第三部 1979年
新元素争奪戦
スペツナズ その3
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世論は、スパイ事件というよりも、男女関係に注目を置き、夫婦関係が15年来冷めきっていることを報道した。
その報道により、周囲から後期の目を向けられた女性事務官の夫は、東京の晴海ふ頭で割腹自殺を遂げるという結末を迎えた。
新聞社は、結果的に罰金刑のみとなり、手切れ金として1500万円を払って、事態の収拾を図った。
香山はしばらく謹慎していたが、2年ほど前に素知らぬ顔で元の職場に戻り、のうのうと記者を続けていた。
「赤軍参謀総長にインタビューをさせるのだ。
いや、インタビューに失敗してもよい。奴の居場所さえわかればこっちのものよ」
ほくそ笑む男に、青年は再び問いかけた。
「木原の件は、どうしますか」
「君たちに任せるよ。
もし失敗した際は、私の方でレポ船を用意しておく」
レポ船とは、ソ連相手にスパイ活動を協力する日本人の漁業関係者の事である。
北洋漁業を行う小舟に通信機を載せ、日ソ国境沿いである樺太周辺で活躍する工作船であった。
ソ連の違法工作船が摘発された1950年代ごろから活躍し、北海道の軍の状況や、潜入工作員の送迎を行っていた。
また、1960年代のベトナム反戦運動の際には、日本の米軍基地から脱走した米兵を乗せ、日本海やオホーツク海で待つソ連の艦艇とランデブーし、脱走兵を引き渡す見返りに多額の資金を得ていた。
1970年代には、密貿易が主体となり、ソ連国内で不足する婦人用下着やラジカセ、FAXなどを渡す代わりに、ソ連領海での自由な漁業活動を行っていた。
ソ連の指定する海域では、漁獲量は10倍になり、巨額の資金を元手にキャバレーやクラブを経営する者も出始めるほどだった。
ソ連の国境警備隊は、他国の様に警察や軍隊ではなく、KGBの国境警備総局の下に置かれた機関である。
工作の指示やその資金は全て、ソ連共産党最高指導部の指示の元、KGBが指揮をし、行った対日有害活動であった。
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マサキたちは、湯の川グランドホテルにそのまま一泊した。
時折メンバーと警察が交代で、参謀総長の話し相手をし、警備を続けていた。
昼過ぎに、在札幌ソ連総領事館の総領事と副領事を尋ねた。
北海道には、幕末からロシア領事館があり、今日も札幌と函館の二か所で活動をしている。
話し合いは警察立会いの下で行われ、彼らは参謀総長に亡命を思いとどまるように説得していた。
マサキたちは待機を命ぜられ、部屋の中で待つことにした。
手持無沙汰になったマサキは、美久に近くのマクドナルドに行って、ビックマックセットを買ってくるように命じた。
ホテルの食事に飽きたのと、周囲の偵察を兼ねた命令だった。
マサキは服を着崩して、ベットに横になって、美久の帰りを待つことにした。
暫く眠っていると、ドア
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