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外伝 ドラゴンクエストV 勇者ではないアーベルの冒険
ロマリア王立冒険者養成所卒業式での演説
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ば、ロマリア王国は再び隆盛に向けて動き始める。
モンスターに怯えることなく暮らすことができる世界への第一歩が。
私が冒険を中断しなかったら、この計画は起きなかったと私は確信している。
ひどい味の薬草だったが、けが人には必要だったと思う。
私は自分が行っていることが好きで、それが自分を動かしている根幹だと確信している。
仕事は人生の大きな部分を占めることになる。
満足を得るための方法は偉大な仕事だと信じることで生まれる。
そして、偉大な仕事をする唯一の方法はその仕事を好きになることだ。
もし、みつけていないのならば探しなさい。
それは、見つければすぐわかるはずだから。
妥協は禁物だ。
3番目の話は、死についてだ。
冒険は、死と隣り合わせだ。
僧侶の蘇生呪文や、教会での復活が可能とはいえ、万能ではない。
肉体が完全に消滅した場合はもちろん、いろいろな条件で復活が不可能な場合がある。
詳細については、諸君は講義を受けたはずだから、ここでは省略する。
私は冒険をしている間、毎朝起きると鏡を見ながら自問する。「今日、冒険で命を散らすとするならば、私は今日の冒険が本当に必要なことだろうか」
もし違うのであれば、私は冒険の方針を変更する必要に気付く。
自分が今日死ぬかもしれないことを覚えておくことは、人生の重要な決断を助ける重要な道具であると私は考えている。
なぜなら、ほとんどすべてのこと、他人からの期待や、プライド、恥や失敗に対する恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、本当に重要なことだけが残るからだ。
いつかは死ぬということを覚えていくことは、私が知る限り、落とし穴を避けるために必要な最善の方法である。
何かを失うと考えてしまう落とし穴を。
死を前にすれば、誰もが丸裸だ。
自分の心のままに行動しない理由がなくなる。
私は、自分が5歳の時、生死をさまよう事故を経験した。
転んで、水の中に入り溺れてしまったという経験だ。
そのときは母親が助けてくれて、幸運なことに後遺症もなかった。
私は、幸運にも冒険で死んだことは無かったので、この経験がこれまでで最も死に近い体験となる。
この経験を受けて、私は自信を持って次のように言える。
死を望む者はいない。
天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。
それでもなお、死は我々すべてが共有する運命だ。
それを免れたものはいない。
そしてそうあるべきなのだ。
なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。
死は生命に変化をもたらす主体だ。
古き世代は消え去り、新しい世代に道を譲る。
我々は、新しい世代だが、遠くない未来に、古き世代に移行して消え去ってしまう。
新しい石碑が、風雨にさらされること
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