだから、上野と同じように、お線香を上げに行けばよい。別れ際にみせ
た女のねっとりとした視線は、それを待っていると匂わせているようだっ
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