暁 ~小説投稿サイト~
弱者の足掻き
十二話 「蟲」
[13/18]

[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話
そりゃ悲しい。じゃあ逆に武勇伝を広めてやろう。動くすべを無くした舟の上、男らしく服を脱いで冷たい水の中を全裸で泳いで船を引っ張ったってな」
「ぎゃー!? ダメだよ、それはダメだよ! 私そんなこと出来ないし! それに私がお嫁に行けなくなったらどうするの!? 責任とってくれるの!?」
「ハハハハハハハ。色んな意味で面白い冗談だ」
「嫌いだよー!! ほんとに嫌いだからねー!?」

 ああ、楽だ。他人の善意も悪意も受けていられる余裕などないから、何も考えないこんなバカみたいな話が酷く心安らぐ。

 隣で騒ぐ少女を無視してなんとはなしに空を見上げる。雲は晴れてきて隙間から月がその顔を覗かせていた。
 声が聞こえなくなる。歩きながら、少女も空を見ていた。
 暫しの無言の時間。ポツリと、少女が口を開く。

「ありがとね。舟を引っ張ってくれて。もうダメだと思ったんだ」
「大抵のことは何とかなるものだ。そう簡単に駄目にはならない」
「イツキ君はそうかもね。でも私はそう思ったの。霧がどんどん出てきて、岸が見えなくなくて空も見えなくて……閉じ込められたって、思ったの。今までずっといた世界から違う世界に来ちゃったって。もう帰れないんだって。すごく、怖かったの」
「違う世界、か……」
「うん。もうお父さんともお母さんとも会えないなって。だから、イツキ君が舟を動かしてくれて嬉しかった。真っ直ぐに進む姿が力強く見えて『ああ、これで帰れるんだ』って思った。……私には、そんな力ないから。いつも何もできなくて、影も薄くて……きっと、誰の目にも」

 少女が悲しげに顔をうつむける。
 俺は空の月を、まるで雲が衣の様に映る朧月を見ながら、小さな頃を思い出す。
 人に見てもらうのに大切なこと。意識に残るための、切欠。

「なあ。お前さ、何て名前だっけ?」

 視界の端、少女の肩が小さく震えたのが分かった。
 初めて会った頃、一度は聞いたはずだ。それなのに覚えていない。ぶつけられた現実が少女の心を貫く。
 自尊心の否定。存在の希薄さの肯定。
この言葉が傷つけるのは分かっていた。それでも聞かずにはいられなかった。
少しして少女が口を開く。出てきたのは力をなくし今にも泣きそうで、何かを認め、諦めたような声。

「……やっぱり」
「ごめん、本当にごめん。俺が悪いのは分かってる。いくらでも謝る。頼むから、教えてくれ」

 これから聞く名を忘れぬよう、少女を見る。サイドで括られた僅かに茶色が混じった柔らかなセミロングの黒い髪。焦げ茶色の瞳を宿したタレ目とほどよく日に焼けた色の肌。一歩引いたおとなしさを感じさせる可愛らしい少女。
 ポツリと少女が呟く。

「チサト……雨乃チサトだよ。前に言ったことあるよ……あるんだよ……グスッ」
「チサト、
[8]前話 [1] [9] 最後 最初 [2]次話


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 ~小説投稿サイト~
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2025 肥前のポチ