暁 〜小説投稿サイト〜
コミュニケーションの行方
必要な能力
[1/2]

前書き [1] 最後
我々が現代社会で生きてゆく上で、どのような能力が必要なのだろうか。そう考えたとき、学力や身体能力よりもまずはコミュニケーション能力こそが一番の武器になると私は考える。
 やはり他人との意思の疎通もままならないようであっては、社会人となる以前に、人として生活するのも困難なのではないだろうか。
 やはりコミュニケーションとはなくてはならない能力であると同時に、我々にとって最大の武器にもなるのであろう。
 ブアメードの絶望という心理実験がある。ブアメードという名の死刑囚に、「人体からは1割の血液が流出すると人間は死ぬ」と医師が教え込み、足の親指を切断。滴る血液をタライで受け、滴り落ちている音を聞かせつつ、「この調子だと3時間後には致死量の血が抜ける」と言い残して4時間放置。4時間後様子を見ると、ブアメードは息を引き取っていた。しかし、実際には彼の親指は切られておらず、親指に痛みを与えただけであった。要はだましたのだ。勿論、彼の死因は失血死ではなくショック死だった。このブアメードという死刑囚は医師の権威ある言葉に殺されたのだ。
 このように、環境が揃えば言葉だけで一つの人生を終わらせることもできる。それほどまでに言葉の力は強力なのだ。
 もちろん、言葉がここまでのパフォーマンスを発揮できる場合というのは限られている。互いの心理状況や立場の違い、その場の雰囲気や会話の流れ、更には互いの体調など、言葉のコミュニケーションは非常に複雑で多岐に渡る要素が関係してくるのだ。
 このことからも、コミュニケーションは単に言葉の伝え合いだけではないといえる。相手に対する意思疎通、それ全体がコミュニケーションなのだ。アイ・コンタクトという言葉があるように、ジェスチャーやパントマイムが伝わるように、何も言葉だけがコミュニケーションのツールではないのだ。
この例として、「お疲れ様」という言葉を考えてみる。無表情で言われるのと、にこやかな笑顔で言われるのと、眉間に皺を寄せながら言われるのでは随分と感じが変わるし、ほかにも天皇陛下のおっしゃられた一言と、尊敬する上司からの一言と、気に入らない同僚からの一言と、これら全てにおいて受け取った人の感じ方は大きく異なる事だろう。
ここからわかることは、表情・関係・立場・タイミングなど、これら全てがコミュニケーションを作り出す要素なのであり、いかにこれらを効果的に活用してゆけるかという事がコミュニケーション能力というものであるということだ。
今、現代の若者のコミュニケーション能力の低下がしばしばテレビや新聞の紙面を賑わせることがある。しかし、これから一層その能力が必要になるであろう我々の力は、過去の大人たちに比べ、それほどまでに衰えているのだろうか。またどうすればコミュニケーション能力が向上するのだろうか。
若い世代の人間は、いった
前書き [1] 最後


※小説と話の評価する場合はログインしてください。
[5]違反報告を行う
[6]しおりをはさむしおりを挿む
しおりを解除しおりを解除

[7]小説案内ページ

[0]目次に戻る

TOPに戻る


暁 〜小説投稿サイト〜
利用規約/プライバシーポリシー
利用マニュアル/ヘルプ/ガイドライン
お問い合わせ

2024 肥前のポチ